後編
「なんかごめんね〜? シャワーとか着替えとか」
浴室の中から、
「……いえ、助けてもらったのは私ですし。家も近かったので、これくらいは」
彼女の着替えを置きながら、なんとか冷静さを取り戻そうと努力する。
まさか、こんな形で会うことになるなんて。
「えへへ、ありがと〜。わ、このシャンプーいい匂い!」
そんな私の混乱も知らずに、夏川祈里はご機嫌な様子でシャワーを浴びている。
ちなみに私は先に浴びさせてもらった。お先にどうぞと提案したけれど、頑として彼女が受け入れなかったのだ。
本当、どこまでお人好しなんだろう。
「……ごゆっくりどうぞ」
リビングで待っていると、私の部屋着を着た夏川祈里がやって来た。
少し胸の辺りがパツパツになっているのは見なかったことにしたい。
「……あの。改めて、本当にすみませんでした」
「いいっていいって。それに、こういう時はありがとうって言って欲しいな〜?」
「……ありがとうございました」
「ん、よろしい!」
心から嬉しそうに、くしゃっと笑ってみせる。その可憐さは、アイドルと呼ぶに相応しい。
なんて、思わず見惚れていると。
「生徒会の子、だよね?」
不意に問われて、心臓がびくりと跳ねる。
「あ、はい」
「やっぱり!
驚いた。まさか認知されているだなんて。
でも、これはチャンスかもしれない。
「……どうして、
「あはは、気になっちゃう? やっぱり女子高生っていえば恋バナだもんね〜」
からからと笑ってから、すっと優しい表情に変わる。
「あたしね、ちっちゃい頃はずっと入院してたんだ。手術すれば治るって言われてたんだけど、それがどうしても怖くて」
今度ははにかんだような笑みで、自分の胸の真ん中あたりにそっと手を置く。
「でもね。そんな時に、一人の男の子に出会ったの。家族のお見舞いって言ってたかな?」
なんだか、猛烈に嫌な予感がした。
「その子がね、あたしに勇気をくれたんだ。大丈夫だよって、君ならできるって。それで、あたしは頑張れたの」
「……もしかして」
「うん。それが悠くん。っていっても、その時名前は聞けなかったから、退院してから探したんだけどね」
思い出を慈しむように、彼女は続ける。
「あたしがアイドルを目指したのも、それがきっかけなんだ。あの時あたしがもらったみたいに、今度はあたしが、誰かに勇気と元気を届けたい……って」
「……なんだか、漫画みたいなお話ですね」
「だよね! すっごくロマンチック! だからね、あたしはこの運命を、手放したくないの」
さっきまでの朗らかな雰囲気から、少しだけ凛々しいそれに。
「今度の文化祭……後夜祭のライブで、絶対に悠くんを振り向かせてやるんだ」
その姿はまさに、物語のヒロインのようで。
※※※
それから文化祭当日を迎えるまでは、記憶がないくらいあっという間だった。
シンプルに生徒会としての業務が大詰めを迎えていたのもあるけれど、一番はあの、夏川祈里のエピソード。あんなものを聞かされて、私にどうしろというのか。
先輩との出会いも、想っていた時間も。
そこに背負っている覚悟も。
全部、ぜんぶ、敵わない。
これじゃあまるで最初から、私じゃなくて、あの人が――。
「
ぼんやりとした視界。その中でひらひらと揺れる、誰かの、手のひら。
聞こえるのは、春野先輩の優しい声。
気がつくと、私は学校の保健室のベッドで横になっていた。
「よかった、目が覚めたみたいだね。巡回中にへたり込んだ時はびっくりしたよ」
周囲は少し暗くなっていて。段々と意識がはっきりしてくる。
あれ、確か、今日は――。
「せ、先輩⁉ まだ文化祭、終わってないですよね⁉︎」
「え、ああ、うん。これから後夜祭が始まるところかな」
さあっと血の気が引いていく。
「す、すみません! もしかして、ずっと見てくれてたんですか……?」
はは、と困ったように先輩は笑う。
「そりゃあね、大事な後輩だから。ここのところずっと頑張ってたみたいだし、その疲れが出たんじゃないかな。あ、業務は他のメンバーが引き継いでくれてるから安心して」
ありったけの申し訳なさと、同じくらいの嬉しさに包まれる。先輩が、私のことを大事に思ってくれている。
ああ、幸せだ――それなのに。
冷静になるにつれ、私は気づいてしまう。
春野先輩が今さっき、後夜祭と言ったことに。
あの人の純粋な笑顔が、想いが、脳裏に浮かんできて。
なんだか自分が、ずるいことをしているみたいで。
「……先輩。後夜祭、行かなくていいんですか? 確か……」
「ああ、
ズキンと、心がえぐられる。
先輩が誰かを名前で呼んでいるのは、初めて聞いた。
「でもまあ、仕方ないさ。君が倒れたのは、生徒会長である僕の責任でもある」
本当に、どうしようもないほど優しい人。
そして私は、どうしようもないほど馬鹿なやつ。
「……先輩も、見たかったんじゃないんですか。お試しとはいえ、彼女さんのライブですよ」
こんなこと、言いたくもないのに。
「……あはは、君もなかなか意地悪だね」
「夏川先輩は、すごく頑張ってたはずです」
こんなこと、認めたくもないのに。
「……そうだね。それは僕も良く知ってる。彼女は誰よりも強くて、暖かくて……眩しいよ」
「来てほしいと、思ってるはずです」
「……そうだね」
そんな顔、させたいんじゃないのに。
「……せんぱい」
震える声で呼びかける。
勇気を出せ、冬木澪。
ずっと、ここにいてほしい。
そんな言葉を、やっとの思いで飲み込んで。
選ばれていいのは、私じゃない。
たったひとつを祈り続けたあの人こそが、報われるべきなんだ。
悔しいけれど、ムカつくけれど。神様に文句を言いたくなるけれど。
「ライブ、行ってください」
私はたぶん、ヒロインじゃないのだから。
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