白と黒 6
5
セスラスとアスティ、王妃とディヴァは扉の向こうに入っていった。中は広かった。楕円形の石のホールで、階段を数段のぼった正面に大きな祭壇がある。そこにあるものは最初石の彫像かと思っていたが、祈りを終えてやがて立ち上がりこちらを向いたのを見て、初めて人間だということに気付いた。
長い銀の髪。腰にからまり、地に這ってもまだ足りないほど長い銀の髪。銀の刺繍の入った白い服を身に纏い容姿は世の静寂を一身に集めたがごとく。
(……あれ?)
アスティの心のどこかになにかがひっかかった。
(このひとどこかで……)
しかしアスティの思考を遮るように女性はにっこりと笑って言った。
「ようこそ、運命のお告げ所へ」
ディヴァは大きく、大きく息を吐いた。まさか自分の代で、ここにこようとは。
「運命の……お告げ所……」
「そうです。ローディウェールの昔ここは神殿から派遣された場所だったのです。自らの持つ運命がどのような性質か、どのような使命を背負っているかを、正しく人に教える場所でした。わたしは神殿の巫女・カーファジェナ」
言うとカーファジェナはゆっくりと降りてきた。アスティにはまだ思い出せなかった。 絶対にどこかで会ったはずだ。この姿、この声。
カーファジェナは四人の側まで来るとにっこりとアスティに笑いかけた。それで思い出した。
「あ……!」
アスティはもう少しで叫びそうになった。
(このひと……!)
この女性は---------あの日!
《行きなさい。『沈黙の丘』へ……!》
「! ---------」
このひとはあの日自分の夢に出てきた女性だ。砂漠戦争の後悲しみと絶望に打ち拉がれて生きた骸となっていた自分に、セスラスにまだ男を知らぬ身体だと言えと、そして自分がもういい、これ以上彼に嫌われるのが恐ろしいと言ったときに一言、『沈黙の丘』へ行け
と、そこにこたえがあると言って消えた女性---------!
(なんてこと……!)
アスティの驚愕を尻目にカーファジェナは口を開いた。
「ようこそいらっしゃいました。古代王国『運命の領域』最大実力者のお二方」
ビクリ。
セスラスとアスティの身体が震えた。自らの意志ではないゆえに、二人は戸惑った。
「呪われた運命……」
アスティの身体の内側が小刻みに震えた。それは、まるでアスティの中に憑いているなにかが、彼女のなかから出ようとしているかのようだった。
「善なる運命……」
同じくセスラスの身体の内側が震えた。やはり彼のなかに憑いている別のものが彼のなかから抜け出ようとしているような感触だった。
「お二人の名前を……」
カーファジェナの瞳がフッと細められた。何千年もの間制約の名の元に封じられてきた名前、渦の名前。
「黒……呪われた運命は---------ジルヴィス」
パリィィ……ン
「あっ……」
突然クリスタルが砕けたような悲しい音がした。気が付くとアスティのまわりには、濃い霧状の黒いものが、円となって彼女を取り巻き、ゆっくりと回転していた。
これが私の呪われた運命のかたち……?
アスティは戦慄した。
「白……善なる運命は---------ジルヴェス」
パァア……ンン……
「---------」
そしてまた何か、今度はうすいクリスタルが指で弾かれたような音。セスラスのまわりに濃い霧状の白いものが、やはり円となって彼を取り巻きゆっくりと回転していた。
「ジルヴィスとジルヴェス。
二つは対」
制約が解かれた!
言霊は目に見えぬ衝撃となって世界を駆けめぐった。ありとあらゆる木々、草、風、光にすら、制約が解けたことを告げ回った。
迷いの森では---------。
『……おお……!』
『制約が……』
『制約が解かれたぞ……!』
『ジルヴィス!』
『ジルヴェス!』
『なんと永いこと待ちかねたことか!』
お前たちの名を呼ぶことを---------!
北では---------。
「あ……陛下……!」
「うむ……!」
緑の髪の国王は強くうなづいた。
「制約が解かれたぞ……!」
東では---------。
「陛下。---------これは……!」
「やったようだな……!」
王の銀の目がきらりと光った。
そして西では---------。
「---------!」
「なんと……陛下……!」
「制約が……?」
制約が解かれた!
この事実は古代の記憶を持つものすべてに驚愕となって襲った。三大国家の国王達、各地の預言者たちは戸惑い恐れ、魔法院の導師たちは、安堵のため息をついた。
制約が解かれたのだ!
「私は神殿の最後の巫女です。王国の崩壊するときに時を待ちここであなた方が来るのをずっと待っていました」
外の嵐のような見えない驚愕に気付きながら、カーファジェナは気付かないふりをして静かに語り始めた。
「制約。制約とは、あなた方の運命のことです。運命自身のことなのです。運命の名は制約のもとに長の間秘されてきた。ふつう、人間を取り巻く運命というものは形をもちません。『運命の領域』という、運命体のものだけが入れる領域の特定の波動を受けないかぎり形になれないのです。運命というものは、特定の人間の運命の道を担っているとき形になることはできないのです。
ジルヴィスとジルヴェス……あなた方を他においては」
「……」
「二つの運命は協同体です。光があるから闇があり闇があるから光があるように互いの存
在で成り立っているものなのです。運命が宿る人間のことを宿主といいます。ふたつは永い間宿主を持ちませんでした。ふたつの運命の強烈さに耐えられるほどの人間が誕生していなかったからです。またそんな人間がたまにどこかに生まれても、たいていそれは一人なのです。片方が釣り合う人間に宿っても片方がふつうの平凡な人間ではとても耐えられないのです。ジルヴィスとジルヴェスは永い間自分たちの強烈な能力が宿ってもびくともしない英雄性質をもつ人間を待ち続けた……いつの時代にも英雄はいます。でもいつもそれは一人だった。同じ時代に同じだけの器を持つ英雄が二人生まれるなんてことは千に一度、万に一度……いいえ、億に一度だってないのです。しかしふたつの運命は宇宙の生み出す偶然をひたすら待った……そして王国の崩壊……ふたつの名前は制約に封じ込まれました。名を呼んでは、渦の制御の仕方を知らない宿主に大変な危険が及ぶのも然り、そしてそんなことをしては、時が熟してもいないうちに渦がひどく不安定なものになるというのも、……然り。そしてあなた方の誕生……セスラス殿にジルヴェスが。
少し遅れてアスティ殿にジルヴィスが。そしてふたつの運命は宿主の運命の道を開いていきました」
「---------」
「---------」
アスティとセスラスは硬直した。カーファジェナはそれから王国と運命の歴史を話していたが、それとは別に、巫女の声が心に語りかけてきたからだ。
《あなた方だけに話しておかなくてはなりません。なぜ今まで、あれだけの災害や不幸を招いてきたかを》
アスティとセスラスは黙っていた。何か言うにも、何も言えなかった。
《ジルヴィスとジルヴェスのことは王国でも有名でした。その凄まじい実力は、魔法王殿でも一目おくくらいでしたから》
魔法王は長老が仕えていた王のことだ。そんな人間が?
《ふたつはいつも言い合いをしていました。でも周囲には、それは慕いあっている者どうしが、照れを隠すために相手を罵っているのと同じに見えたのです。相反する性質を持っているからか、ふたつの争いは絶えませんでした。でもふたつは、ふたつの運命は、相手を愛し合っていたのです》
「---------」
「---------」
《王国の崩壊……それは別れの時。ジルヴィスとジルヴェスは住みかであった『運命の領域』を失い時のはざまにひっそりと隠れていなくてはならなかった……宿主がみつかるまで。それは永い永い年月でした。ずっと側にいたものがもういない……ふたつの嘆きは相当なものであったはずです。そして現在……やっと偶然が生み出した偶然のもと宿主に宿ってはみたものの、お二人はなかなか出会おうとしませんでした。セスラス殿は南の大陸に。アスティ殿は魔法院で修業を。やっと二人が出会おうという一年修業の時、リザレアは戦争の頂点にあってとげとげしい空気がうずまいていた。そのためアスティ殿は予定より少し早くリザレアを発った。今度こそ会える……そう期待していたジルヴィスとジルヴェスは驚愕したことでしょう。なにをしている、そちらではない、どうして留まらないと、そう言いたかったはずです。その間それでもふたつは自分の性質を発揮しました。セスラス殿は善なる運命の性質を受けてどんな悪運も跳ね返す強力なちからを。アスティ殿は呪われた運命の性質を受けて周囲を不幸に見舞いながらも強力な運を。ですがそれだけではないはず。ふたつが離れたとき、ふたつは悔しくて地団駄踏んだのです。側にいればこのまま望まれた形となるのに、どうしてお互いにあちこちへ動くと、駄々をこねたのです。子供が駄々をこねると物が壊れます。その物が壊れた状態にあたるものが災厄というかたちででたのです。ですからお二人が離れ離れになったときは災厄の程度がいつもより大きいはずです》
カーファジェナの心話は続いていた。そして声の方の話も、とても興味深いものではあったが、二人は聞くふりをしていた。
《これからお二人は心話が可能になるでしょう。訓練しだいではそれ以上のことも可能になるはずです。古代王国の昔は珍しいことではなかったものですが……今となっては絶対不可能な心話の方法は、渦を媒介として可能になるはず。
……これから今まで以上のことがあなた方を襲うでしょう。それはもう、ふたつの運命の宿主であるという以上は、逃れられない事実なのです。ですが今までのように、ただ渦の起こすことに翻弄されることはありません。本来は、宿主が主、運命がそれに従うのです。あなたがたは運命の名前を知らないばかりにその逆の立場を取り続けてきた。ですが今、こうして渦の名を知った以上は、あなた方が渦の制御をするのです。
渦の名を知った者は自由に渦を具現化できます。そういう人間のためにここ運命のお告げ所はあったのです。ですがもうそれも終わり……》
ゴゴゴゴゴ……
「!?」
四人は動揺した。小刻みに洞窟が揺れ始めていたのだ!
ゴゴゴゴゴゴ……
「お行きなさい。間もなくここは崩れます。先程の守護者との戦いのときに爆発した、あの時にどこかにひびが入ったのでしょう。あそこから……」
カーファジェナがスッと腕を伸ばして壁を指すと、そこにはいつのまにか出口が口を開けて彼らを待っていた。
ゴォ……
パラ……
パラ……
天井が崩れ始めた。
「さあ早く……」
「--------- 一緒に!」
しかし巫女は首を静かに振った。
「いいえ……私は神殿の巫女です。そして最後の巫女。お告げ所と生死を共にします」「そんな……!」
ゴゴォォオオ……!
「早く……! 行ってください……!」
パラ……
パラリ……
崩れ落ちる天井とカーファジェナの言葉に急き立てられるようにして四人は出口へ走った。
(ひとつ聞いても……?)
まだ心話のやり方がわからないので、無理を承知でアスティは心の中で聞いた。
(どうしてあの時助けてくれたの……?)
《それはあなたがとても苦しんでいたから。その方を愛しているのにそれを言えない立場にあったから。一人で、とても淋しそうだったから》
「アスティ!」
「は、はい」
アスティはカーファジェナを見てそれから一気にセスラスの待つ出口まで走った。ディヴァと王妃は先に行ったはずだ。そしてその出口の横の壁に、なにか刻まれているのを、二人は見た。
白と黒が重なるとき、時は来たれり。
セスラスとアスティは後ろを振り向いた。カーファジェナはこちらを見ていた。崩れ落ちる天井。
《お二人に幸運を……》
「カーファジェナ!」
彼女は笑っていた。美しい、曇りのない笑顔だった。
《名を告げるため……名を告げるためだけに……》
「---------」
「---------」
《何千年も……たったこれだけのために……---------一人……で……》
「カーファジェナ!」
ゴオオオ!
二人の目の前で天井が崩れ落ちた。
でも司祭さま……やっとあなたと仲間のもとへ行ける……
「アスティさん!」
二人はハッとした。出口を入ったすぐのところにには小さな階段があって、天井に銅の扉がついていた。どうやっても動かず、ディヴァが魔法で動かそうとしても、びくともしない。崩れた天井が出口の側まで落ちてきて粉塵をまきちらした。ここも危ない。
私は巫女……見事につとめをはたすことができた……
「どいて……!」
アスティはディヴァを押し退け両手を扉に押しつけた。
ヴ……ン
アスティの両手が光りなにかが唸る。
「出口が!」
ディヴァが悲鳴を上げた。崩壊はここまで来ている。出口はもう塞がれ、その出口の側の壁や天井も崩れようとしている。
「せっ!」
アスティは力まかせで魔法を両手から放出した。
---------ドン!
アスティの目の前とすぐ後ろで天井が崩壊した。
アスティが今いた場所が崩れ落ちた時、四人は辛うじて上空にいた。
「ま……間に合った」
アスティのぎりぎりの魔法がきいたのだ。
上空から、彼らは山がしばらく揺れている様を見ていた。こうして秘密は永遠に守られる。最初に入った洞窟の入り口も今は姿が見えない。
《何千年も……》
「……」
自分たちに渦の名を告げるためだけに生きてきた巫女・カーファジェナ。
ゴゴゴゴゴ……
一同は言葉もなく、山が揺れ続けているのをずっと見ていた。
洞窟は、崩壊した。
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