第4話 懐かしの団らん

「お疲れー、志門兄ちゃん!」

「お疲れ様でした、志門さん」



 話は現在へと戻る。

 人類永遠の敵であるGゴキブリをはじめとした様々な害虫を排除した志門。


 ダイニングテーブルの席で力なく脚を伸ばす彼へと、如月姉妹は労いの声を掛ける。

 背丈は違えど、姉妹でお揃いのエプロンを身に着けて振り向いてくれる様は、可愛らしかった。

 かさねも短パンTシャツの普段着へと着替えていて、お姉さんモードが解除されている。



「ははは……ありがと、二人とも」



 このような古屋なので、天井や床板などには隙間も多い。

 素早く逃げおおせた輩もいて全てを始末した訳ではないが、ひとまずやり切った志門だった。

 二階を含めた全ての部屋を駆け回り、不要ブツを除去した後に詩津達がやってきた。

 もしかすると、騒がしさが収まった頃合いで来てくれたのかもしれない。

 鍵を受け取った先週にも処置はしたが、この一週間で何事もなかったかのように再占拠されていた。

 恐るべし、先住者の意思結束よ。



「荷ほどきは明日午前だな、こりゃ」



 ダイニングは如月家からのおすそ分けである夕飯と、詩津達がつくる味噌汁の香りで満たされている。

 あともう少しでこの青年の胃袋を満たすことができそうだった。

 そうして年季の入った壁の時計を眺めながら、ふと志門は思いつく。



「……おっと、そうだった。ちょっと散歩がてら、買い物に行ってくるよ。飲み物とかつまめるようなお菓子も欲しいしな」

「んじゃ、あたしも行くー」と、かさねが振り向く。

「今日はやめておきなさい、かさね。あなたが行くと帰りが遅くなりそうだもの」



 鍋をかき混ぜる手を止めて、曇り顔の詩津が妹を制御する。

 料理のためか、詩津は長い髪を後ろでコンパクトにまとめていた。

 白く美しい項うなじと、髪を留める平らな金属に気を取られながら、志門は答えた。



「三十分ほどで戻るからさ。かさねはそれまで詩津を手伝ってくれないか。もちろん、周囲にも警戒してな」

「うぅー、分かった……」



 じゃ行ってくるわ、と志門は財布と携帯だけを持ち、玄関へと向かう。

 式台へと腰かけ靴ひもを結ぶ義兄へと、かさねは淋しそうに声を掛けた。



「……ちゃんと、早く帰ってきてよ」

「ああ、行ってくるよ」


「行ってらしゃい」



 懐かしい引戸の鈴を聞き、外に出た志門は石畳を歩きながらふと思った。


 

(この家で『行ってくる』の挨拶なんて、いつぶりだろう)



 足を止めて、振り返る。

 台所からはかさねの騒ぎ声が聞こえてきた。落ち着いた詩津の声は……聞こえない。

 今後の事を想像すると、賑やかそうで苦笑してしまう。

 そうして彼は近所のスーパーへと向かった。


 さて、数カ月ぶりとはいえ、リニューアルされた店舗も多く、目に映るもの全てが真新しかった。


 薬局、百円ショップ、カフェ、ファミレス、カルチャーセンターに医院など、必要なものは一通り揃っているではないか。

 一人暮らしの城に加え、通学は徒歩十五分。おまけにすぐ近所にこのような複合施設に構えられてはたまらない。



(うぬぅ……、いかん。シンプルをモットーにする俺には誘惑が多すぎるなぁ。確かにかさねがついてくると、あの温和な詩津がぷんすか怒りそうだ。お、書店まであるのか! ……イヤ、それはまた今度ゆっくり)



 しかし、時刻は十八時を過ぎようという、薄暗くなりかけた頃だ。

 夕食の買い出しに来る家族や、飲食店で憩いのひと時を過ごすカップルなどで賑わっている。

 昼間とは打って変わって、夜の魅力がふんだんに滲み出ようとしていた。


 雑念を振り払いつつ、スタスタとカフェの横を通り過ぎようとした時、窓越しのテーブルでスマホをいじる一人の少女と目が合った。

 カップに所狭しとイチゴが詰め込まれたピンク色の飲み物の向こうから、明らかに志門の方を見ている。

 ガーリッシュなチェックスカートに白シャツとカーディガン。おまけに銀髪碧眼なものだから、目を見張るような美少女だ。


 それでも志門の眼には、一人の少女としてでしか映らなかった。

 視線に気づいて見返した二秒ほどで前を向き、再びスーパーの方へと顔を向ける。

 そんな無神経とも見て取れる少年の後ろ姿を見送りつつ、眉一つ動かさないままに彼女は頬杖ついた。



(そう、あの人が……。想像してたのとは違うけれど、まいっか。ちょっとカワイイし)



 そういって少女は、スマホケースのアクセサリーを指で軽く弾いた。

 あわじ結びのデザインによる飾りが、踊るように揺れては止まる。



(今のところまだ私の出番ではないようだけれど、結びによる導きは正しかったみたい。どれだけ離れようと、心まで結ばれると信じましょう)



 薄っすらと微笑んだようにも見えたが、そのまま濃厚な色の飲み物を飲み干し、ぺろりと唇を舐めた。


 カンザシヒメノミコト。

 夢の中とはいえ、彼女に出会ったときのような感覚が気のせいか背中に蘇る。

 それでも振り返ることなく、志門は買い物を済ませて如月姉妹の待つわが家へと帰っていった。



「わぁーい! 志門兄ちゃんが早く帰ってきたよ、詩津姉!」

「約束通りだろ。待たせたな……よいっしょっと」



 騒々しくも軽い足音で駆け寄って来るかさねにはすっかり慣れた様子で、玄関から上がる志門。

 はじけるような明るさは、イヤな虫をも追い払いそうだった。


 

「お帰りなさい、志門さん。もう夕食準備はできていますから、手だけ洗ってきて下さいね」

「ありがと、詩津。買い物袋は台所に置いておくよ」



 かつての祖母が出迎えてくれたように、柔らかな明かりの下で姉妹が微笑む。

 なつかしい。なんだかとても懐かしい。

 女性には全くの無頓着な志門にも、どうやらこのような感情は残っているらしい。



『やっぱり先にお夕飯にします? お風呂にします? それとも、ワ・タ・シ?』



 声色を姉に似せたかさねが、その場の空気を一変させた。

 オレンジ色に照らされた中でも顔の紅潮が分かる程、みるみるうちに詩津の表情が激変する。

 ぷしゅーぅ。


 

「っ、っちょっと、かさねっ!!!」

「あはははは! 詩津姉の心の代弁だよー」

「やっぱり、かさねはこれくらいじゃないとなー」



 何を気にする風でもなく、笑いながら洗面台へと志門は消えていった。



「んもうっ」

「わぁーい、ごはんだごはんだ」



 それから三人は、テーブルについて食事をはじめた。

 炊飯器や冷蔵庫、電子レンジに洗濯機といった電化製品はこの家にあったものをそのまま利用しているので、志門には大変助かった。

 これからは、仕送りだけで節約生活を送らなければならない。

 心を読んだかのように詩津が箸を止めて、ゆっくりと室内へと視線を傾けた。



「でも、良かったですね志門さん。家電製品とか、生活に必要なものが一通り揃っていて」

「ああ。綺麗に使ってあるし、ばあちゃんに感謝だな。食器も馴染のものばかりだし、使いやすいよ」

「いっそのこと、あたし達の食器も置いてもらおっか? 詩津姉」



 肉じゃがを頬張っていたかさねが割り込む。



「なに言ってるの。図々しいわよ、かさね」

「そうだなー。食器はたくさんあるから、その代わりいつでも好きに使ってくれ」

「うん、わかった」


「あと、志門さん。荷物は一人で開けられますか? 私、お手伝いしますよ」

「ありがとう詩津。でも、引っ越し屋にはそれぞれの部屋へ運んでもらったからさ、あとは俺一人でやってみるよ。何から何まで世話になってちゃ悪いしな」


「そうですか……。じゃあ、しばらくはお夕飯だけでも持ってきますね」

「おお、すっごく助かるよ」



 ちょっぴり淋しそうに微笑みながら、詩津は食事を続けた。

 そんな姉を横目に、かさねはにやけている。

 仕方がないので、普段の妹を演じて話題の転換を試みた。



「荷物かぁー。先週、鍵を開けに入った時にはえらい目に遭ったよ……。虫の大群には脅かされるし、スプレー吹かしたり、虫取りポイポイを置き回ったし。どんだけ心臓悪くしたことか……」



 テーブルに手をついて若干講釈を垂れるように、かさねが軽くため息をついた。

 これでも女子だよ、というように志門へと眉を寄せる。



「ははっ、すまなかったな、かさね。あんなにカチコチの真っ青になるなんて思ってもみなかった」

「うきーっ! 分かっててやったでしょ! おまけに私のぱんつまでがっつり見られたし!」


「いやー、あれは事故だって」

「緊張で身体疲れたー! マッサージしてー! あとお菓子全部よこせー!」


「まあ、かさねったら」

「はい喜んで、かさね様」



 久方ぶりに笑い声が家屋へと響く。

 春休みも、志門の生活もまだ始まったばかりだが、運命の歯車は既に動き始めていた。

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