第2話 出会いと再会

 変な顔、といわれてムッとしないわけではないが、確かに緩い顔だったのかもしれない。

 志門はスルー気味に切り出した。



「ああ、すまない。取ってあげようか? 確かに棚がちょっと高いよな」



 背丈は志門より少し低いが、女子の中では高い方だろう。

 薄手ニットに短パン、サイハイソックスという恰好は、すらりとした彼女には良く似合っていた。

 赤味がかった長い髪をハーフツインで綺麗にまとめている。


 彼女の前に立つと、棚の方へと手を伸ばした。



「これか?」

「違うわ、その右よ」



 少女は腕を組み、怪訝そうな顔で見上げている。



「ああ、これだな。えっと……『武将たちが愛したにゃんこ本』か」

「いっ、いちいち読み上げなくて結構だわよ!」



 本の背部分へと手を掛け、難なく引き抜くと彼女へと手渡した。

 気恥ずかしそうに睨みながら、商品を受け取ると「どうも」とだけいってレジへと向かう。


 しばし呆気に取られた志門だったが、足元のキラリと輝くものに目がいった。

 短く細長い棒先に、丸く美しい桃色の玉が付いている。

 これは先ほどの彼女が落としたものだろうか。

 拾い上げたその小さな丸い玉に、志門は妙に引き込まれそうになった。

 どう見ても安物ではない。

 瞳のようにも見て取れるし、その中心は奥深くどこまでも続いているようだ。


 観察していると、幸せそうな表情でにゃんこ本を胸に抱え、彼女が戻ってきた。

 途端、まだいたのかとばかりにきつく志門を見やる。



「落ちてたけど、これ君のか?」と志門。



 はっとした少女は頭頂部へと手をやり、片側に着いていないことを確認する。



「か、返しなさいよっ」

「取ったりしないさ。ほら。綺麗な玉だな」



 素早く志門の手から取り返すと、安堵の表情を浮かべた。

 余程大事なものだったらしい。



「当然よ、大事なものですもの。じゃ、失礼するわ」



 そういって彼女は志門とは反対方向の出口へと去って行く。

 ハーフツインの片側には、同じような丸い玉が輝いているのが見え、志門は無言で見送った。



(大事なものなんだったら、せめてひとこと……。いや、まあいいか)



 リュックを背負いなおし、広場の方へと階段を降りてゆく。

 爽やかな風を頬に受け、地上で風景を見渡したのち、住居へと向かった。

 といっても、徒歩五分ほどの近距離なので、駅からはかなり便利だ。

 今後通う高校までも徒歩十五分、と運に恵まれている。


 住居というのは父親の生家であるが、現在は祖父母も他界しており空き家となっている。   

 そこへ、近くの高校へと進学を決めた志門が管理も含めて住むこととなった。

 築五十年は経っているであろう日本家屋なので、見た目はボロだが風情は大変気に入っている。

 横断歩道やアンダーパス、隣の歯科医の駐車場など幼き頃の思い出が通り過ぎていった。


 そうこうしているうちに入り口前へとたどり着く。

 簡素な和風の門は、引戸などの木材が流木のようにカラカラな質感で、嵐でも来ようものなら簡単に壊れてしまいそうだ。

 わずかな間とはいえ空き家だったが、見たところ異変はないようだった。



(さて、家に入る前にお隣さんへ正式に挨拶しておくか)



 先日、叔父から鍵をもらい受ける際に訪れて顔を合わせてはいる。

 けれど、高校生活の三年間は何かとお世話になるだろう。

 なんといっても、志門はそうせざるを得ない気がした。  


 隣の如月きさらぎ家へと歩み寄り、インターホンで名を名乗ると、女性の声が優しく応えてくれた。

 こちらの住居は数年前に建て替えが済んでおり、洋風造りとなっている。

 数秒後慌ただしい足音が近づいたかと思うと、勢いよく戸が開け放たれた。



「志門兄ちゃん!」



 幼女にも見て取れるようなセーラー服姿の子が、満面の笑みで飛び込んでくる。



「おぉっ!? ……っと。相変わらず元気だけはいいな、かさね」



 なんとなく事態を想像できた志門は、胸に飛び込んできた如月かさねの勢いを受け止め、顔を覗き込んだ。

 かさねは喜びと期待に満ちた目で志門を見つめる。


 

「あったり前だよ! 今日からお隣に住むんだから、嬉しくて楽しみで仕方なかったよ!」

「ははっ、そりゃありがとさん。今日からよろしくな」


「うんっ」

「……で、どうしてセーラー服なんだ?」


「えっとね、今度から中学生になるからその制服を見せようと思って」

「そうだったな。じゃあ、よく見せてくれ。……ああ、すっかりお姉さんだな」


「でしょ? グッときたでしょう? でもね、あたし以上に気合の入ってる人がいるんだよねー」

「そうなのか――」



 次いで、可憐で大人しそうな少女が戸口から現れ、静かに注意する。


 

「かさね、靴くらい履いて出てちょうだい」

「へへへ、そうでした」



 かさねは頭を掻きながら声の主に謝るが、志門には寄り掛かったままだ。



「ごめんなさい、志門さん。この子ったら騒々しくて」



 落ち着いた様子で妹の前に履物を差し出す。

 フレアスカートに白のロングスリーブTシャツ姿の様子は、正に淑女だった。

 姉の名は如月詩津きさらぎしづという。



「やあ詩津、これからよろしくな。まぁ、かさねはこれくらいじゃないとな」



 そういってかさねと顔を見合わせる。

 かさねに手を貸し、靴を履かせてやると兄になったような気分だった。

 目を輝かせた純粋な瞳を見ていると、自分にもこんな年代があったのだろうかと考えてしまう。



「無事に着いたみたいね、志門君。一人暮らし頑張ってね。もちろん色々とお手伝いするわよ」



 もう一人、彼女たちの母親である如月木芽きさらぎこのめが最後に声を掛けてくれた。


 

「ありがとうございます、木芽さん。」と志門。

「大丈夫だよ、志門兄ちゃん。詩津姉がアレもコレもお世話してくれるから。ねー、詩津姉」


「なっ、なによアレもコレもって」

「だってそうじゃん。何日も前からお料理の本とかで研究してるし、昨日も服装で遅くまで悩んでたし」



 にやにやと、なんでもお見通しといった笑みでかさねがばらす。



「たまたまです。普通ですっ」

「それにね、志門兄ちゃん。詩津姉ったら、したっ……ぅぷ」



 落ち着きの淑女のていを破り、妹の口を塞ぐ詩津だった。

 顔を真っ赤に、必死に感情を抑えている。



「……? まあ、なんだ。じゃあ俺はそろそろ家に入って、残りの荷ほどきとかするよ」



 この辺り志門は非常に鈍く、微笑ましく傍観するばかりだ。

 姉妹のやりとりの意図までは分からなかったが、挨拶もその辺にして志門は切り出した。

 はっと思い出したように姉の手を押しのけ、かさねがいう。



「そうだっ、志門兄ちゃん。奴らには十分気を付けてね」



 先ほどとは打って変わって、神妙な顔だった。

 志門にも内容は分かっている。

 こちらも真剣な顔で頷き、かさねの頭に手をやる。



「ああ、分かってるさ。前回のような惨劇はもう起こらないはずだ。――それに、策は家中に施してある」

「……例の、アレですね。大丈夫ですか、志門さん。決して無理はしないで下さいね」



 自分にはどうすることもできない、と詩津には分かっているらしい。

 不安げな表情で志門へと告げる。

 そんな三人のやり取りをちょっと困った様子で、木芽は眺めていた。



「問題ないさ。これからあの家に住むんだ。新しい主が来たと奴らに証明して、好き勝手にはさせないさ」

「では今晩の夕飯はあとで届けますね。ご武運を……」


「それは助かる、ありがとな。……じゃあ、また」



 そういって志門は如月家の人々と別れ、新天地である祖父母の家の門をくぐった。

 古いこの家は鍵で開く扉は、勝手口のみとなっている。

 玄関はというと中から鍵をかける仕組みとなっており、少し不便だがこの点は仕方ない。

 敷地の中には緑が生い茂り、花壇や石畳もそのままだ。家の横を通り、奥の縁側まで庭は伸びている。


 門から数歩先の勝手口の前に立ち、志門はリュックから鍵を取り出した。


 

(今度は油断しない。全方位警戒体勢でいく。問題ないはず……たぶん)



 鍵を回し戸を開くと、薄暗い室内の中へと志門は消えた。

 彼を見送った如月家の三人はしばし様子を見ていたが、何事も起こらぬことを祈り戻ってゆく。



「かさね、入るわよ。あとで一緒に夕飯持って行きましょうね」

「……うん、詩津姉」



 少し不安そうな妹の背中に手をかけながら、姉妹は家の戸を閉じた。

 半世紀は経とうかという父たちの生家『青戸家』。

 周辺の家屋は比較的新しいものが立ち並び、向かいとこの青戸家のみが昔の風情を保っている。

 そのような格好の場所に、招かざる客は集まってくるようだった。


 勝手口の戸を閉めた志門は、鼓舞するように自身へと声をかける。



「さあ、来るなら来やがれ!!」

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