第Ⅱ章 白と黒

 あのノスティの事件から一か月、砂漠も冬を迎え、時折雪でも降りそうな寒さが日々を覆った。十一番目の月、花殺しの月のリザレアは曇り空が多く、まだまだ本格的な冬の到来ではないことを、人々に知らしめるかのようだった。その日国王セスラスは、珍しく暖かい小春日和のなか、中庭の近くを通りかかって、庭の方でしきりに鳥のはばたく音がするのに気付き、そっと近付いてみた。

「---------」

 美しい光景が広がっていた。そこにいるのはちょっと考えられないくらいの数の白い鳩で、彼らはアスティの肩やさしのべられた腕にとまって彼女から餌をもらっていた。午後のうららかな陽射しのなか、白い鳩、白い服、まぶしいように輝いていた。そこで彼はハッとした、アスティがわからないくらい低い声で、何ごとか歌っているのに気付いたからだ。



     なぜと聞かれては こまるけど

      むかしは すべてが輝いていた

    もっと空も青かったし

    もっと香茶もおいしかった

     不幸の呼び手と うわさされてたけど

    でも けっしてずるくはなかった

     今のようには


     なぜときかれても こまるけど

      むかしは すべてが自由だった

    うんとしたいことあったし

    うんと明日が待ち遠しかった

     災いの担い手と うわさされてたけど

    でも けっしてふりむかなかった

     今のようには


     なぜかときかれては こまるけど

      むかしは すべてが楽しかった

    いつも友だちいっぱいで

    いつも心の底から笑えた

     不幸の呼び手と うわさされてたけど

    でも けっして一人じゃなかった

     今のようには



 一瞬、彼の胸がつまった。

 今のアスティは幸せではないと、彼は思った。



                   1



「---------宴を?」

 おもむろに言われてアスティは聞き返した。ここは国王の書斎。

「うむ。久しぶりにな。やっと状況も落ち着いてきたことだし、準備をお前に任せたいと思うが、どうだ」

「それはもう、喜んで」

 アスティは笑顔になって言った。宴の支度をするのは、仲のよい仲間や友だちを招く支度をするのに似て、大変だけれどもとても楽しい。心がうきうきする。

 宴の話はあっという間に王宮内に広まり、城内はにわかに活気づき始めた。一週間ほどは、アスティも侍女、女官たちも、目の回るような忙しさだった。しかし楽しかった。

 いよいよ宴の当日となった。大ホールは人でいっぱいで、成功のようだ。アスティは侍女、女官の采配と王宮内の警備という二重の仕事を見事にこなした。

「アスティ様、グラスが足りません」

「西の警護には第二十八隊が」

「あ、そう? じゃあ二人兵士をつけるわ。一緒にね。グラスは……厨房の奥の、白い棚のなかにもっとなかった? あ、それからテオドラ、マリーンと一緒に北の警護をしている兵士たちのところへ行って交替してきて。隊の人を連れていきなさい」

 アスティは大忙しだった。宴に顔を出す暇もなかったが、出すつもりもなかった。昔は自分が正装してセスラスの側にいたものだったが、今は王妃がいる。でしゃばる必要はないのだ。アスティは昔日の日々を思いだして遠い瞳になった。

『踊らんか』

 手をさしだすセスラス、握りあう手、腰にまわされたたくましい手、自分を見つめる瞳、踊りがおわってから静かに自分の手にくちづけした唇の、あの甘やかな一瞬……。

「アスティ様」

「は、はい」

「もろもろ終わりましたのでそろそろホールの警備を……」

「あ、そうね。では行きましょう」

 アスティは部下数人と共にホールに入っていった。宴の雰囲気を損なわぬよう、不粋な鎧と不粋な顔をした兵士ではなく、簡単な刺繍を施した短衣を着て、剣を腰に差した勇女軍が警備にあたるというのも、アスティの心遣いのひとつであった。

 警備をするのだから、別に自分の存在を知らしめなくていい。なるべく目立たないようにしているつもりだったが、やはりアスティほどになるとどうしても目立つし、なんといってもセスラスと肩を並べる英雄なのだから、招待客たちが放っておかない。

「あれがアスティ殿……」

「美しい方ですこと」

「本当に」

 これらの声が聞こえても、アスティはじっと目を瞑って耐えるだけだ。そしてそれらの声のうち、

「王妃さまとどちらが美しいでしょうな」

 という言葉が聞こえると、アスティは

(---------また!)

 急いでその場から離れようとした。同じようなことがあちこちで、そして今だけでなく平生からも、同じようなことが囁かれているのは知っている。自分と比べられて、王妃がどんな思いをしているかと思うと、アスティはなるべく比較の対象とならないようその場を離れることにしていた。自分の方が美しいという者もいるし、王妃の方が美しいという者もいる。それは感性の違いで、咎めることはできないが、国において、一番優遇されるべき女性がそんなことを聞いたら、さぞかし不愉快であろう。そう思ってのことだった。 またアスティはそれを放っておくことで、王妃との不必要な確執がうまれるのを避けたかった。アスティは彼女が好きだった。

 ところがアスティがその場から離れようとしたときだ。

「……美しいものというのは、普通はまわりのものをかすめて見せてしまうものですがねえ……」

「不思議とあの方と王妃さまはお互いの美しさを削るところがないようだ」

「どころか、並べばお互いがお互いの美しさを高めて見せるでしょうな」

「とても珍しいことだ」

 アスティはそれを聞いて、放心してそこに立ち尽くしていた。

「……」

 と、そこへ近付いてきた者がいる。アスティは気が付いて顔を上げた。

「……王妃さま……」

 王妃シリアは近付いてにっこりと笑うと、

「聞きました?」

 と言った。

「……」

「陛下が案じておられました。もしかしてアスティさんが、私と比べられて、私が不愉快な思いをしないために色々と心を砕いているのではないかと」

「……」

「でも、あの人たちの言葉を聞いて少しほっとしました。陛下も私に、同じことを言われましたから」

「---------王が……?」

「ええ。ですから、これからはなんの気兼ねもいりません。お互いに相手の美点を削ることはないのです、私たちは。私たちは相手の美しさを自分の美しさで高めることができるのです。珍しいことなのでしょうが、嬉しいことでしょう? ねえアスティさん」

「は、はい」

「同じ方にお仕えする私たちです。身分に関係なく、仲良くしましょう。あなたは大切な私のお友達です」

 アスティはまぶしげに彼女を見た。

「ありがとうございます」



 しばらくしてセスラスに呼ばれたアスティは、玉座で酒を飲む国王のところへと赴いた。「お呼びでしょうか」

「そろそろ支度を頼む」

「あ、……はい」

 今日は余興でアスティが竪琴を弾いて歌うことになっている。ちょっとした吟遊詩人のまねごとだ。アスティは部屋に戻って着替えた。すっぽりと頭を覆うローブ、占い師を彷彿とさせ吟遊詩人を思わせる服に。それから砂漠戦争のときにイラルで手に入れた竪琴を手に、アスティはホールへ向かった。

 ホールはにぎやかだった。吟遊詩人の出番頃合といったときだろう。アスティは自分だけにホールの感心が集まらぬように入っていき、目立たぬようにそこに座っていた。その内にアスティの存在に気付いた婦人がいる。アスティも彼女の視線に気付いて、にっこりと笑いかけ、

「何か、ご所望の歌はございますか?」

 とものやわらかに尋ねた。婦人は目を見開いて最初驚いていたが、すぐに趣向を理解したのか、

「では、アルダの勲を」

 アスティも心得顔で

「かしこまりました」

 言うと、静かに竪琴をつまびき始めた。早くも人が数人集まってきている。

 魔法院仕込みの歌と竪琴の評判はよかった。近くによってその容姿と共に歌声を楽しむ者もいれば、遠くから知人と酌み交わしながらそれを楽しむ者もいて、アスティは宴をすべてさらうのではなく、その一部となって、完璧に役をやりこなした。

 離れた場所からそれを見ていたセスラスは満足気な顔をしていたが、ふと一瞬、アスティのまわりに黒いものを見た気がして、もう一度彼女を凝視した。しかしそれは彼の見間違いだった。なにもなかった。一方のアスティは客の所望にこたえて、次々に歌をつむいでいた。

「では、恋の歌を」

 何曲か歌って、そんな声が聞こえてきた。アスティは心得て、南国を思わせる調べと共に、歌いだした。



          どこまでも青い海のように深く……


         いつまでも眩しい太陽のように熱い心で……


            わたしはあなたを愛している


            いいえ わたしは 夜の海


            そして かすかな 月明かり


             真昼の太陽に出会うなら


             ヤシの木陰で会いましょう


              けれどあなたは入れない


              ヤシの木陰には入れない


              永遠に 永遠に……



 アスティの瞳に涙が光ったことに気付くものは、いなかった。





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