95話  言葉の意味

センパイのその言葉に胸が弾んでいた。


センパイは言った。俺が一生を誓ってくれるまで頑張ると。普段のセンパイの言動からは、ちょっとかけ離れている言葉だった。


センパイは優しいけど、俺が持っている愛とはちょっと別の愛を持っていたから。


俺はセンパイに尽くしたいと思っていて、センパイは俺を独占しようとしていた。


それこそが俺たちの愛で、俺たちを隔てていたみぞだった。


そして、その独占欲が俺と同じ愛になったことを確認した、今。


俺は、センパイの傍から一生離れたくないと、切実に思っている。



「どうしたの?」

「何がですか?」

「映画見てないで、ずっと私ばかり見てるから」

「気のせいですよ、それ」

「にしては、ずいぶんとガン見だけど」



……センパイの言う通りだ。お昼ご飯を食べて、いつものように映画を流していた休日の午後。


俺はセンパイの横顔だけをずっと見つめていて、センパイは薄笑みを浮かべながら画面だけを見つめていた。


でも、結局耐えられなかったのか、そんな言葉を投げかけてきたのだ。



「コウハイ君」

「はい」

「視線がくすぐったい」

「………そうでしょうか」

「うん」



俺はゆっくり、視線を前に戻す。そうしたら、今度はセンパイが逆に俺を見つめてきた。


リビングのソファーで、俺たちはそんな茶番みたいなことをやっている。


でも、こんなくだらない時間に幸せという名を付けられるほど、俺たちは互いを認めるようになった。



「……センパイ」

「うん?」

「映画、見なくても大丈夫なんですか?」

「だから、止めたじゃん。どっかの誰かさんに仕返しをするために」



……まあ、止まっている画面を見続けても、どうにもならないだろうな。


俺はゆっくりとセンパイに視線を戻す。視線が合った瞬間、センパイは花が咲くように笑った。



「センパイ」

「うん」

「今朝のあの言葉、もう一度だけ聞かせてくれませんか?」

「……どんな言葉?」

「俺が一生を誓ってくれるまで、頑張るって言ってた言葉」

「ダメ。そういうものは、特別な時でしか言いたくないから」

「今朝って特別でしたっけ」

「特別だったよ?私の中では」



くすっと笑っているセンパイに、俺はどんな返しをすればいいか分からなくなる。


言葉は軟弱だ。言葉には形がない。形のない言葉は実物より軽く、いつ裏返ってしまってもおかしくないくらい、弱々しい。


でも、俺たちはその言葉に追いすがっている。俺たちはその言葉で通じ合っているわけだから。


だから、終わりだ。もし俺が一度でも一生傍にいますと言ったら、俺はもうその言葉をくつがえすことができない。


一生、センパイの傍にいなきゃいけなくなるし、今まで抱いてきた自分の信念も捻じ曲げなければいけなくなる。


センパイの幸せより、俺がセンパイの傍にいたいという身勝手な欲求が大きいってことを、認めてしまうわけだから。



「……コウハイ君」

「はい、センパイ」

「もう堕ちてるね、私に」

「……とっくの前に堕ちていますが」

「ふふっ、そうじゃなくて」



センパイは自然と距離を縮めて、俺の手を握って指を絡ませてくる。


その瞳からは、愛おしさ以外の単語が見つからない。



「悩んでいることがよく伝わるから、それが不思議だったの」

「……悩んでいる?」

「ずっと私の傍にいたいという約束をしたくて、でも我慢しなきゃって顔をしてるから」



…………ああ、本当にこの人は。


詐欺だろ、一緒に住み始めてまだ1年も経ってないのに、こんな……。



「よく分かりましたね、センパイ」

「まあ、お互いの魂が似てるからじゃない?」

「センパイも悩んだんですか?」

「私の場合、悩んではいなかったけど……けっこう、自然と口に出ちゃった感じかな」



それは、今朝に言ってくれた言葉のことだろう。


俺のために頑張るって言葉は、センパイがあまり使わないたぐいの言葉で、いだかない類の感情だから。



「だから、私は確信できるよ」

「何をですか?」

「私たちは離れられないよ、絶対に」



絶対に、という言葉にやけに力を入れたセンパイは、俺の頬に手を添えてくる。



「……魂が通じ合っているから?」

「ううん、お互いが傍からいなくなったら、きっとお互いに会えるためにもがくはずだから」

「センパイが不幸になったら、俺はセンパイから離れなきゃいけません」

「でも、コウハイ君は私から離れられないと思うよ?一生を誓わせることとは別の意味で、離れられないと思うな」



呪いのような言葉だった。


まるで意識を書き換えるみたいに、センパイは重い言葉ばかりを投げてくる。


妙な感覚で、俺の思考がその言葉に吸い寄せられていくような気がする。



「……どうして離れられないんですか?」

「コウハイ君は私のことが大好きで、私にひどいことをするはずがないから」

「それと?」

「私が、コウハイ君の足に縋りつく自信があるから」



ぷふっと笑ったセンパイは、そのまま俺の胸をトントンと叩いてくる。


昔のこの行動は、俺の穴を確かめるような行動だった。そして、行動の本質は今になっても変わっていない。


俺の穴は大きくなっている。それが、センパイで埋められているから気づかないだけだ。



「別れないでって泣き叫ぶセンパイって、想像しがたいんですが」

「想像したくないだけじゃない?私が泣く姿なんて見たくないはずだから」

「…………」

「コウハイ君」



的確に俺の思考を当てたセンパイは、笑みを消した真顔になって俺を見つめてくる。


なにかを決意するような、緊張しているようにも見える固まった表情が、センパイの心を表していた。



「私の幸せのために精一杯我慢しようとしていること、すごく嬉しいよ。本当に、私が大好きなコウハイ君って感じがして、愛おしい」

「………」

「でも、私が一番好きなのは……私の傍にいてくれるコウハイ君だからさ」



胸をトントンと叩いていたセンパイは、人差し指で俺の心臓をぐりぐりと押し付けてくる。



「もっと努力するよ。この穴が全部、私で埋められるよう。この穴に私以外のものが入らないよう、努力するから」

「…………」

「だから、もっと私を好きになって。お願いだから」



もう十分、そうなってますよとは答えられず。


俺はしばらく、俺の胸元をぐりぐりいじっているセンパイの指先を見つめていた。

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