かつての仲間 1
1
雨期がリザレアを訪れようとしていた。リザレアは一週間ほど前から、霧のような雨が毎日降り続いている。雨の粒は見えぬ、しかしひとたび表へ出れば、しとど濡れる己れの身体に、しばし鉛色の空を見上げたくなる。
「うっとおしい雨ですね」
アリスが窓を見ながら、ため息まじりでそんなことを言った。本を読んでいたアスティはそんな彼女の声に顔を上げてこたえる。
「あらいいじゃない。ちょうど雨期だし、ここしばらく乾いた風が吹いていたから、これで安心ってとこね」
「そうですけど……」
若いアリスは言葉をにごす。アスティはそんな彼女の言葉に視線を砂漠へそらし、霧霞たちこめる窓の外へと目を馳せた。
(……)
こんな雨の日は、あの日のことを思い出す---------。
あれはいつのことだったか、アスティが十三、四の、まだ院生の時代であった日。西の湿地帯付近に逗留していた魔法院は連日霧雨のような雨に見舞われ、その日は、週に一度の週末の休院日で、院生たちが一日を好きなように費やすことのできる日だった。アスティは読みかけの本を今日こそ読んでしまおうと、朝から自室にこもっていた。同室のラウラは食事のあとどこかへ行ったきりだ。モムラスと会っているのだろうか。
ふとアスティが顔を上げ、窓の外を見ると、薄明るく空が曇っている。霧雨は音もなく魔法院を濡らしている。アスティはこころ落ち着く静かな光景にほっと息をついた。
「アスティ!」
「ひゃっ」
突然バン! と開いた扉の音と、ラウラの物凄い声にアスティは飛び上がった。
「な、なに……どうしたのラウラ」
「ちょっと聞いてよ!」
「……モムラスと喧嘩でもしたの」
「違うもん」
「じゃあリューンがとうとう女になったとか」
「……違う」
「うーんじゃあミーラが浮気やめる宣言?」
「違ーうっ」
「怖いラウラ」
ラウラはアスティに詰め寄った。
「聞いてよ! ううん、それより来た方が早いや。一緒に来て!」
「えええええ……ちちちちょっと」
無理矢理腕を掴まれてアスティは焦った。一体なにをしようというのだ。それに自分の腕を掴むラウラの手は冷たい。いったいこの雨の日になにをしていたのだ?
「私は本を……」
「いいから」
カラーン……
『太陽の広場』に連れてこられたアスティの耳に、澄んだ音が響いた。
「何……?」
アスティは頭上に飛来した大きな影にも気付かず多くの同年代の仲間の人だかりを見つめた。
ヒュン……
ュウウ……
「ああ……」
アスティはやっと合点がいったようにひとり呟いた。白い息が目の前を染める。
「竜……」
「そうなんよ。みんなで練習してたんだけどさ……あいつが来て……」
「……あいつ?」
「そう……あ、ほら下りてきた」
広場の中央に二頭の竜が下りてきた。ひとりはアスティもよく知っている仲間で、手綱を持ちながらも訓練しているはずなのに槍を持っていない。もう一人は自信満々といった感じで口元に笑みを浮かべた少年で、彼にもアスティは見覚えがあった。確か竜の授業課程ではかなりの腕だとか。
「ふん、そんな程度か。たまらないな、そんなんでオレと勝負なんて」
少年が槍を持っていない方の仲間に言った。嫌味たっぷりだ。
「うわー……すごい自信」
「でしょ? でしょ? 嫌な奴でしょ?」
「ラウラ……彼に負けたの?」
「えっ……そ……んなことないけど」
「……」
アスティは疑わしげに彼女を見た。あやしい。
「ふん、オレにかなう奴なんていないな。情けない」
少年が吐き捨てるように言った。ラウラの顔がムッとしたものになり、アスティの腕を掴むと、
「ちょっと待った」
と、仲間をかきわけて少年のもとへ行った。
「えっ……」
「この娘があんたの相手だよ」
「えっ……」
少年が眉を寄せた。
「女じゃないか。勝てると思って言ってるのか」
「ふーんだあんたなんかねーっこてんぱんだかんねっ」
「……なんだか話がおかしな方向に……」
ラウラがアスティの方をキッと向いた。
「アスティっ。絶対勝ってねっ」
「勝ってって言うより勝手だけど……」
アスティは呟いた。興奮状態のラウラは聞く耳もたない。少年はアスティの方を馬鹿にした目で見ている。口元にはあのにやにや笑い。
「……」
「で? やるのか? 恐いならいいんだぜ」
「むっ……」
アスティもムッとした。元々負けず嫌いな性格であるから、ここまで言われて引き下がるわけにもいかない。
「しようがないなあ」
と言いつつ、前に出て少年に、
「いいわ。勝負ね」
言い、印を結んで異空間から竜を召喚した。アスティの詠唱に従って、虚空にぽっかりと大きな穴があき、その向こうから一頭の竜が舞い飛んできた。低く鳴いてアスティのもとに翼をたたむ。
「よしよし」
竜の頭をなでなからアスティはラウラを見た。
「槍は?」
「ん」
槍を手渡され、アスティは騎竜した。フワリと風をはらんで、アスティと竜は霧雨たちこめる上空へと舞い上がった。先程の少年もすぐに追い付いている。滞空のまま二人は睨みあった。
「あなた……まだ名前知らなかったわ」
「……」
「私はアスティ」
「---------シェイルだ」
彼は霧霞の向こうから言った。
「シェイル・ミトラス」
「アスティ・アルヴァ・ラーセよ」
アスティは苦笑いして槍を構えた。アスティ、口のなかで繰り返して、シェイルは自分も槍を構えた。
「アスティ---------ッ!」
下ではラウラが叫んでいる。
「絶対勝つのよーっ!」
「また勝手なことを……」
呟くアスティに、シェイルは言った。相変らず人を馬鹿にしたような笑いは口元から消えない。
「まったく女のくせにオレと勝負か? いい気なもんだな。勝てるわけないんだよ」
「……」
アスティは黙って槍を構えた。手綱を引き、呼吸をとらえて突進する。
キィン!
ガッ!
幾度も槍がぶつかり合う音。アスティとシェイルは白い息を吐きながら上空で睨み合った。アスティは槍を一層強く握り手綱をグッと引く。下で見守る幾人もの仲間たちも、白い息を吐きながら固唾を飲んで勝負を見つめている。
---------!
シャリィィィン!
シェイルの槍が飛ばされた。アスティの竜がギャア、と低く鳴き、アスティは竜の首をぽんぽんとたたくと、
「じゃ、私の勝ちね」
淡々とシェイルに言い放ち、痺れる手を押さえたまま茫然とする彼を残して下へ降りたった。竜を元のとおり異空間に戻すアスティのもとにラウラが駆け寄ってくる。
「アースーティー! さすがわが友。素敵」
「ラーウーラー」
アスティはひく、と引きつりながらラウラに詰め寄った。
「な、なによ」
「あのねー。自分で始末してよ、こういうことはさ」
「だって」
「だってもなにもないわよ。びしょびしょじゃない。今からお風呂入ってくる」
アスティはラウラをじろりと見上げた。
「今週の当番代わってよね。当然」
「えーっ? あんた今週食堂でしょ? 勘弁してよ」
「だーめ。決まりね」
「アスティー待ってよ」
言いつつ去っていく二人、微笑を浮かべて見守る仲間たち、そして下りたって、茫然と立場のないシェイル。そんな彼の肩をたたいて、笑いかけたのはアスティとラウラの仲間のマキアヴェリとリューン、シルヴァの三人だった。シェイルは彼らの顔を見、マキアヴェリが安心させるように笑い、肩を並べて広場から離れる。シェイルのそれからの態度が豹変したという噂は、アスティもそののち聞いた覚えがある。
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