かつての仲間 2
(……)
懐かしい思い出の数々……。
(確か彼は戦災孤児……)
(砂漠の出身で……大地の部族の闘争で両親が殺されたんだったっけ)
「……」
皮肉なものだ。今は自分は、その仲間のひとりの仇ともいえる部族の筆頭たる男に仕えている。
アリスが香茶の支度をして参りますと言って部屋を出ると、一人となってアスティは、ますます思いをあちこちに馳せてしまう。
今魚氷の月……。
あの運命のお告げ所の事件から二か月。あの後アスティとセスラスは、人知れず猛特訓を繰り広げた。巫女カーファジェナの言葉を信じて、まずは心話の訓練から。ひとくちで言い切れば簡単なものだが、実際はかなりしんどい訓練だった。まず渦の存在を意識して互いに心のなかで名を呼び合い、三日かかって声が届くようになった。普通に心話で言葉をかわすのには一週間かかった。最初はかなり短い時間だけだったが、今はだいぶ長時間話せるようになった。ディヴァの話によると、なにもしない状態だと相手との心話が可能だが、片方が[鍵]をすることによって、通信不可能な状態もできるという。
たとえば無防備な状態だと、セスラスはアスティに心話で通じることができるのだが、受け取るアスティが、今は入られたくない、と思うことによって、[鍵]をかけると、通信不能、セスラスはアスティとの心話ができないということになる。
「ふーん……なんか難しいの」
「やってみた方が簡単ですよ。やってみてください」
アスティはセスラスと顔を見合わせた。そんなこと言われたって……まともに心話するのだってあんなに大変だったのに、そんなに簡単にできるものか。声が届くまで三日間、一日六時間ぶっつづけで相手の名前を呼び続けてやってだったというのに。
「じゃあ……」
アスティは〈心話〉に入った。
〈本当にできるんでしょうか〉
〈やってみろ〉
心に直接セスラスの言葉が響く。ディヴァは黙って側で口元にうすい笑いをたたえながら見守っている。
(えーと……要するに今は王とお話したくない、と思うのね)
フツン、とおかしな音がした。
「え?」
アスティは耳を澄ませた。〈心〉の方も澄ませた。が、なにも聞こえない。が、肌の上になにか、空気が微かに動く程度の抵抗を感じる。セスラスが自分に話しかけているのだ。「これが[鍵]をかけるといいます。簡単でしょ」
ディヴァも様子を感じとって言う。
「心話はできてもプライバシーを守る手段ですね」
彼は言ったものだった。それからふたりは長距離の心話の訓練にかかった。最初は部屋を離れると声が小さくなったものだが、それは数時間で克服することができた。次に城の端から端の距離の訓練。半日かかったが、そのときはふたりとも心身ともにくたびれて訓練は続行不可能だった。次の日、何時間かかったかは計らなかったが、これもその日のうちにできるようになった。数日これを繰り返すと、最初は不鮮明だった相手の声が、くっきりと聞こえるようになってくる。二人は徐々に距離をのばしはじめた。城から城下町、城から城壁の外、城から海、城から他国、城からはるか空の上、城から北の果てレズンドまでも。二か月かかってだいぶできるようになったが、まだ遠距離での心話は声が遠い。 訓練がもっと必要だという。ふたりは時間を見つけてはこの訓練にいそしんでいる。
それに気になるのは、できることはこれだけではないと言った、カーファジェナの言葉だ。まだそれがなにかはわかっていないが、片方がはるか南のマハティエルに行っても心話ができるくらいになったとき、それもおのずとわかるだろう。
(マハティエル……)
セスラスの真の出身地だといわれる土地だ。昔はひとつであったアデュヴェリア、古代ローディウェールの崩壊と共に二分されてしまったアデュヴェリア、そして、なぜかアスティたちの住まう、この北アデュヴェリア、レヴラデスにしか石版を残さなかったアデュヴ
ェリア……。そして自分たちの渦がいた時代--------- 。
アスティはぎゅっと唇を噛んだ。こうして一人でいるとき、ふと思いついて、
「……ジルヴィス」
と呟くと、
パリィィ……ンン
という、クリスタルが砕ける悲しい音と共に、アスティの身体のまわりを黒い渦が取り巻く。十重二十重に、黒い霞のような渦が。ゆっくりと旋回し、アスティを取り巻く黒い
渦---------ジルヴィス。
(……)
アスティは悲しげに、あるいはいとおしげに、スッと目を細めて渦を見つめる。その瞳にはなにも映らない。ディヴァの言葉によると、特別なとき以外、渦は宿主がその名を呼ばぬ限りは、現われることはできないのだという。
「……」
アスティは窓の外の砂漠に目を馳せた。曇り空、霧のように降り続ける雨。
この雨は、海の向こう、マハティエルにも降っているのだろうか。否。
(遠すぎるもんね……)
アスティは海を見た。鉛色の海。冬の砂漠と冬の海は、どちらも美しく、そして厳しく人間に接する。
(---------)
マハティエル---------。
セスラスは本人曰く、ものごころつく頃から剣を握って生活してきた。普段は冒険者、或いは傭兵として、あちこちで腕を上げて行った。しかし彼が言う冒険の数々は、レヴラデスにはないような聞いたこともない王国の話であったり、存在することが考えられない、これも聞いたことのない古代遺跡の話ばかりで、本人は場所の名前は明確には言わないが、どうもレヴラデスではないように聞こえる。
また彼がここまで英雄となったものの、彼の出身地だと名乗りを上げる土地がないことと、彼の指導のもとに掘った井戸や、セスラスの構想をめいっぱい取り入れた王城アクティア・サンドデューンは、あまり北では見られない建築方法で、どちらかというとマハティエルのものに近いことから、流浪王の出身地は南のマハティエル大陸だというのが、レヴラデスではもっぱらの噂だ。
ディレムは天の部族の長老の息子でありながら、なぜセスラスに王位に即くよう勧めたのか、アスティは彼に尋ねたことがある。彼は相変らずの無表情だったが、いくぶん自嘲気味に眉を密かに寄せ、こう言った。
「まだ陛下が傭兵として大地の部族の側で戦っていた頃のことだ」
「---------」
「陛下は言われた。『ここは、美しい土地なのに人が大勢殺し合いをするんだな』。傭兵とも思えない言葉だった。あの瞳は今でも忘れない。強い、人を引き付ける目をしていた」
「……だから国王になるよう勧めたっていうの?」
「そうだ」
アスティは沈黙した。彼の目は確かだ。セスラスを見てただ者ではないと思ったのなら、彼もまたそれを見抜いた最初の人間だ。
「どうして自分が国王になろうとは思わなかったわけ」
ディレムはアスティを見た。
その瞳。
「---------」
アスティは己れの心のどこかが戦慄に近いものを感じていることを、悟っていた。その瞳、夏のリザレアの海よりも深く澄み。冬の砂漠のごとく気高い。
「私は国王の器ではない。陛下こそがこのリザレアの王にふさわしい。もとより王になるつもりなどなかったからかもしれない、私ではまとまらないと早い内からわかっていた」
「……」
しかしそのために、セスラスは己れの人生を選ぶことを捨て、またディレムは、一生彼を支え生きていくことを選んだ。自分は裏方の方があっているのだ、珍しく苦笑すると彼はそう言った。その性分だから王を国王にすすめたのでしょ、アスティが言うと、困ったように口元を歪めた。
「ねえ私たちは同志だわ」
アスティは砂漠を背に言った。
「同じように裏に回ってあの方を支える者どうし」
微笑むアスティはディレムにはどのように映ったであろうか。
日は過ぎていく。
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