白と黒 2
「なりませぬ!」
第一声は予想していた通りだった。アスティは自分が叱責されたような気がして、じっと目を瞑った。立ったままのセスラスの両隣にはアスティと王妃、そしてアスティの隣にはディヴァがいる。
「またも旅に出ると!?」
「旅ではない探索だ」
「しかもアスティ殿だけでなく妃殿下と預言者殿もご一緒ですと!?」
「だめです!」
「絶対なりませぬ!」
「その間の公務はどうなさいます!」
「王……」
「任せろ」
二人は短く囁きあった。
(やっぱり無理だ)
(私一人で行くべきだ)
アスティは口々に反対を唱える長老たちを見て思った。導師たちは確かに二人で行けと言った。しかし自分が呪われた運命を持っている以上、そして渦がまだ己れの存在のために自分を必要としている以上は、一人で行っても大丈夫なはずだ。今までの経験から推して、アスティは思った。
(一人で行こう)
アスティが決心して息を飲み、口を開こうとしたときだ。
「---------長老がた」
セスラスが突然---------そう本当に突然---------静かな口調で言った。
強くて、低いのに百の人間の罵声すら制してしまうような重圧感があった。聞いたこともない声の調子に、アスティは思わずセスラスを見上げた。
「---------」
アスティの知らない彼がいた。強い瞳だった。今まで、こんな怒ったような、それでいて森のように寛容と静けさを合わせ持った瞳の彼を見るのは、初めてだった。後でディレムの語ったところによると、ディレムが彼を見出して長老たちの前に連れて来、改めてディレムが彼を国王に推し、そして彼が自らの口より発した、リザレアの発展と平和に全力を尽くすといったときの、あの瞳だったという。
「う……」
長老たちの閉じぬ口がいっせいに咆哮をやめた。セスラスがこういう瞳をするとき、彼はなによりも本気なのだ。千の言葉、万の信頼よりも、彼は本気を瞳に現わす。この光が彼の瞳に宿るとき、周囲は国を挙げても彼を止めることができないことを知る。
「二週間も留守にしないことを最初に約束しましょう。そして全員無事で帰ることも」
既に行く気でセスラスは続けた。
「ディレムがおります。それに今は一番公務の少ない時期。納得していただきましょう」 言うと彼は、安心させるように、一人で行くと言おうとしたアスティの心を見抜いていたように、口元を微かに歪めて笑って見せた。
3
到着した場所はアスティが魔神マイルフィックを倒伐したときに、魔神が背にしていた山の内のひとつだった。院長に言われた洞窟は、その奥の方にあってぽっかりと口を開け彼らを待っていた。
「---------あれが……」
〈飛空〉の呪文を終えて大地に降りたったアスティが白い息を吐きながら呟いた。
「ディヴァ、大丈夫か」
後ろではセスラスがディヴァに語りかけている。
「ええ。余裕ですよ。先代のときはここでぎりぎりだったみたいですけど、少し範囲が広がっています」
石版の範囲能力のことを言っているのだ。預言者は石版の『源石』から自らの魔法能力を得る。自分の守る石版の範囲からはずれた場所にあっては、ただの人なのだ。
「では行こうか」
一行はセスラスを先頭に、不気味に風吐く洞窟へと、向かっていった。
中は暗かったが、それは前もって予想していたので先頭のセスラスと最後尾のディヴァが松明を持つことになった。せまい一本道で、どんどん地中奥深くまで行っているのは空気の冷たさでわかったが、時々穴のあいた天井から、地上の月の光が一条の細い光となって届いているのが、あちらこちらで見ることができた。
アスティは単調な一本道を歩きながら、まだ少し動くと痛む胸の傷でケスイストⅢ世の言っていたことを思い出していた。
(……奴ら、とは……?)
明らかに彼には別の協力者がいるということは、ラウラがノスティから発とうとした時起こったことと、自分の手枷の魔法封じの文字でわかった。どちらも、大きな都市の領主とはいえ一介の男にできることではない。アスティもラウラも、上位魔導師なのだ。
何か大きなものが後ろにあるはずだ。そして自分と、セスラスと、そしてリザレアを狙っている。一度だけではないはずだ。絶対にこちらの息の根を止めるまでどんな手を使ってでも同じことをしてくるに違いない。しかし、「奴ら」とは……?
しかしせっかくそこまで考えたアスティの思考もそこで止まらざるを得なかった。突然前を歩いているセスラスの足がとまり、彼の背中といわず全身から、殺気がみなぎっているのを、戦士の勘で気付いたからだ。顔を上げると少し行ったところが大きく円状に開けていた。敵はその開けた場所の向こうの、また狭い一本道から、無数の赤い光を瞳に宿し、こちらに近付いてきていた。セスラスは黙って松明を前方に放り、抜刀した。アスティもそれにならった。
セスラスは敵に攻撃される前に円になっている広場へ進んだ。アスティも王妃もそれに続いた。ディヴァは静かに呪文を詠唱した。洞窟ゆえに、派手な魔法は崩壊の恐れがある。
「---------」
敵の数はわからない。まだ見ぬ道の向こうから、ぞくぞくとなだれこんでくる。ゴブリンだ。体格は通常の二倍ほどもあった。決してあなどれない。
向こうが牙を剥く一瞬前にセスラスが攻撃を開始した。アスティもそれに続く。いくら斬っても数は一向に減らなかった。王妃は大丈夫かと思ってちらりと見たアスティであったが、平気のようだ。殊勝にディヴァも側にいて戦闘を助けている。あれならディヴァがいなくても大丈夫だろう。
風をきる音、飛び散る紫の血、咆哮する声、アスティはどれだけたったかもわからずにゴブリンを斬りまくった。
(---------埒があかない!)
アスティは剣を振り回しながら呪文を唱え始めた。それを聞き取って、ディヴァも同じく唱えはじめ補助にまわった。
「〈塵芥〉!」
アスティとディヴァがほぼ同時に唱え、突き出した手から黄色の光がゴブリンの群れの中に入ったかと思うとすぐに消え、一瞬の沈黙のあとに、
バババババッ!
一気に群れの間に爆発した。迸る魔法を逃れ、それでも五、六匹が前にいるセスラスとアスティに突進してきた。
同時に三匹の攻撃を受けとめたアスティは、さすがにこらえきれなくて二、三歩下がった。なにしろ相手は本来が馬鹿力の上体格は通常の二倍だ。
「……っ……」
アスティは剣を薙ぎ払って横薙ぎにゴブリンを斬った。返り血がバッとかかり、のけぞりかかっていたこともあってアスティは後ろに大きく倒れた。そこはちょうど、なだらかに曲がった壁の辺りだった。
「!」
倒れる瞬間アスティは壁のなかに埋め込まれた無数の壺を見た。しまった、思った時には、もう倒れていた。
「きゃあああっ!」
埋め込まれた壺からおかしな瘴気がアスティを捉えていた。アスティは刺すような鋭い痛みではなく気の遠くなる鈍い痛みに歯を食いしばっていたが、
「! ---------」
一瞬の集中ののち目を見開いて壺を狙うと、無数あった壺の数々は次々と
という音と共に割れ、アスティはやっと解放された。
「アスティさん!」
「……」
アスティは放心して壁のあたりを見た。
「瘴結界……随分と古風な……」
「アスティさんてば。しっかりしてくださいよ。腕から血が」
「あ? ああ。どうりで痛いと思った……」
「またそんなこと言って……早く出してください。瘴結界なんて……ほっといたら傷口から腐っちゃう」
「はいはい」
アスティはくすくす笑いながら腕を差し出した。腕は大きく裂け傷口の血はどす黒い。 ちりちりという痛みにアスティはそっと息を吐いた。暴れだしたくなるようないらいらする痛みなのだ。セスラスと王妃も寄ってきてかがんだ。
「大丈夫か」
「はい」
「念のいった罠だな。気をつけなくてはならん」
やはりなにかあると、セスラスはこの時直感した。
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