98話  コウハイ君の意地悪

「じゃ、焼こうか」

「はい」



今度のキャンプにおいて準備したのは、なにもお酒だけではない。


コスパのいい肉を買ってステーキで食べてみたい、というコウハイ君の提案があったのだ。


そのおかげで、ステーキ用の肉の準備もばっちり。


空は、少しずつ暗くなり始めていた。



「準備はいい?コウハイ君」

「はい」

「それじゃ、せーのっ」



肉を乗せたとたんに、ジュージューと気持ちいい音が鳴り響く。


夏場に汗をかきながら、私たちはあえて焚き火を使って肉を焼いていた。



「一杯飲みますか?センパイ」

「おっ、センスいいね~」



笑顔のまま缶ビールを受け取って、そのまま呷った。


熱気に包まれた中で飲むビールの冷たさは最高で、ついおっさんみたいな声を漏らしてしまう。


コウハイ君は苦笑をたたえながら、私が握っているトングをジッと見つめた。



「焼くの、俺でもよかったのに」

「いいの、いいの。コウハイ君に何もかも任せたくはないから。まあ、といっても大したことは全然してないけどね」

「傍にいてくれるだけで力になってくれますよ、センパイは」

「うん、知ってる」



そして、コウハイ君も私の傍にいてくれるだけで、大きな力になってくれる。


一人だった世界では想像もできなかった。1年前の私なら、夏場にキャンプという馬鹿らしい行動はきっとしないはずだ。


でも、二人だからできる。二人だから、私は肉を焼くのも楽しいと感じているし、酒を飲むのに幸せを感じている。


すべて、このコウハイ君が送ってくれた感情だ。



「中までちゃんと焼けてるのかな、これ?よく分かんないけど……」

「まあ、生焼けだったらまた焼き直せばいいじゃないですか」

「あ、その観点は感心しないな~~最初から完璧じゃなきゃ意味がないじゃん」

「最初から完璧なものなんて、この世にはいませんよ?」

「ぷふっ、コウハイ君らしい言葉だね」

「センパイもそう思っているんじゃないですか?」

「肉を焼くのに変な哲学を持ち出さないの」



いたずらっぽくそう言ってから、また3分くらいが経ち。


トングで肉を取ってから、私は隣にあるまな板にそれを移す。ここで5分くらい休ませれば、美味しいステーキの完成だ。たぶんだけど。


5分の間にやることがなくなった私は、コウハイ君をじっと見つめる。


酒を飲んでいるせいか、もしくは私のせいかは分からないけど。


コウハイ君の顔は、少し赤くなっていた。



「……なにか言ってください」

「いや。なにも言いたくない」

「旦那を困らせて楽しいですか?」

「旦那を困らせなきゃ生き甲斐を感じられなくなったからね」

「本当、意地悪な奥さん」

「ふふっ、そうだよ?私は君の奥さんなの」



……結婚は、ただの肩書ではなかったらしい。


社会とちょっとかけ離れている私達にも、結婚という概念はちゃんと根付いているらしかった。


ただの契約だと思った結婚は、思ってた以上に私たちを強く結び、繋げ、心を一つにしてくれた。


献身という心に。



「徹君」

「……はい」

「愛してるよ」

「……………」

「嘘じゃないからね?」

「知ってます」



コウハイ君はやや赤くなった顔で、私から視線を避ける。


照れてるコウハイ君も可愛くてニマニマしていると、コウハイ君が急に立ち上がった。



「えっ、どうしたの?もしかして、トイ――――」



トイレ、という単語を口に出せず、私はそのままキスをされてしまう。


目の前にコウハイ君の額と、赤くなった頬が映る。


即座に目を閉じてキスの感覚に集中しようとしたら、コウハイ君はすぐに唇を離した。



「……意地悪」

「凜さんほどじゃないですから」

「………本当に意地悪」

「不満でもありますか?凜さん」



コウハイ君は小首をかしげて、私を煽るような言動を取る。


私はまんまとその挑発に乗っかって、立ち上がってコウハイ君にキスをした。



「んん!?ちょっ……」

「…………」



首に両腕を巻いて、互いの汗と体臭が混ざり合うほど体を密着させて、私はキスをする。


心は爆発して、家だったらそのまま服を脱がせて行為に及んでもおかしくないくらい、高鳴っていた。


でも、さすがにここで我慢すべきだろう。


そうやって私が唇を離そうとしたら、またもやコウハイ君が私に抱き着いてくる。


ああ、ヤバいなと思いつつ、私はその感触を受け入れた。


しばらくついばむようにキスをして、ゆっくりと唇を離したら。


透明な唾液の橋が、私たちをまだ繋げていた。



「……エッチ」

「……凜さんほどじゃないですから」

「また意地悪な言葉を……って、誰も見てないよね?」

「見てないですよ、さっきの家族連れの人たちはどっかに行きましたから」

「……ふう、よかった」



私はちょっといさめるようにコウハイ君の胸を一度叩いて、体を離した。


キスの後にステーキを食べなきゃいけないなんて、普通にヤバい。せっかく買った肉の味が全く感じられなくなりそうだ。



「……ほら、早くお座り」

「ペットじゃないですから」



コウハイ君はチェアに座ってから、肉を切る私をジッと見つめる。



「もしかして、嫌でしたか?」

「……嫌じゃなかったけど」

「ごめんなさい。次はちゃんと自制するんで」

「そういうことじゃない」



私は肉を切る手を止めて、コウハイ君を見つめた。



「キスは、誰にも見られたくないの。私たちのキスは私たちだけのものだから」

「なら、もっと自制しなきゃいけませんね」

「うん、次からは外でキスしないように」



……といっても、さっきの私は全然流されてたけどね。


どの口が言ってるんだかと自嘲しながら、私は大きめの肉にフォークを刺して、コウハイ君に渡した。



「徹君」

「はい?」

「愛してるよ」

「……………………唐突ですね」

「さっきの仕返し」



幸い、肉はちゃんと美味しかった。

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