第26話 猟犬

「その足を、どけろ」


 俺はペイルに言う。ペイルはにやにやとした醜悪な笑みを浮かべながら足をどけた。


「なんだい、君もやりたいのかい? ああ、どうぞ」


 と、ペイルは素直に足を上げ、後ろに下がる。


「……大丈夫か?」


 俺はメイドに駆け寄る。

 彼女は苦痛と恐怖に震えていた。


「はっ、はい……お、お許しを……」


 彼女はうつむき、震えながらそう答える。

 ……これが女か?

 痛みと恐怖に震える、弱者じゃないか。

 こんな人間を踏みつけるのが楽しいのか、こいつは。


「隷属の首輪、と言ったな、ペイル・ディム・ルルーディア」

「ああ、そうだよ。それがどうかしたかい?」

「……思い出したよ。フェンリの首にも同じようなものがあった」

「ああ、そうだね」


 ペイルは悪びれずに言う。


「妹にも、それをつけるのか」

「ああ、そうさ。あの犬は優秀だが馬鹿だからね。犬に言う事を聞かせるには首輪をつけて調教するのが必須だろう?」


 ……こいつ!


「……調教、か。本当なら嬲って犯しての調教をしたかったんだけどね。流石にそれは止められたよ。僕らの大切な王太子殿下に中古を渡すワケにはいかないからさ。

 まあ、殿下と兄弟ってのもそれはそれでアリだけど」


 そう言ってくっくっく、とペイルは笑った。


「そんなことの為に、妹を」

「そんなことのために、妹にしたのさ」

「なんだと……」

「わが妹には、絶対令嬢を倒して七大罪令嬢の頂点に君臨し、王太子の妻となり女王として君臨してもらう。よしんばそれが無理でも、高い地位につければそれだけ国を操りやすくなる。君も知っての通り、この国は腐りきっている。それを正しい方向へ導くのが貴族たる僕の――真の支配者たる男の務めだろう?

 そのために、身体能力の高い獣人の集落を襲い、奴隷として捕らえたのさ。

 ああ、金をつぎ込んで情報操作して悪役令嬢どもを動かすのは難しくなかったよ。おかげで一匹、ちょうどいいのが手に入った」

「お前は……!」


 その俺の態度に、ペイルは首をかしげる。


「……わからないな。何をそんなに怒るんだい? 君も女どもに今までひどい目にあってきただろう。

 その女たちと同じことを、僕はしているだけさ。

 これは正当な復讐だよ。

 そして君も、復讐するべきだ。いやそもそも、君があの悪役令嬢を使って戦っていることが君の復讐だろう? 行っていることは僕と同じだ、悪役令嬢を使い悪役令嬢たちを倒し、この国の中枢に入り込み、世界を壊す。

 そう、僕たちは同志だ。

 君も【紳士協定】の仲間となり、共にこの世界を変えようじゃないか」


 ペイルは俺に向かって手を伸ばす。

 ……ああ、確かに俺も女にはひどい目に合ってきたし、復讐が俺の目的だ。そういう意味ではこいつの言い分は正しい。


 正しいが……。


「……」


 俺は蹲っているメイドの少女を見る。

 このこみあげて来る不快感。これは女を見ているから起きる不快感……じゃない。



『フィーグ、いいかい。弱い女の子や子供を守る、それが男というものだ』



 父の言葉が脳裏に浮かぶ。胸に響く。

 そうだ。俺が憧れたのは。


「……断る」


 だから、俺はそう言った。

 俺はただ、このメイドの女の子を踏みにじり、あの元気なフェンリを政略結婚の道具として隷属の首輪を嵌めて笑う、この男がただただ不快だった。


「何故だい?」

「簡単な話だ」


 俺は言う。


「お前は……俺の友人の尊厳を踏み躙った。お前の手を取らない理由は、それで十分だ」

「……そうか。なら、仕方ないね」


 ペイルが取り出したのは、小さな鞭だった。その鞭が魔力の光を放つ。

 次の瞬間――


「!」


 銀光が煌めく。

 メイドが手に持ったナイフが、俺に向かって振るわれた。


「っ!?」


 そしてメイドが驚愕の表情を浮かべる。

 俺のとっさに展開した防御結界魔法にナイフが阻まれたからだ。


「……っ」


 メイドは苦痛の顔を浮かべている。

 これは――


「隷属の首輪か」


 俺を刺すように命令されたその魔法による苦痛が彼女を蝕んでいた。


「へえ、反射神経なかなかだね」

「……ペイル、お前!」

「だって仕方ないだろう。君が拒否するなら、始末するしかないんだから。僕たちの計画を知られるわけには行けないし。

 女の不興を買って女に刺し殺された、という形ならだいたい無罪になる世の中だからね、ムカつくけど女様という生き物は便利だよ。そうだろう?」


 そう言ってペイルは笑う。


「さあ、殺せよ。やれ」

「うう……ぁっ!」


 ペイルが鞭を光らせる。そしてメイドは激痛に促されるまま、ナイフをふりあげ――


「悪い」


 俺はその一閃を躱し、彼女の腹に手を添える。

 そして――魔法を発動する。


「――」


 紫電、閃光。

 メイドはそのまま糸が切れた人形のように倒れた。


「……お前、殺したのか! ははっ、そうだよなあ殺されるくらいなら殺すよなあ!」

「殺してないよ」


 勝ち誇るペイルに俺は言う。


「ただの護身用麻痺魔法だ」


 電撃で相手を痺れさせる魔法、それだけだ。

 レイプされそうになったら相手を軽く痺れさせてその間に逃げる、男の嗜みの基本魔法である。

 普通は軽く驚かせる程度の威力しか無いが、長年の特訓で相手を一撃昏倒させる程度の出力が出せるようになった。

 隷属の首輪による強制は、痛みによっていう事を聞かせるものであり、肉体そのものをあやつるわけではない。なので気絶させればそれ以上の効果は及ばないのだ。


 自分で試したからよくわかる。


「……ちっ、ああそうかいそうかい。使えねぇ豚だな。

 ああ、いや。流石は僕の見込んだ男ということかな。そうでないと面白くない。

 豚では君を殺せない、ということだな、ああ納得した。だったら……」


 そしてペイルは鞭を鳴らす。


「っ――!」


 次の瞬間、爆音と共に床を砕いて現れたのは――


「やはり、獲物を狩るには猟犬でなくちゃね」



 首輪をつけた、銀の髪の、犬耳――いや狼耳と尻尾の少女。

 苦痛に表情をゆがめた、フェンリ・ルルーディアだった。

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