あれから 1


「アスティ」

 昼の魔法院はまだ昼食には早く、院生たちは各々の訓練にいそしんでいた。アスティの

同室であり同じ一番弟子のラウラはすでに見習い課程を修了し上位魔導師の証の黒マントを許されているので、己れの訓練ではなく、今はもっぱら年下の見習いたちの師範をしている。それは他の仲間たちも同じだ。

「早く導師になっちゃえば?」

「んーそれも考えたんだけどねえ。どうせ導師になるんだったらさ、やりたいことやってもういいってくらいやって、それからでもいいかなーと思って」

「後悔しても知らないわよ」

 導師、それは永遠の命を持つ者の総称。そして上位魔導師の最終形態でもある。

 厳しい試験を突破して認められた彼らの存在は、上位魔導師のとる究極のかたちなので、院内での尊敬を一身に集めることはいうまでもない。見習いはいつの日か上位魔導師になることを夢見、その向こうの導師という資格に憧れて日々の修業をこなしていくのである。 アスティが後悔だのなんだのと言ったのは、導師というのは確かに永遠の命を持つことになるのだが、導師になった時から歳をとらない、その者の時間だけ止まってしまうということなので、若いときのほうがいいだろうと言っているのだ。彼女たちの師が老齢に見えるのはその理由による。

「ジェライラは導師に昇格したんですって?」

「うん。あとヴァドとルイも」

 特に仲のよかった、ラウラを含む六人の仲間たちは……とアスティは思った。

 まだ院生だろうか。

 聞こうとしたアスティは、前から歩いてくる仲間たちを見て、おし黙った。

「へいアスティ! 来たな」

「ミーラ……」

 健在のようだ。



「王妃さまが?」

「呪いたぁ解せないな」

「そうなの。それで許しをもらって来たわけよ」

 今彼らは大食堂で共に食事をたべている。大食堂は大きな厨房があって、食事は当番で作る。何千人もの院生と導師の食事をつくるのだから大変だ。院生は入り口でトレイをとり、好きなものをとっていくという選択方式で食堂が成っている。テーブルは、細長いテーブルが林立といっていいほどに並んでいるのだ。久しぶりの魔法院での食事を、仲間たちとたべるアスティの脳裏からは、しばし本国での忙しさが忘れられていた。

 アスティの正面には金髪金瞳のマキアヴェリが座っている。髪は肩のところで揃えられていて、そのうるんだような金の瞳は人を魅了してやまない。見習い課程を卒業した修了式では、アスティと共に代表をつとめたほどの能力で、魔法にも剣技にも一目置かれている。冷静で優しくて、頼りがいのある仲間だ。向かって右斜めには、好対照の容姿を持つシルヴァがいる。銀色の髪は夜の湖のようで、瞳はきつい灰色がかりの青。温和な性格が一目でわかるので、年下の院生の兄代わりのような役目を果たしている。近寄りやすいのだろう。左斜めには親友のラウラ。亜麻色の髪は日に透かすと透き通ったような美しい茶色を連想する。同色の茶色の瞳は、見ていてほっとする。活発で明るくて、アスティと共に魔法院の美人のひとりに数えられている。その向かいにはラウラの恋人のモムラスが座っている。黒っぽい茶色っぽい髪と、瞳はきれいな灰色だ。優しい男だが、なかなかどうして、剣の腕はばかにできない。また普段、恋人のラウラとのやりとりを聞いていると、ラウラが彼をリードしているように見えるのだが、その実最終的には主導権はモムラスにあるということは、忘れがたい事実である。アスティの左隣にはリューンがいる。金茶色の腰まで長い髪は、彼を知らない人間に容易に女性に間違わせる威力を持っている。深い緑色の瞳もそのうちのひとつだ。女の服を着せれば間違いなく女性に見えてしまうくらいの容姿なのだが、本人にとってそれは、強いコンプレックス以外のなにものでもない。剣も魔法もバランスよくこなすので重宝されている。また彼は美術センスにも優れており、学年七百名近くでも十人美術室入りすればいい方といわれている美術作品は、すでに五つも殿堂入りしている。美術室に作品が入る日は院内大騒ぎするほどすごいことなのだ。

 アスティの右隣はミーラ。どう見ても戦士としか見えないほどの体格のよさで、彼が呪文を詠唱するところなどちょっと想像もできないが、さすがに一番弟子だけあって実力は保証付きだ。空色の瞳、灰色がかった黒い髪で魅了した女は数知れず。魔法院きって遊び人でアスティがかつて『草原の狼』フィゼと旅をしたとき、ミーラを彷彿としたのもうなづける。

 彼ら一番弟子は七人組と一部に呼ばれていて、容姿の派手さも能力の高さも随一の魔法院の名物のひとつだ。

「とにかくあんまりゆっくりできないの」

「つまんないね」

 リューンが紅茶を飲みながら言った。

「おいお嬢。いくらアスティがいないからつまんないからってなー、そーゆーカオするもんじゃないぜ」

 ミーラが言うとたちまちリューンがキッ、と彼の方を睨んで反論する。

「お嬢って呼ぶなってば」

「美人美人」

「~~~~~~~~」

「相変わらずねえ」

 自分をはさんでやりとりする二人の会話をきいて、アスティはくすくすと笑った。この二人、こう見えても親友なのだ。

「まあミーラが言うのも、わからない気はしないでもないけど……」

「アスティまで! なんてこと言うのさっ!」

「わかったわかった」

「落ち着け落ち着け」

 モムラスも笑いながらなだめる。そんなリューンにはおかまいなしで今度はミーラは、アスティにちょっかいを出し始めた。

「なあなあアスティ。

 リューンじゃないけどさ、魔法院に戻ってきてオレと付き合わない?」

「ミーラと? どうしよっかなあ……」

 しばらく思案するふりをしていたアスティだったが、すぐに、

「すぐ浮気されそうねえ。やめとく」

「おう……」

 ミーラは大げさに空を仰いだ。

「ひどいっ。オレはいつだってアスティ一筋なのにっ」

「その割に昨日も部屋にいなかったみたいだけど」

 シルヴァが口をはさむ。横で聞いていたマキアヴェリが思わず吹き出した。

「またぁーっ? ね、ね、今度は誰? マイラ? アン? フィリアーザ?」

「違う! ルキアだっ!」

「いつ来てもここはにぎやかねえ」

「そこがいいんだろ」

 アスティとマキアヴェリだけが冷静だ。

「と……こうしちゃいられないわ。調べものがあるんだった」

 アスティは早々と席をたった。期限は三日しかないのだ。

 そんなアスティの後ろ姿を見て、ラウラはあの日のことを思い出していた。砂漠戦争が終結してからすぐ、アスティは仕事を終えその合間に魔法院へ帰還していた。



 何日も美術室から出てこないまま、アスティはふらりとリザレアに帰ってしまったのでその日ラウラは少し不機嫌だった。

「なにも挨拶なしに帰らなくたっていいじゃん……バカ」

 などと呟きながら、部屋に帰ろうとした時のことだ。

「ラウラ!」

「ひゃっ」

 突然後ろからマキアヴェリが走ってきたので、ラウラは少なからず仰天して振り返った。

「なんだヴェリか……どうしたの大声だして」

「アスティの絵が美術室入りになった」

「! 嘘っ!」

「今リューンに通達が入った。間違いない」

「み……見たい! 見る!」

 ラウラはマキアヴェリと一緒に美術室に向かった。リューンは美術室長といって美術関係を担当する責任者なので情報も早いし確かなのだ。

 美術室入りする、というのはそれなりに条件がある。

 彫刻にしても彫金にしても、また絵画にしても、人を感動させることができること。

 これだけである。

 今までアスティの作品が美術室入りしたのは彫金ひとつだ。ひどく細工が繊細でこまやかで、見ているとため息がでてしまう。ひとつ入るだけでも凄いことなのだ。だからリューンの作品が五つも殿堂入りというのは、異例というよりは異常だろう。

 付き合いが長いだけあってラウラはアスティの描く絵というものをよく知っている。

 彼女は人物画を好まない。なにを描くにも山とか草原のみで、人間を描くのは授業の課題の時くらいだった。きっと今回は、リザレアの海か、砂漠か、あるいは両方をひとつの額におさめたものかもしれない。なにしろアスティは、ひどくリザレアの土地を愛しているから。

「早くヴェリ!」

 ラウラは興奮して真っ先に美術室に入った。

「どれだろォ」

 と、走っていったラウラの全身が、そこで硬直した。

 絵は入った正面にあった。

 横長で、幅はかなり広い。どこかの城なのだろうか、真ん中に窓があって向こうに緑が微かに見える。石造りの建物らしく壁はすべて荘厳な石の壁。その窓の前に、テーブルを挟んで、二人の男が語り合っていた。

 一人は流浪王、そしてもう一人は。

「こ……これ……」

「前のイラル国王だ」

 マキアヴェリも息をきらして呟く。

「---------」

 天気がいいのか、絵のなかの窓からは明るい日の光が差し込んでいる。全体にうすい黄色の絵の具を使っているせいか、語り合う二人があたかも光につつまれているかのように見える。なんと穏やかな、なんと愛情に溢れた絵だろう。目が離せないうちに、ラウラの両目から涙が出てきた。

「あ……れ……なんで」

 ラウラは慌てて目をこすった。

 なんでもない絵なのに、これといったところはないのに、涙が出る。絵の下にはアスティ自身の手で題名が彫られていた。

 『黄金と蒼銀の記憶』---------。

 アスティにとってセスラスは、黄金の光。

 イムラルは蒼い雨だった。

 あの日イラルで歌ったように、樹を自分に見立てたアスティは、光の恵みを受けるか、雨の救いを受けるか、こころの中で随分苦しんだに違いない。結局結果はああなってしまったが、この絵に描かれている風景ははアスティの心のなかの真の願いであったのかもしれない。

 あれから時々ラウラは、ここへ来て絵を見ては、涙をにじませている。

 アスティの気持ちが、そうするごとに痛いほどわかった。



 天壇青の月も半ばという日の午後に、アスティからの連絡が入った。

 しかし本人ではなく、それは普段あまり見ないような薄紫のインクで書かれた書簡だった。鳩に託してアスティがよこしたのだ。

「魔法語で書かれている? なぜ本人が帰って来んのだ」

 いらいらとしてセスラスはディレムに聞き返した。アスティが一日いないと公務が一日遅れるというのはまんざら嘘でもないようだ。

「今ディヴァが解読にあたっています」

 さらりとかえすところはさすがといっていいだろう。そうこうする内にディヴァが戻ってきた。

「わかりました。ここから北へ少し行ったところで、コーミュスという村だそうです」

「アスティはどうした」

「それが、今魔法院の周期移動中らしくて、外に出られないのだそうです」

「移動中?」

「はい。詳しくは知りませんが、移動の間は特殊な波動が周囲をとりまくので外へは出られないそうです。インクが特殊なのもそのせいです」

「とにかく……」

 セスラスは苛立たしげにため息をついて続けた。

「場所がわかったのならディヴァ、おまえが行け」

「はい。手紙にも書いてありました」

 少年は言うと、いそいそと部屋を出た。



 馬で行って三時間ほどのところに、アスティの言う村はあった。

 既に日は沈みかけ、村は表にいる者もおらず、辺りはしんと静まりかえり、血のように真っ赤な夕焼けが不気味に村を支配している。ディヴァは目的の屋敷をみつけると静かに馬を進め、通用門から中に入っていった。

 中は妙に薄暗くて、本のなかの化物屋敷を彷彿とさせた。彼は微かな魔道の波動を頼りに、ひどく心許ない足取りで進んでいった。目的とする部屋はすぐにもみつかった。扉の奥から、煙がしみでるかのような強い波動を感じる。ディヴァはごくりと息を呑んで扉を開けた。

「誰だえ?」

 奥から意地の悪い声がした。書物が林立しているせいでどこからか、誰のものかはわからない。ディヴァはそっと中に入った。誰何にもかかわらず何もいわずに部屋に入ってきたディヴァに、老婆は振り返ってきつい口調で言い放った。

「礼儀知らずの客には礼儀を教えることにしているよ!」

「待ってください。失礼はおわびします。僕はリザレアの預言者をしている者です」

 老婆の顔がぴくりと動いた。

「リザレア……?」

「はい。実は王妃さまが先月から呪いにかけられているのです。調べたところそれはあなたのしたことだとわかりました。リザレア国王からの、そして参謀アスティ様の依頼なのです」

 老婆は立ち上がった。

「ふ……案外早かったの」

「あ、あの……」

「よいわえ。解いてやろう。これも依頼のひとつゆえ」

 老婆は近くの台にあった水晶玉に手をかざし、なにごとか呪文をとなえると、

 パァーン……

 水晶玉が目の前で砕け散った。

「これでよし。王妃は二、三日で快方に向かうじゃろう。安心せい」

「あの、……依頼、って……?」

 老婆はディヴァのほうをちらりと見た。見下げるような視線だった。

「ふむ……。まあよい話してやろう。依頼主の名前は死んでも言わぬ。言わせたいのなら勝負しても構わんがお前、儂に勝てるかえ」

 ディヴァはぶんぶんと首を振った。預言者は無敵ではないのだ。

「い、いえ」

「依頼というのは王妃に呪いをかけること。そして王国からの使者が来たときは、使者に傷つけることなく、王妃の呪いを解くこと」

「そ……そんなの……だいたいなんのために……」

「儂の知ったことではない。それより長にわたって魔道に通じ続けてあのお方にお会いできるとは一生の誉れ。ましてや頼まれごとをするとは夢にも思わなんだ」

「あの……方……」

「儂などが一生死ぬほど修業しても追い付けぬお方じゃ。あのお姿。あの瞳。そしてリラト銀のような涼しいお声……」



 リザレアでそれを報告を聞いたセスラスはディレムとディヴァと酒を酌み交わしながら話し合った。

「ではその老婆の言う者が……?」

「そのようです。かなりの実力者のようです」

 ディレムに答えるとディヴァはアスティさんはどうしました? と尋ね返した。

「さっき戻ってきたところだ。部屋で休んでいる。ところでディレム、その人物というのは……」

「相当な人間のようですな。その魔法使いの口調からすると」

「リザレアには一切の害はないそうです」

「想像もできぬほどの実力のある人間の仕業というわけか」

 なんというわけのわからぬこと。

 セスラスはため息をついた。



 アスティは窓から見える沈む夕日を見ながら、一人でワインを飲んでいた。夕日が彼女の顔を赤く染める。薄闇が近付こうとする中、窓から床にのびたアスティの長い影はどこか淋しそうだ。

 彼女はまだ半分以上残っているワインを飲みながら、飽かず夕日を眺めていたが、やがてグラスを近付け、赤い液体を見つめながら、

「想像もできないような人間の仕業、か……・」

 リラト銀のような声で呟いた。



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