白と黒 1

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 砂漠の冬はいよいよ厳しい。花殺しの月に入ってすぐに、砂漠にはちらほらと雪が降る日も増えた。雪を見て、アスティは思い出した、去年はまったく別の場所で雪を見たということを。

「ああ、去年はレズンドで雪を見ていたんだったわ」

 アスティは独り言のように言った。側にいたディヴァが、おやという顔でアスティを見る。

「レズンドに?」

「ええ。まだ王に追い付けない頃。あの時はもう半ば諦めてたかな」

 そう言うとアスティはとても辛そうな、悲しい目をした。あの時は、まだ夢を見ることができた。独り身のセスラスの側にいて、光栄だった、幸せだった。

 そんなアスティの横顔を見て、ディヴァの表情は複雑だった。

 あなたの心のなかは、もっと激しい吹雪が吹き荒れているのに。自分は見てしまった、垣間だがアスティの深い深い心のなかを。そしてそこで見たことは、よほどのことがない限りは絶対に人には言わないつもりだ。しかし少年の予想に反して、彼がそれを口にする日は、そう遠い日のことではない。

「あっと……アスティさん、そろそろ」

 ディヴァは立ち上がりながら言った。そろそろ玉座の間に行く時間だ。アスティはため息まじりで

「やれやれ」

 と言いながら立ち上がった。

 謁見の数はそうなかった。花殺しの月で砂漠も冬に入ったし、冬は冬眠を連想するほどの静けさだ。

「つまらん」

 肘をついてそんなことを国王が呟き、思わずくすりと笑ったときのことだった。

「? ---------」

 地震!

 アスティが思った瞬間、凄まじい揺れが辺りを覆った。アスティには立っているのがやっとだったが、横のディヴァは立てずに倒れてしまったほどの揺れだ。一分ほどの揺れで長いとも短いとも見当がつきかねた。

「!?」

 必死に揺れに耐えながら、アスティは玉座のセスラスにおかしな幻を見た。

 雪。いや……白い……これは霞?

 それがおさまったとき、辺りはシンと静まり返り、一同は起こった出来事にまだ頭が理解できず、放心しているのみだった。

 しかしすぐに我に返ったのはディレムとアスティだった。

 アスティが見た霧のようなものは、もう見えなかった。

「陛下、すぐに被害報告を」

 まずディレムが言うと、続いてアスティが、

「右地区は私が」

 言うや、月番で王宮に登城している勇女軍の者とマンファルスに、

「ついてきなさい」

 そう言って、一番に王宮を出た。右地区とは王宮にまっすぐに通じる中央公道を真ん中に、王宮から見て右を右地区、左を左地区と呼んでいる。

 地震の被害はひどかった。アスティは勇女軍全員を率いて国民の救済に当たった。勇女軍の寮は全体の壁が柱代わりになっている造りで、石でできているから倒壊はまぬがれたが、国民の方はそうはいかなかった。今まで地震があることすら珍しかったというのに、こんなことは初めてだ。倒壊した家屋の下敷きになった者もかなりいた。リザレアはもてる人員を総動員して救出にあたった。アスティは魔法でまとめて砕けた家屋を持ち上げたり、粉々にしたりして次々に人々を救った。幸い、年々激しくなる砂嵐にそなえて、ほとんどの家庭が石の家に作り替えていたので、被害は思ったほどではなかった。

 アスティがすべてを終えて王宮に帰る頃は日も暮れていた。アスティは報告を終えると、部屋に帰り疲れたため息をついた。



 魔法院からの召還命令がきたのは地震の被害の始末を終えた頃だった。短い文面で、至急帰還せよと記されていた。アスティは許しを得て王宮を出ると、竜を異空間から召喚してまっすぐ魔法院に向かった。時間が導師の説教の時間にあたっているのか、魔法院は静かだった。アスティが院長室に向かうと、院長オルネスミティニウスと師・カペルが彼女を待っていた。

「おおアスティか。久しぶりだ」

 まずそう院長はアスティの帰還を手放しで喜んだ。次いでアスティの困惑した表情に気が付いて、うむ、と呟いて師とうなづきあい、おもむろに言った。

「アスティ。リザレアで地震があったそうだな」

「……」

 アスティは沈黙した。いくら魔法院でも情報が早すぎると思ったのだ。

「どうして知っているのかという顔だ。実はあの地震は起こるべくして起こった。あれが合図だ」

「合図……なんのです」

「---------運命のだ」

「運命……---------私の? 呪われた運命の?」

「そうだアスティ。長い間保たれてきた制約。それを解く日が来たのだ。そしてそれは自らで解かねばならない。地震で近くに洞窟ができたはずだ。地震で山肌が崩れて姿を表したのだ。元々洞窟を現わせるために起こった地震といってもいい。そしてアスティ、制約を解くためには、呪われた運命と対なる者もいかなくてはならない」

「---------王も・・?」

「そうだ。対でこそお互いが成っているというのに片方だけで行ってどうする」

「…………」

 しかしアスティは長い間沈黙していた。今までとは変わってしまった多くの状況が、アスティにセスラスと二人で行くということをためらわせた。王妃もいる。公務もある。そしてなにより重鎮たちがそんなこと認めないだろう。彼が外にでることも、アスティと二人だということも。

「---------行かなくてはいけないのですか?」

「アスティ」

 横からカペル師がいさめるように言った。

「だって……制約と言われてもよくわかりません。それに、別にどうしても解かなくてはいけないのでもないような気も。大して変わらない気がするのです」

「アスティ。渦も限界なのだ。何千年の沈黙に耐えられなくなって、渦自身が機会を見て起こした地震なのだ。呪われた運命と善なる運命が供託してな。これ以上はもたない。行かなければ、許容を越えて渦は手がつけられなくなるぞ」

「……」

「アスティ。長老のご命令だ。行きなさい」

 長老を引き合いに出されては、いかなアスティも所栓は上位魔導師、逆らうことはできなかった。

「……はい」

 アスティは小さく答えて、静かに部屋を出ていった。そんなアスティを見ていたカペル師は、院長に向かって静かに言った。

「院長。本当にあれでいいのか」

「カペル。お前もローディウェールの時代のあのふたつの渦を知っているはずだ。アスティという媒介を得て、いつになるかいつになるかと内心いつも心配していたよ。いつまで耐えられるかとな。しかしアスティの心のなかを思えば頃合かもしれん。これしか方法は

ないのだ。---------ふふ、見ろ。時空の向こうからあの女がこちらを睨んでいるぞ」

「---------」

「じきに睨まれずに渦の名前を口にすることができる。しかもその時期はすぐそこだ。しかしそれまでは、制約に従って静かに、あの二人を見守っていよう」



 しかしリザレアの状態を見ているとどうしても言い出せないアスティであった。

 それに、セスラスに何と言って旅立てばいいのだ? 運命の正体がわかるから一緒に旅に出ましょうとでも? 二人でいかないと意味がないからお願いしますとでも? そして二人して、己れの立場をわきまえずにまた国を出てしまおうとでも? アスティには言えなかった。自分の立場をわきまえずに、したいことをするだけしてしまうほど、アスティは子供ではなかった。確かに渦の正体を知りたい。今まで自分を苦しめてきた渦。呪われた運命の正体がわかるという。制約とは? いったい導師たちは何を知っている? アスティは迷った。言いたくない。だけど言わなければ自分の長年の疑問も悩みも苦しみも解消されない。ではいつものように黙って、我慢していればいいのだろうか。しかしこればっかりは融通できないような気がした。やっぱりいつものように自分が耐えればいのか?  アスティの悩みは一週間にわたって続いた。導師の、長老の命令だ、逆らうことはできないし、でも自分の気持ちも考えてほしい。アスティは悩んだ。悩み悩んで、やはり言うのはやめようと決心したとき、アスティは国王の私室に呼ばれた。

「お前……ずっと隠してたな」

「は?」

 セスラスはぱらりと書簡を見せた。

「あ……」

「あ……じゃない。重要なことが書いてあるぞ」

「……」

 アスティは言いわけできなくて黙った。セスラスもなぜ彼女が黙っているかがよくわかっていたので、強く責めることはできなかった。彼女はまたあの日のようになるのが恐いのだ。辛うじて保っている自分の最後の理性、すでにあの時のようにセスラスは独り身ではないがゆえにアスティは恐れているのだ。あの日、自分は国王ではなかった。そして独り身だった。では、あの時国王だったらと聞かれれば、やはり彼女を抱いていただろう。だれにも縛られる者ではなかった。しかし今妃という伴侶を迎えた以上は、自分はもうあの日の自分にはなれない。戻ることはできないのだ。それは倫理の問題で、そんなものは無視してしまえと言われればその通りなのだが、しかしそれを破ってしまっては、二人は今まで築いてきた己れをすべて失ってしまう。セスラスにはアスティの気持ちがよくわかった。

「アスティ」

「王。私は長老がたが許してくださるとは思いません」

「アスティ……」

「---------知りたくなど……ないのです」

「---------」

「知るのが恐いなどと……罵ってくださって結構です。私はずっと耐えてきた。それに慣れすぎて……道が開けるのが嫌なのです」

「気持ちはよくわかる。しかしこのまま、どちらの渦の正体もわからずに、一生やっていくというのか?

 聞くところによるともう限界の域まで来ているそうではないか。アスティ」

「---------」

「ならば、こちらから出向いてやればいいではないか。逃げることはない。渦はオレたちがいないと存在を発揮することができないのだ。アスティ」

「……」

「二人で行くのが嫌だというのはよくわかる。二人で行かなくてはならないが、二人以上で行ってはいけないとも限らないではないか」

「? ---------」

「ディヴァも同行させる。そしてシリアもだ」

「王妃さまも……?」

「この二人が行けばかなり楽になるだろう。どうせ魔物がうようよいるだろうし、秘密も守れる。あとは……重鎮たちだな」

 アスティには、それが一番困難なことだと、そう聞こえた。




   

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