寸を曲げて尺を伸ぶ
三鹿ショート
寸を曲げて尺を伸ぶ
彼女を心から愛していると思っていたが、実際は異なっていたらしい。
父親の得意先の娘と交際しなければならなくなってしまったために、彼女と別れたときは、確かに悲しみを覚えていたのだが、新たな恋人と過ごしていくうちに、その感情は何時の間にか消えていた。
かつては、彼女のためならば身命をなげうつことにも抵抗はなかったが、今では彼女が苦しんでいる姿を目にしたとしても、手を差し伸べることはないだろう。
私にとって、彼女が全てではなかったのだ。
***
情けないことに、私は彼女に復縁を迫っていた。
それは、父親の得意先が不祥事によって倒産したことが原因で、媚びを売る必要がなくなったからだ。
虫が良い話であることは、重々理解している。
同時に、彼女が私のことを受け入れてくれるということを、信じていた。
何故なら、彼女が最後に見た私の姿は、泣く泣く自分と別れていたものであり、やむを得ない事情を抱えていることを理解しているはずだからだ。
私が知っている彼女が変わっていなければ、再び私のことを愛してくれるはずである。
頭を下げる私の肩に、彼女は手を置いた。
顔をあげると、彼女は笑みを浮かべながら頷いた。
私は、彼女の手を強く握りながら、何度も感謝の言葉を吐いた。
だが、涙が出ることはなかった。
***
私を再び愛することを決めてくれた彼女には感謝しているが、私が彼女に対して同じことをすることは、出来なかった。
かつて、彼女への愛情が冷めていることを自覚してしまったことが影響しているのだろうか。
しかし、生活を支えてくれる彼女から離れるわけにはいかなかった。
ゆえに、表面上ながら、私は彼女を愛し続け、彼女の目が無いところで、新たに自分が愛することができる女性を探すことにした。
裏切り行為のようだが、実際は異なっている。
彼女を愛するということは、自身の生活を守るためであり、いわば仕事のようなものである。
私が新たに愛することができる女性を探しているのは、その仕事の息抜きのようなものなのだ。
それでも、彼女に露見することがないように気を付ける必要がある。
私の説明に、彼女が納得するとは考えられなかったからだ。
***
歓楽街に入り浸った結果、私は一人の女性と親しくなった。
露出の多い衣服を着用し、吐くまで酒を飲み続け、人目を気にすることなく私と接吻をするような性格などを考えると、彼女とは正反対ともいえる。
それは、彼女を愛することができないということの証左なのだろう。
だが、私は彼女に対して、感謝の念を忘れたことはない。
彼女が私と復縁していなければ、今頃は路上で生活をしていたか、悪事に手を染めていたかのどちらかの道へと進んでいたであろうことは、容易に想像することができるからだ。
彼女に対して感謝の念を抱きながら、私は他の女性を抱いていた。
他者にしてみれば、矛盾に満ちた行動だと批判するだろうが、私は至って真面目である。
***
やがて、私と彼女の間には、子どもが誕生した。
自分と血が繋がっていることを思えば、彼女に対する本心とは異なり、子どもには素直に愛情を注ぐ必要があるだろう。
しかし、成長した子どもを見た私は、違和感を抱いた。
子どもは、私にも、彼女にも、似ていないのである。
私や彼女の両親などの影響かと考えたが、誰にも似ていなかった。
其処で、彼女が私を裏切っているのではないかという可能性に行き着いた。
それならば、誰にも似ていないことの説明になるだろう。
だが、彼女が正直に話すとは考えられなかった。
私は、彼女以外の女性と会うことも忘れ、彼女が襤褸を出すまで待ち続けた。
***
外出した彼女を尾行したところ、やがて今にも倒壊するのではないかと思うほどの集合住宅に辿り着いた。
呼び鈴を鳴らした彼女を迎えたのは、一人の男性だった。
二人は誰が見ているとも知らずに、玄関先で接吻を交わすと、そのまま部屋の中へと消えていった。
おそらく、あの男性が、子どもの本当の父親なのだろう。
自分でも意外だったが、私は怒りを抱いていた。
彼女を愛することができないために他の女性を愛していた自分が、何故このような感情を抱いているのだろうか。
彼女を所有物と考え、それを奪われたことが気に入らないのだろうか。
何とも、自分勝手な人間である。
しかし、そのことの何が問題なのだろうか。
これまで私は、己に従って行動してきた。
それならば、自分の思うように動くべきなのである。
私は塵捨て場に置いてあった角材を手にすると、くだんの男性の部屋へと向かった。
私が幸福な未来を迎えるにあたり、明らかに邪魔だと分かる存在は、消しておかなければならないのだ。
勿論、彼女はその未来に必要であるために、始末することはない。
だが、多少は痛い目を見てもらわなければならないだろう。
寸を曲げて尺を伸ぶ 三鹿ショート @mijikashort
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます