あれから 4

                                      


 ラウラも苦労していた。あの後、まっすぐにリザレアへ帰るべくノスティを出て、勇女軍の者と共に魔法陣の中で呪文を詠唱し、上空にあがった途端、ノスティから迸った光芒が彼女とそれをとりまく光の膜を襲って、彼女たちは墜落した。辛うじて受け身をとれたのがせめても。ラウラは混乱した。勇女軍の数人くらいを魔法で運ぶのくらいどうというわけではない。失敗ではないのなら、なぜ……?

 あのノスティから放たれた光芒は……? 自分の魔法を妨害するような術者がいるのか? 否。ならばすぐにわかるはずだ。では一体。

「……」

「ラウラ様」

 思案するラウラの横で、マンファルスの押し殺した声が彼女を我に返らせた。気が付くと周囲を兵士に取り囲まれていた。

「リザレアの使者殿……」

 兵士のひとりが不気味に言った。

「今帰られて、軍隊を率いられては困る。死んでもらいましょう」

 ラウラはキッと彼らを見た。

「誰に向かって口をきいてんだい」

 低い呪文の詠唱が素早く響きわたる。

「あたしは上位魔導師だよ!」

 ボウ!

 彼女を中心に炎が渦巻いて兵士たちを襲った。

「あたしはねぇ……」

 さらにラウラの瞳が危険に光る。

「ただでさえ今苛立ってんだよ!」

 爆発はしばらく続いていた。戦闘……というより、ラウラの一方的な攻撃が終わって、リザレアへ帰れる状況にはなっても、先程のように〈飛空〉の術を使うのは危険だ。きっと同じ目に遭う。そこへ捨ておこうとしていた馬に乗って、彼女たちは急いだ。

「こんなことなら、魔法部隊を連れてくるんでした」

 マンファルスが悔しそうに言った。

「そうね」

「不測の事態が……いつ起きてもおかしくないのに」

「…………」

「馬鹿です、わたしは」

「そんなこと言うもんじゃないわ。どのみち魔法部隊が来ていても、魔法でリザレアに帰ろうとしたら同じ目に遭っていたはず」

 馬上でマンファルスが微かにあ、と呟いた。

 そういえばこの人も上位魔導師だったのだ。

 先程の戦闘だって自分たちに剣を抜かせなかった。素早くて正確で強力な魔法の数々。 今更ながらマンファルスは自分の思慮のたりなさを恥じた。

 そして月も中点にかかる頃---------。

 彼女たちは、やっとリザレアに着いた。しかしその頃はもう、アスティは死んでいるかもしれなかったし、あるいはあのおぞましい男の腕のなかにいるかもしれなかった。どちらも許さないと彼女たちは考えた。前者ならばリザレアは大国の全力をもってノスティに制裁を与える。後者だったら……。

「どちらにしたって許さない!」

 隊員のつぶやきを聞いて、マンファルスはそっと息をついた。



「師匠!」

「ラウラ。無事だったのか」

「それより……なんで……」

 二人の導師は顔を見合わせた。まだ言うことはできない。

「それよりも、アスティはどうした。陛下は」

「それが……」

 ラウラは手短に事の次第を話した。見る見るうちにカペル師の顔色が変わったことに、ラウラは内心驚いていた。カペル師は冷静な導師で、あまり表情を変えることがない。

「しかしまだ死んではいないはずだ」

「なんでそんなことわかるんです」

「……」

 敢えてラウラの言葉が聞こえないふりをして、ジムル師がさっと両手を広げた。

「どれ見てあげよう」

 ジムル師が波動を送ってなにごとか調べている間、しかしカペル師は静かな口調で言っていた。

「どちらもないはずだ。死んでいないのなら抱かれている。しかしアスティがむざむざそれを許すわけがない。彼女なら迷いなく抱かれる前に生命を断つはず。しかし死んでもいない。つまりまだ状態が動かないままにされているということだ」

「嫌な予感がします」

 ディヴァが小さく呟く。

「とにかく兵士をいつでも動かせるよう手配しておこう。

 向こうに気付かれないようにな。気を付けなくては」

 ディレムがまた忙しく動き始めた。マンファルスも城内の当番勇女軍を召集しにかかった。すでに勇女軍総帥のアスティからは全権を委任されている。

 王宮は眠らずに活動しつづけた。明朝になって準備ができ、昼にすべてを整えていざ出発しようとした時。

 事故が起こった。

 リザレアのあちこちの地区で爆発が起こっている。ラウラは城の窓から上がる黒い無数の煙を見て直感した。

(昨日のあれだ……!)

(どこからか遠隔操作してこちらに術を送っているんだ……!)

 多くの地区から煙が上がっている以上軍も救済と鎮火に及ばなければならない。最初は強行でノスティに行くという案もあったが、その間、混乱にまぎれて別の攻撃をされることを思うと、少数の兵士でも残っている方がより望ましかった。

「敵の妨害か……!」

 珍しくディレムが歯噛みして悔しがった。

 彼らは、いや、リザレアは、今見えない敵と戦うことを余儀なくされている。しかもひどく強力な。鎮火には二人の導師もあたった。中立を旨としているのではと言われても、

救済はまったく別物だと平然と言い返していた。三人の上位魔導師の助力をもってしても鎮火には三時間以上を費やさなければならなかった。

「カペル」

「うむ。この波動は未知のものだ。いったいどこから。……そして一体誰が……?」

「師匠!」

 向こうからラウラが走り寄ってきた。

「今から出発します」

「そうか。我々は立場上行けないが、そのかわりリザレアの救済はまかせなさい」

「はい。それじゃ」

 ラウラは一礼するとそそくさと走っていった。ジムル師の生命枝の探索波動によると、まだ二人は生きている。よしや殺される運命にあるとしても、二つの運命が、そしてあの女がそれを許さないだろう。まだ時期は来ない。制約を解くその日まで、二人は生きなければならない。そして解かれたあとも、やはり生きなければならない。すべてはもう決められたことなのだ。

 制約が解かれるのは、一体いつの日のことか---------。



 アスティはうつむいてずっと考え事をしていた。両手には魔法封じの手枷がはめられ、鎖で結ばれている。彼女の魔力を封じるほどのものがノスティにあること自体おかしなことなのだが、今のアスティには気が付かなかった。

「……」

 アスティは天窓から見える茜色の空を見ていた。

(……私は……)

(かつてとても不幸な思いをしていた。日々に怯えていた)

(それを救ってくださったのは王)

(私はいつだって王のためになら死ねる覚悟をしてきた)

 自分が今ここで、死んだところでどうにもならないことはよくわかっている。

 しかしアスティの心は疲弊しすぎていた。

(あの石版の失われたことば……)

(私は死ぬまでやすらぎを得られないことを知った)

 今思うと今までもそうだった。イラルにさらわれた。リザレアに戻って、一息つく前に職務が彼女を休ませなかった。それが落ち着こうという時、あの戦が勃発した。心がぼろぼろになってそれでも償いのために救済活動すること数か月。帰ってきてほっとした次の瞬間、運命は魔神倒伐の試練をアスティに与えた。そしてあの男はその直後に来た。いつもいつも、疲れて帰ってきてほっとした次の瞬間、せっかく癒した身体がまた疲れてしまうほどの試練がアスティを迎えていた。そして英雄と呼ばれるようになった今、リザレアに帰還しても、束の間の息をつく休息は得られなかった。いつもとは違うその状況にアスティは自分の役目が終わったことを悟った。

(私はもう死にたい)

(休みたい)

 こころは穏やかだった。兵士が自分を迎えにきて、いざ時は来た。

 アスティは外へ連れ出された。街の様子を先程ちらりと見たが、ケスイストⅢ世はよほどの暴政を敷いているらしく、街はなんとなく荒んだ感じがした。

 アスティは日が沈もうとしている砂丘へと連れていかれた。そこには昨夜辛うじて自分の夜の相手になりそこねた男がいた。彼女の姿をみとめると、にやりと笑って砂丘をのぼらせた。アスティが左側にふと目をやると、そこには見覚えのある親衛隊の人間とセスラスがいた。

「! ……」

 アスティは今更ながらに驚いた。まだ解放していなかったのか。彼女はケスイストⅢ世の方をキッと睨んで、

「卑怯者! 解放すると誓ったくせに!」

「しかしそれはお前が夜伽をするということとの交換。お前が夜伽をつとめなかった以上は交換は果たされていないといっていい」

 ギリ、という音をさせて、アスティは彼を睨んだ。

「捕虜がそのような顔をするものではない。来い」

 再び砂丘に登り、やがて沈もうとする夕日を右に、アスティは手に枷をはめたまま立ち尽くした。夕日がきれいにシルエットを作り上げる。

「座れ」

 アスティは言われた通りにそこに正座した。どのみち自分が死ぬという事実はそう簡単には曲げられない。しかし自分は死したのち、化物にでも怨霊にでもなってこの場へ残り、執念以上のものでセスラスをこの男から守ってみせる。

 正座したアスティの膝元へ、短剣がポン、と放られた。砂にうずもれたそれを拾って、アスティは目の前のケスイストⅢ世を見上げた。

「それを与えよう」

 その瞳はこれから行なわれる惨劇を期待して興奮と快感にらんらんと輝いていた。口元は笑いがとまらず、動悸も早いようだ。

 ケスイストⅢ世は兵士と共に下がった。

 ヒュウ……ウウウ……

 風が一陣舞った。アスティは手のひらのなかの重い短剣をじっと見た。この短剣が、これから自分を安らぎへと導いてくれる。

 抜くと夕日を受けてそれは青白く光った。アスティはゆっくりとそれを鞘から出すと、右手にもってそっと刀身にくちづけした。そして囁く、

「ウェンセスラス・アリオンⅠ世リザレア国王陛下に、永遠の忠誠を……!」

(……そして、愛、……を)

 シャッ!

 短剣を抜き払い、アスティはそれを自分の胸に勢いよく突き刺した。一瞬呼吸がとまって、次の瞬間ものすごい痛みで息がとまったということがわかった。目の前に散ったのは、多分血。口中に自分の血の味がしているから。アスティはそのまま、前のめりになろうと思った。これだけでは死ぬことはできない。柄まで刺すには、床の力を借りねばならない。

 どこかで怒鳴り声がした。セスラスだったかもしれない。

(許してください王……)

 目の前に大地が近付いて、砂が鼻先をくすぐった。もうすぐだ、思った。

「! あそこだ!」

 その時、やっとのことでラウラとリザレア軍が到着した。彼らは正に大地に横たわらんとするアスティを見ることになった。

「急げ!」

 マンファルスの怒声以下、兵士たちがいっせいに抜刀して走りかかった。

 もうすぐ……。

 アスティは暗くなっていく目の前に大地を見て、うすい笑みを浮かべた。

 砂の上で死ねてよかった……。

 アスティはそっと瞼を閉じて時を待った。

「な……なんだ!」

 ケスイストⅢ世も襲いかかった兵士たちを彼方に見て焦ったようだ。ノスティの街なかへ逃げようと方向を転換した。しかし。

「!?」

 ノスティから、大勢の人がこちらへ向かっている!

 手には思い思いの武器を持って、何ごとか叫びながらこちらへ猛突進してくる。

 暴動!

 アスティとセスラスの処刑を耳にした領民たちがケスイストⅢ世の暴政に立ち上がったのだ。

「う……く……くそっ!」

 彼は逃げようとした。奴らとの約束ももう少しで果たせたのに! 彼がアスティを残して逃げようとしたときだ。

 ---------。

 突然、アスティの胸元が一瞬キラと光ったかと思うと、なんの前触れもなく無数の帯となって辺りに伸び、また今正に大地に倒れ伏さんとしているアスティを支えるかのように大地と彼女の間に柱となってとめた。光芒は辺り一帯に広がった。最初アスティを支えていた無数の帯も、ゆっくりとではあるが段々と勢いをましてきて、焦れるほどのゆっくりさで徐々に前へ倒れようとするアスティを押し戻し、そしてとうとう後ろへと倒した。

「な……」

 ケスイストⅢ世が絶句したときだ。彼の目の前にザッと砂を踏みしめて立ちはだかった者がいる。

「親父! 覚悟!」

 ラウラだった。彼女は剣をひっさげてケスイストⅢ世を睨み、逃げようとする男の背中を一気に斬った。一太刀、たった一太刀で自分の忌まわしい血の根源は断たれた。ラウラは十七年の歳月をかけて、やっと自らの過去と決着をつけることができたのだ。



 ほっとしたのも束の間だった。ラウラは我にかえってアスティを振り返った。血溜りのなかで、アスティは倒れていた。さっきのあの赤い光……アスティを見事前のめりにさせなかった。前のめりになっていたら、大地に倒れた反動で短剣は深く深くアスティの胸を貫いていたことだろう。ラウラはアスティを抱き起こした。

「……」

 見事な刺し方だった。完璧だった。しかしやはり床の力を借りなかったせいか、決め手の力に欠けたらしく、アスティは微かに息をしていた。しかしラウラの、そして走り寄ったセスラスの目から見ても、あと数分でその生命も危うかった。

 ラウラは迷わず止血の詠唱をした。このくらいで治癒能力がおちるほどアスティはやわじゃない。もし落ちたとしたって、今は生きてくれていればいい! ラウラの詠唱に従ってセスラスもゆっくりと慎重に剣を抜き始めた。タイミングを誤ると栓の役目を果たしている剣の傷口からまた血が吹きだす場合がある。

 それから看護部隊の者が丁重な処置をした。傷口が開かないよう細心の注意を払って、彼らがリザレアに帰還したのは夜中を過ぎてからだった。




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