第3話 先住者たちは盛大に出迎える

 話は一週間前の週末に遡る。

 叔父からの鍵の引き渡しを午後に予定していた為、志門は時間前には青戸家へと到着していた。

 半年ぶりに如月家へと声を掛け、これからのことを伝える。

 案の定、かさねなどは歓喜に沸いて飛び跳ねては、姉の詩津に注意を受けていた。


 ところが、しばらく待っても、時間を過ぎても叔父は現れない。

 こちらから連絡を入れようかとスマートフォンを取り出した際に、ちょうど叔父から電話が入った。

 どうやら渋滞で一時間は送れるらしい。


 曇り顔で電話を切ると、かさねが腕にしがみついてきた。

 順調に成長している様子で、柔らかい部分が軽く押し当たる。

 けれど、この辺りの感情に乏しい志門は気に留めるでもなかった。



「どうしたの、志門兄ちゃん」

「叔父さん渋滞で遅れるんだって。……さて、どうするか。引っ越し屋の荷物があと三十分後には到着するんだ」

「まあ、それは困りましたね」と、すぐそばの詩津も心配そうだ。


「わかった! じゃあその荷物をうちで預かろうよ、詩津姉!」

「ははは。有難いけれど、実は大箱で三十個くらいあるんだ。だから、かなり厳しいね。俺一人なのに多くてごめん……」




「じゃあ、志門兄ちゃん家のガレージの下にとりあえず置いてもらって、後で運ぶとか。あたしも手伝うよ!」

「いやー、本も多いからとっても重いんだ。それにせっかくだから業者に中の各部屋まで運んで欲しいしね」



 それまでテンションマックスだったかさねだが、現実を突き付けられたようで動きが小さく収まってきた。

 志門は服の袖を掴む腕が、わなわなと震えている気がした。



「うぅ、それじゃ――」

「ありがとな、かさね。でも実は一つだけ打開策があるんだ」



 手をかさねの肩に、志門は微笑んだ。



「えっ、なになに?」

「この中じゃお前にしかできない、特別ミッションだ」



「キャー! やるやる!」と、脚をバタバタとさせる。



 乗せられ易いとでもいおうか、ある意味かさねは人を疑うということを全く知らなかった。

 義兄のように慕う男の従順な妹なのだ。

 もしかすると、本人は妹以上のことを望んでいるかもしれないが、今は置いておこう。

 このようになんにでも猪突猛進な妹を、ちょっぴり心配する姉が声を掛けた。



「ちょっと、かさね――」


「大丈夫だ。俺もきちんとサポートするさ」

「うんっ。で、どうするの?」



 すっかりその気のかさねは、期待に満ちた目で義兄を見上げる。

 志門はこの表情豊かな少女の顔が、大変好きだった。

 本人はそのつもりはないのだが、それでもやはり自分の表情には出ないらしい。


 

「じゃあ、こっちに来てくれ」



 そういってすぐ横にある、青戸家の屋根付きガレージ前へと移動した。


 

「あの二階の窓が見えるか?」



 彼の指さす方へと目を向け、小さな窓があることをかさねは確認した。

 何度も上がり込んだ記憶からすると、志門の祖母が利用していた和室の入り口前だ。



「あ、おばあちゃんのお部屋の前の窓だよね。階段を上がったところにあるやつ」

「そうそう。あまり大きな声ではいえないけど、あの窓は鍵が壊れてるんだ。だから開く。でも俺だと辿り着くことはできても、あそこからは入れないんだ。なにせ小さい窓だからね。そこで、かさねの出番だ」


「わかった! あそこから入って、中から鍵を開ければいいんだね!」

「そういうことだ。」


「なんか、スパイみたい!」

「おっと、油断は禁物だぞ」



 盛り上がる二人とは対照的に、詩津は心配そうにやり取りを見守る。

 せめても、と妹に寄り添った。

 というのは建前で、志門の近くにいたかったらしい。

 詩津へも軽く頷くと、志門は小さな仲間へと説明に入った。



「いいか、かさね。中に入れれば、あとはもう楽勝だ」

「うん」


「まず階段を下りる。急だから気を付けてな。階下のトイレを横切って廊下を通過、応接間横の玄関へと向かう。それで、玄関の鍵を内側から二か所開けてくれ。ひねるタイプのものと、釘が差し込んであるものだ。釘のやつは上側にあるけど、かさねの背丈なら問題なく届くはずだ。……大丈夫か?」

「うっしっし。あたりきしゃりきのぽんぽんちきだよ、志門兄ちゃん! 何回も遊びに入ってるから、問題ないよ」


「かさね、そこは『こんこんちき』よ」

「詩津姉も、ダイジョウブだよー!」


「ほんとうかしら……」


「よっし、じゃあまず俺が塀にのぼってかさねを引き上げるよ」

「志門さん、気を付けて下さいね」



 性格おとなしく、心優しい詩津は本心から不安がっている。

 この姉があってこそ、かさねという活発な妹が出来上がったのかもしれない。

 志門は全く意に介さず、笑いながら詩津へと答える。



「ああ、詩津。落ちる時は俺が下敷きになるよ」

「そういうことではありませんっ」


「ははっ。……よいしょ、っと」



 片手を塀の上へかけると、志門は身軽によじ登った。

 次いで、バランスを取りながらかさねへと手を差し出す。

 かさねは両手で掴みながら、ほとんど志門に引っ張り上げてもらう形で塀に立った。



「お次はガレージの屋根の上だ」



 手を壁に添えながら塀の上を移動し、ガレージの上へと飛び上がる。

 それほど高くはないが、ここでもかさねの手を引いた。

 時折後ろを振り向いて確認する志門だったが、たどたどしく進むかさねは至極楽しそうだった。



「さあ、ここからはかさね一人だぞ」

「うん。でもまだ窓は上だね」


「問題無い。俺の肩に乗ってくれ」

「おおっ、今度は忍者みたい! 了解だよ!」



 かさねの靴を預かり、志門は双肩に足を乗せてやるとゆっくりと立ち上がった。

 両手で足を支えながら準備は良いかと頭を上げかけたその時、とっさに詩津が声を掛けてきた。



「志門さんっ、決して上を見てはいけませんよ!」

「ん、どうした?」



 詩津が何をそれ程気にかけているのか不明だった志門。

 全く問題ないのに、と見上げるとそこには、無防備な少女のスカートの中が丸見えとなっていた。

 中学生へと大人の階段をのぼる少女の、形良いお尻と健全なぱんつがそこにある。

 このアングルにこの状況、無頓着な志門もさすがに不意を突かれた。 



「おぉぉおっと!」

「え、なになに? ……わぁぁー! 志門兄ちゃん見ちゃダメぇー!」



 当の本人もこの時初めて気づいたらしい。 

 じたばたと肩を蹴り、頭を踏み、顔を真っ赤にしたかさねはまさに女子だった。

 顔面は蹴られまいと半目になりつつも、身もだえるかさねの下半身を見てしまう。

 と、そのような想いは横に、志門は隙を見て声を掛けた。


 

「あたた、動くなかさね! 分かったから落ち着けー!」



 その時、バランスを崩したかさねは、お尻ごと志門の 顔面へと落ちてきた。



「ひゃぁ!」

「……むぐぐ」


「いやーん、ちょっと一回下してー!」

「――ふぁがった(わかった)」



 幸いかさねにけがはない。

 もう一度かさねを肩に乗せ直し、今度は慎重に立ち上がる。

 どちらかというと、バランス云々というよりも、上を見ないようにするというプレッシャーの方が大きかった。


 

「……ふう、さて。いいモノを見せてもらったし、気を取り直して行ってくれ、かさね」

「んもー、志門兄ちゃんのエッチ」



 詩津も自分の声掛けで事態を引き起こしたと思い、自重する。

 志門らがよじ登った辺りから静かに見守っていた。


 かさねは窓を開けると、上半身を曲げながら片足を先に入れる。

 志門はというと、上を見ないようにしながら、今度は掌を台にして彼女が入りやすいように押し上げた。

 窓の下には客人用の洗面台があり、そこを足掛かりにようやくかさねは二階へと降り立った。



「じゃあ、かさね。あとは頼んだぞ。俺たちは玄関へ行ってる」

「オッケー」



 小窓越しに二人は意思疎通する。

 さて、親しんだ匂いを懐かしみながら、かさねは階段を下りはじめた。

 半世紀の時を経た家屋は内装の木材が程よいツヤを放ち、階段のきしみさえも心地よい。


 

(すっごく久しぶり。今度ゆっくりとお家を見せてもらおうっと)



 階段を下りきると、まっすぐに玄関までの廊下が伸びている。

 自然光でも十分に明るいが、それでも隅の方は薄暗い。

 頭の片隅の方でどこか違和感を覚えつつも、かさねは玄関へとたどり着いた。

 玄関の木製ガラス戸に映る人影は志門だ。

 曇りガラスだからはっきり見えないが、もう一つは詩津だった。

 置いてあるサンダルを履き、二か所の鍵を開ける。

 そうしてレトロな戸に手を掛け、外へと合図した。



「開けるよー。……よいしょ、あれ? んぬぬぬぬぬ……!」

「しばらく使ってないからな、ちょっと堅いか? こっちからも合わせてみる」と志門。


「だ、だいじょうぶ……、ぅえいっ!」



 更に力を込めると、数カ月ぶりに戸が開かれた。

 ガララッ、――タンッ!


 

「おっ、開いたな――」



 と、志門の顔が見えた途端、室内でうごめく無数の黒い点がかさねの眼に飛び込んできた。


 

「ぎにゃぁあぁあぁあぁ――!!」

「「かさね!」」



 腹の底から爆発したような悲鳴を上げるかさね。

 同時に声を掛けた志門と詩津の声は容易にかき消されてしまった。



「でっ、でたぁぁぁぁ――!!!!」



 血の気を失った表情で涙目になりながら、その声を最後に沈黙する。

 細長くて楕円形、そして黒光りするもの、それはまさしくGゴキブリだった。

 戸の上部、下部、下駄箱の陰など、一体どこに隠れていたのか分からないくらいの数が激しく戸を開いた衝撃で飛散した。

 飛び掛かってくるモノがいないだけ幸いで、Gは家屋の中へと逃げるようにそれぞれ去って行く。

 またどこかの隙間にでも身を潜めるのだろうか。


 全く抵抗のないかさねにとって、不意を突かれたことと、無数のGを目撃したことがショックとなり、その場に固まってしまった。

 舞い上がった粉塵がゆっくりと落ちてくる中で、志門が呼びかけても口をパクパクとさせている。

 まるで何が起こるか分かっていたかのように、込み上げるものをこらえるかのように、志門は悟られまいと微笑んだ。



「……かさね、お疲れさん」(ぽむっ)



 そういって、志門は優しく義妹を抱きしめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る