あれから 3
3
アスティはラウラと勇女軍と共に昼すぎに出発した。普段なら民への影響を考えて街中を堂々と歩いて出ていくアスティだったが、今回はすべて秘密裏に事を運ばせるため、城壁の外に馬を待たせ、しばらく行ってから騎乗してノスティを目指すことになった。愛するセスラスを救うため、アスティは急いだ。風を切り砂を蹴散らし、頭にあるはただ彼のことのみ。アスティは急いだ。あの男は自分に復讐したいはず。ならば一対一で堂々と張り合おう。愛する男のために、アスティは急いだ。
ノスティには夕方前に到着した。リザレアの「使者」はそのまま街の最奥部の宮殿のような場所へと誘われ、アスティは何年ぶりかでケスイストⅢ世と対面を果たした。
「……」
「ほう……美しくなったな。評判は聞いている。大層なご活躍だ」
「---------人質の交換よ。今すぐ陛下と親衛隊を解放しなさい」
ケスイストⅢ世は眉をわずかに動かした。
「さてそれは……そちらの服従の意を確認しないことには」
アスティの瞳が怒りで燃え上がった。ここまで下手になっているというのに……付け上がって!
「……聞きましょう」
震える唇を励まして、アスティはやっとのことで言った。
その頃---------。
リザレアには一日遅れで第十七の導師カペル・シルリルダと第十九の導師ジムル・メルダが到着していた。二人の導師はすでに自分の弟子のどちらもが出発した後に到着したことをひどく悔いているようだった。
「こうなるのならばもっと早く来るのだった……!」
ジムル師は強く呟いた。ディヴァとディレム、そして意識を取り戻した王妃がいる。「あなた方は本来中立を旨とするとか」
ディレムは静かな口調で言った。
「その通り。ですがこれにはわけがあります。遅れた理由もそれにある……アスティの身に死、またはそれ以上の不幸が襲いかかるという占いが出たのです」
「魔法院は蜂の巣をつついたような騒ぎになりましてな」
ジムル師がカペル師を引き継いで言った。
「今あれにそのようなことがあってはならない。それはもう、ローディウェールからの約束事。まだ早すぎる」
「約束事……」
王妃が小さく呟いた。ディヴァだけはそれがなんだか知っていて、わからないくらい微妙に視線をそらしただけだった。まだ制約は解けていない。制約により渦の名を口にすることも、またそれを匂わせたり説明することも禁じられている。すべてはあの、今も時空の向こうから自分と二人の導師を睨んでいるあの女が担っていることなのだ。自分たちはあの二人……運命の二人を無事に彼女のところまで連れていく、道標にならなければならないのだ。
「そういえばラウラ殿は随分ノスティにご執心でしたな」
ディレムの何気ない一言で二人の導師は顔を見合わせた。
「……それは……」
ケスイストⅢ世は満足気にアスティの部下たちを見回した。いずれ劣らぬ美女ばかり、しかも名高き勇女軍の精鋭だ。アスティもこちらの手中にあるし、奴らとの約束も果たせそうだ。一人一人を絡みつくような視線で見ておいて、ふと、彼の視線がいちばん後ろで腕を組んでいる娘にとまった。暗がりでよくわからないが、肩まであるその美しい透明感のある髪には、ひどく見覚えがあった。
「……そこの娘……名は?」
態度の大きさからいって勇女軍の者ではないことはわかった。娘はこたえず、腕を解いて前へ進んだ。アスティは肩越しに近付いてくる彼女を見ていた。
やはり気付いたか……。
そして光が彼女を完全に照らし、全貌が明らかになって、まったく会ったこともないのに見覚えのある顔を目のあたりにして、ケスイストⅢ世の目が大きく開かれた。
「これはこれは、親父殿。いかがしました。そのようなお顔は、あなたには似合わないでしょう」
「ラウラさんの父親!?」
ディヴァが信じられないように叫んだ。ジムル師は神妙にうなづく。
「十七年前---------」
「十七年前。あなたは自分の息子が自分の立場を危うくするのを恐れて妻も二人の息子も殺した。娘まで手にかけた」
「……全員殺したはずだ」
「ところが乳母の娘が身代わりになった。末の娘は乳母に助けられて魔法院で育ち……ここにいる」
「末の娘……お前はラウラか」
ラウラの眉が痛烈な皮肉に歪んだ。
「あなたほどの人でも娘の名は忘れませんか。十七年も経ったというのに。やはり血の因習というものは、誰にでも平等なようですね!」
(ラウラ……)
アスティは横で激するラウラをそっと見ていた。一人だけ生き残ったラウラ。一人だけ助かったラウラ。五人の人間の死をもって生きてきたラウラ。彼女は今、それらの決着を自分の手でつけようとしている。
「ふん……今はお前に用はない。リザレアの使者と話をしているのだ」
「---------要求は?」
アスティは再び問うた。ひどく冷たい、無表情な顔だった。
「そうだ、な……」
ケスイストⅢ世は顎に手をあて意地悪気に眉を寄せた。しばらく、彼はそうして動かなかった。昔自分の楽しみを奪った娘、今の自分からほとんどの利権を奪った王国に仕える娘、あの憎い男の片腕とまで呼ばれる娘、そして奴らがその首を欲しがる娘……。
思案は尽きなかった。どれだけの屈辱を与えてやろうか。どれだけの苦しみを? そしてどうすれば、あの男もこの娘も苦悩させることができる? そして彼はある答えへと行き着いた。名案で、そして妙案だった。さすがに自分に酔うほどの素晴らしい案だった。「では、今夜の伽を申し渡す」
「! ……」
アスティの顔が強ばった。勇女軍の者たちも顔を見合わせる。
「どうした? なんでもこちらの要求を容れると言ったではないか。二つの国が争ってまで取り合った女だ。さぞかし味わい深いだろうに」
そこで一旦言葉をきって、
「さあ返事は?」
アスティは瞳を閉じた。
夜が赤く燃え上がっていたあの日……。
自分は愛する男の腕のなかで女になった……。
アスティは瞳を開いた。
「……わかりました」
「アスティ!」
「アスティ様!」
「そちらの要求をのみます。ですが---------」
「国王を解放しろというのだろう。わかっておる」
「アスティ信用しちゃだめだよ! こいつは……」
「ラウラ」
「---------」
「他に方法がないの。……もういい」
その瞳は……冬の凍った泉のような悲しそうな色をしていた。
生きているのに疲れた、もう生きていたくない、なにより瞳がそう言っていた。アスティはあの男に抱かれる前に自らの生命を断つつもりだ、ラウラは思った。
「王が聞かれたら怒るでしょうね」
自嘲気味に言うと、アスティはケスイストⅢ世の方を見上げた。
「よろしい……それでは他の使者の方々は先に帰って頂いて……参謀殿には支度をさせる。あちらへ」
わざとラウラにはふれずに、ケスイストⅢ世は言い放ち……場を去った。兵士が来て乱暴に左右からアスティを捕らえて連れていった。
「ア……!」
抗議の声をあげようとしたマンファルスを押し止めて、ラウラが低く言った。
「今はそれどころじゃない……。急いでリザレアに帰って、夜になる前に軍隊を連れてくるのよ」
---------運命は再び動こうとしている……。
冷たい地下牢はもうすぐ冬を迎える外より先に、寒くて凍てつく空気を孕んでいた。ケスイストⅢ世は口元に微笑を浮かべその石畳を歩いた。奥からは、さかんに鞭を振るう音が聞こえてくる。
広い牢の中には両手を上から下げた鎖で縛られた上半身裸の男と、その前で鞭を振るう兵士の二人がいた。
「吐いたか」
「いえしぶとく……」
ケスイストⅢ世はにやにやと笑いながら男の方を見た。彼の身体には無数の傷があり、血もあちこちににじんでいた。しかし、よく見るとその身体は傷だらけである。古い戦いの傷が無数に刻まれているのだ。
「流浪王、あまり無理をしてもためになりませんぞ。砂漠戦争の折り兵士に囲まれているはずのリザレアから大勢の金属神の司祭が現われている。侵入経路はどこに?」
セスラスは顔を上げてケスイストⅢ世を睨んだ。
「知っているところで話すと思うか。みくびられたものだ」
「君の部下の身体にきいてももいい。実際そうしているがね」
「死んでも話す者ばかりでないことを保証しよう」
ケスイストⅢ世の顔から余裕の笑みがスッと消えた。側の兵士が鞭を振るった。セスラスはうっ、と微かにうめき、またケスイストⅢ世を睨んだ。
「この期に及んでまだ強がりを言えるか。……まあ、言わないのならそれでいい。他に方法はいくらでもある。お前の処刑は明日に決まった。邪魔者は排除、リザレアは大きく乱れるで一石二鳥。奴らも満足するだろう」
(奴ら……?)
頬に流れる血を感じながら、セスラスは訝しげに思案した。
「では戻る。引き続き尋問を続けろ」
ケスイストⅢ世は出ていこうとした。出ていきざま、彼は思い出したように振り向いてさも愉快気に言った。
「---------君はいい部下をもった。あの女。自ら罠に飛び込んできたよ。君の生命の保
障と引き替えに今晩一晩私の相手をするといった。主君冥利につきるだろう」
「! ---------」
ケスイストⅢ世は高笑いして地下牢から去った。引き止めようとして抗ったセスラスのまわりで、ジャラと鎖が鳴った。兵士が再び鞭を振るう。
(アスティ……!)
侍女に白い夜着を着せられ、アスティはその先を一人で行かされた。ひどく心がからっぽだった。かつて感じたむなしさがこころを支配している。
(……)
(私は一度あの方に抱かれた)
(抱かれるのはあの方でないと嫌だと、)
(不可能だと思っていても融通できなくて)
(---------でも願いはかなった)
(もう恐くない)
---------それでも、あの日の短い幸せをあんな男に汚されるのは我慢できない。
あの男が自分に触れる前に舌を噛んで死のう。罠なのはよくわかっている。しかし他になにができた? 歩きながら胸のルビーを握り締め、アスティはひどく透明な己れの心をもてあますことなく支え続けた。
(王……)
(あなたを愛しています)
扉を開けると……ひどく広い部屋だった。ほぼ円に近い。天窓があって床を青く照らしている。奥の正面には五人分は横たわれるほどのばかでかいベッドがあって、ケスイストⅢ世はそこに横たわって酒を飲んでいた。
「来たな」
「……」
彼はアスティの夜着姿をじろじろとなめまわすように見ると、
「近う」
短く言った。
「…………」
アスティは黙って従った。ひどく心が落ち着いていた。
彼女がベットに近付くとケスイストⅢ世は乱暴に腕を引っ張って自分の横に横たわらせた。黒い髪が乱れてひどく美しくアスティを彩った。そうされてもアスティは眉ひとつ動かさなかった。顎に手をあてられ、顔を近付けられても、瞳は静かなままだった。
「美しい……しかしその無表情も、あとどれだけ保つかな? 嫌というほどかわいがってやる」
するとアスティはそこで初めて口を開いた。瞳は彼を見据えたまま、声はひどく低く、落ち着いていて。
「妻にも、そう言ったんでしょ」
ケスイストⅢ世の顔色がサッと変わった。小気味いい音が静かな室内に響いて彼はアスティの頬を張った。
「---------」
アスティは反抗しなかった。ただ瞳を閉じたのみ。それを見ていたケスイストⅢ世は憎らしげにアスティを見据えていたが、やがて笑いだした。笑いはしばらくとまらなかったが、アスティは眉を微かに寄せてそれを聞いているだけだった。
「気が変わった。お前を明日処刑する。夕刻だ。それまでここにいて充分残った生命を惜しむがいい!」
言うや、ケスイストⅢ世はまた高らかに笑いながら部屋を出ていった。閂の下りる音がして、アスティは月の光のさす部屋にひとり残された。
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