かつての仲間 3
雨は相変らずやむことなく砂漠に降り続けていた。
そんな日のことである、仲間のラウラと、かつて砂漠戦争で戦いを共にした金属神セディエパの若き司祭、エシャレルが城を訪れたのは。
「ラウラ……それにエシャレル様」
奇妙な組み合せにアスティも絶句した。
「どうしたの」
「アスティ……」
白い息を吐きながらラウラは青い顔で言った。
口を開こうとして、そしてまた黙り込む。
「ラウラ……?」
「アスティ様。ラウラ様とは城の入り口で一緒になりました。……多分……目的は同じだと思います」
「---------」
「ここは国王陛下にお目どおりして、それから……」
アスティは二人の顔を見た。揃って青い顔をしている。
「……わかりました」
アスティは二人を国王の私室に案内した。香茶道具を一式そろえて預言者と国王が待ち構えていたのには、アスティがすべての物質法則を無視して〈心話〉で先に報告していたからに間違いない。
「国王陛下にはご機嫌うるわしく……」
エシェレルが挨拶をしている間もラウラは落ち着かないようだった。唇が、微かにだがわなわなと震えている。アスティが香茶を淹れている間にも、エシャレルは説明を始めていた。
「まずはわたくしからお話しするのがよいかと思います。
大司祭さまからの命を受けて参ったのにはわけがあります。先日大司祭さまはいつものように瞑想にお入りになられました。そうするともう誰がどうしようと思っても大司祭さまはお気付きになりません。
そして大司祭さまははるか南東---------砂漠の向こうの方に、邪悪な波動をお感じに
なったそうです」
「邪悪な波動……」
セスラスの呟きに、エシャレルはうなづいた。アスティが香茶を出すと、一口飲んで、やっと人心地ついたという感じだ。
「全身が凍ったかと思われるほどの凄まじい波動……肌の裏粟立ち、総毛立つような邪悪な波動……それはこの世のものではないと、大司祭さまはお感じになったそうです」
「……」
「そしてその波動は……わずかずつではありますが、このリザレアに向けられていると……」
「アスティが気が付かないほどに?」
「それはアスティ様がリザレアのなかにいるからです。内部の者には完全にわからないようなものなのだとか。とにかくゆっくりではありますが、波動はリザレアに向かっています。大司祭さまは急ぎそれを陛下にお伝えするようにと……」
「---------して、ラウラが来たこととはなにか関係があるのかな」
ディヴァはアスティをちらりと見た。どんな顔をしているのだろうかと思ったが、さすがに自分と同じで、まだ事態の深刻さがわかっていないせいか、別段どうという顔ではない。ラウラはうなづいて言った。
「私ども魔法院もそれに気付きました。導師たちはまっさきにその波動の正体を知って青くなり、長老はしばらくして命を下しました」
ラウラはアスティに向き直った。
「---------アスティ。落ち着いて聞いてね。……決していい思い出じゃないのはわかってて言うわ。あの砂漠戦争で陛下は先のイラル国王・イムラルを討った」
「……ええ」
「あなたは無事リザレアに。
ところが当時、一人だけイラルを留守にしていた臣下がいた。なんでも、南のマハティエルに行っていたとか、北の王国レズンドに行っていたとか、よくわかんないけどとにかくいなかったの」
「それで……?」
「その男の名前はギルメス」
「---------」
ギルメス……あの瞳の鋭い男。あの宴の日、まだ男を知らぬアスティ、未だイムラルのものになっていなかったアスティに、セスラスに操をたてたところで無駄だと、からかうわけでもなく諫めるのでもなく言ったあの男……。
「ここから問題なの。彼は、あなたと陛下と、リザレアに復讐するために青葡萄の島に渡って、そこで……そこで、……『古き者』を復活させたの」
「『古き者』……! あの古代の……!」
「『古き者』……?」
セスラスは口のなかで呟いた。
「本に出てくるあの悪魔か」
「そんななまやさしいものではありません。
瘴気と破壊、狂気と死、『古き者』の視線は草を枯らし木を根だえさせ、吐く息は毒の霧、死の瘴気となってすべてのものを死に到らしめるという……恐ろしい悪魔です。姿はガーゴイルに似て翼と鳥の顔、鳥の嘴を持ち、身体はそうですね……竜のようなものだといいます」
アスティは震えが止まらなかった。『古き者』が? ---------恐ろしい!
なんということ! 一定の期間で自分を襲う不幸のことは覚悟できているつもりだったが、まさか、砂漠戦争の爪痕がこんな恐ろしい結末を襲おうとは!
『古き者』の復活!
アスティは身体がガタガタと震える自分にすら気が付かなかった。そんなアスティを見て、セスラスとエシャレルは顔を見合わせた。
上位魔導師のなかでも屈指の能力を持つアスティ。あの預言すべてを予備知識なくその場で理解したほどの知識の持ち主。『剣魁』と呼ばれ剣をつかい魔法をつかい、おそれるものなしとうたわれたアスティが、我を忘れ恐れるほどのものがまさかこの世にあろうとは。
「大変なことです……」
己れのなかの多くの預言者たちの恐れやおののき、直接の知識を得て、ディヴァも真っ青になっている。ラウラは続けた。
「そして私が来た理由……本来中立を旨とする上位魔導師が長老の命を受けアスティ
に報せ……自分も手伝わなくてはならない理由……---------どうして一介の騎士で
あるギルメスが『古き者』を召喚し得たのか……---------」
アスティは顔を上げた。気が付かなかった……。
「アスティ……魔法院の人間が関わっているの。
シェイルが…………シェイルが『古き者』の召喚を……---------」
「! ---------」
アスティの全身が凍りついた。
シェイル!
あの日の自分の大切な仲間。共に魔法院の精神を学び、あの黒いマントに憧れて共に暮らし共に学び、なによりも絆を重くしているはずの仲間という名の。
「そ……んな……」
アスティの悲鳴は声にならなかった。アスティの目の前が真っ暗になった。さながら生きながらにして地獄へ落ちる、奈落へと落ちていく、そんな気分。
アスティにとって、いや、魔法院の人間にとって、共に学び共に同じ生活をしてきた仲間に対する意識というものは、ある意味で肉親や主君などよりも強い絆でもって成り立つ
ものがある。共に上位魔導師になるためにこなしてきた辛い修業、厳しい生活のなかで、共にいた者どうしの絆というものは、他者には入りこめないものすらある。辛い思いをしているとき、仲間の存在、彼らの笑顔や慰めがどれだけの励みとなったかはその者だけが知り得る。強烈な連帯感、そして同じだけの修業をこなし、それを乗り越えて黒いマントを羽織る資格を得た、仲間に対する強い誇りの思い。セスラスですら、アスティの日常を見ていると、いかに彼女が仲間を大切にし、誇りに思っているかは、容易に想像できる。
その仲間が、禁じられた古代の呪法ともいうべきものを駆使して、邪悪なものを異世界
から召喚しようとしている。それはアスティのように一主君に仕えるのとは、同じ上位魔導師でも中立の意味がまったく違う。そもそも彼らが中立を旨とする根本の理由としては、悪しき志を持つ者に上位魔導師が仕え、それによって彼らの力が野望などのために悪用されることをおそれてのことである。ひとりの主君に仕えている以上は、彼らは彼らの意志で、それらの人間の命令をきかなければならない。またかつてあったことの一つには、敵対する王国の宮廷魔術師に魔法院の人間がそれぞれいて、それがために両国とも相討ちとなって滅びたという悲劇もある。
しかしシェイルの場合は違う。魔法院規約に、上位魔導師は、おのれの全身全霊をかけて仕えてもいいと思うほどの者以外は、個人に仕えることを禁止する、とされている。つまり、仕える相手の志が善であろうと悪であろうと、己れが惚れた人物に仕えることに関しては、魔法院はいっさいの干渉をしないということだ。が、いやしくも魔法院で育った人間、導師のひとりの賛成もなく、また禁じられた呪法を使って忌まわしき悪魔を召喚するとなると話は別である。それにシェイルの場合は、主従関係ではなく、利害関係の一致であり、規約にはあてはまらない。
「---------」
「アスティ……長老からのお達しよ」
「……」
「掟を破った者に対する制裁……シェイルを討てと」
「---------」
アスティは悲痛な面差しのままうつむいた。
この長老の命には多くの意味が含まれていた。ひとつはリザレアに深く関係している同
じ上位魔導師のアスティ、狙われているリザレアに深く関係しまた国王自身も標的になっている、そのどちらにも深く関係しているアスティを「リザレアを守るため」という名分のもとにシェイルの討伐にあて、また長老彼自身がもっとも信頼をおく弟子のひとりであ
るアスティを『古き者』復活の妨げに向かわせるというのもあり、そしてなにより、上位魔導師は上位魔導師が討つという---------……深い仲間意識のもとに行なわれる、「制裁」という名の「救済」---------……これらの意味が含まれている。それはどちらにとっても辛いこと、特に最初からそれを覚悟で禁を侵し、承知の上のものとは違い、仲間の過ちを知り、その上その討伐を命ぜられた者の心中の痛みは筆舌できるものではない。それはアスティにしても同じであった。
あのシェイルが、まさかそんなことをするとは思いもよらない。仲間が、よりによって禁呪法の恐ろしさを一番よく知っているはずの仲間が、どうしてそんなことを。彼を知っているだけに、そのような恐ろしいまねをなぜするのかがわからなくて、アスティは戸惑うより先に悲痛な思い一杯であった。
「……」
「アスティ」
アスティは閉じていた瞳をそっと開けた。瞑想から解き放たれた賢者のような面差しだった。
そしてラウラを見るその瞳---------。
気高く、冷たくさえある、誇り高い瞳。冬の海、夏の砂漠の激しさのなかの厳しさ、そしてその厳しさがゆえに、なによりも美しく。
「---------」
ラウラは絶句した。なにか言おうとしても、何を言うべきか? この瞳の前に、何か言うことは無駄のような。
「行きます」
アスティはきっぱりと言った。なによりも毅然としていて、ラウラは何も言うことがで
きなかった。圧倒的な覚悟---------。そんな言葉が彼女の脳裏にちらりと浮かんだはずだ。
「そしてオレも行こう」
アスティは振り向いた。
「王……」
「砂漠戦争でイムラルを討ったのはオレだ。そしてそのイムラルの仇とギルメスとかいう男がオレを狙いリザレアを恨んでいるのなら、直接勝負してやる」
「……」
アスティはなにも言わなかった。ただ、悲痛に眉をひそめただけ。その顔はこう言っていた。自分さえいなければ、こんなことにもならなかったはずと。そんなアスティを諫めるかのように、彼はそっとその肩に手を置くと、ディヴァに言った。
「どうしたものかな」
ディヴァもうなづいた。
セスラスが言っているのは青葡萄の島までの交通手段だ。かの島は砂漠の向こうの小さな海の孤島。あの辺りは暗礁が非常に多く、船の墓場としてレヴラデスの漁師たちの間では有名だ。船で行くのには非常に危険を伴い、また時間もかかる。リザレアは海に面している王国だから船くらいはあるが、大きな船で行っては目立つため攻撃される恐れもある。
「いったいギルメスとかいう男はどうやって行ったものか」
セスラスのため息まじりの呟きを聞き取ってアスティとラウラが顔を見合わせた。
「……多分……」
「十中八九」
アスティがラウラにこたえた。二人はうなづきあう。
「陛下。シェイルが一緒だというのなら、手段はひとつ」
「---------」
「竜です。王」
「竜……」
「はい。シェイルは魔法院でも腕利きの竜の使い手でしたから。長老の命で先に行っているはずの仲間たちもおそらく竜で」
「急ぎましょう。復活は近いはずだわ」
アスティは呟いた。
雨は降り続いている。
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