92話 コウハイ君が邪魔だと思う私は死んでしまえばいい
結婚をしてもなお、私は我儘になり続けている。
薬指に嵌められている指輪を見ても、ひと時の安心感が訪れるだけだった。
結局、私がコウハイ君に欲しいのは一生という言葉で、私はその言葉を聞くために結婚をしたのだ。
だから、子供を持ってはいけないと思う。
私はズレている人間だという自覚はあるけど、でも……子供に辛い思いをさせたくはないから。
そもそも、自分がいい母親になれるかどうかの自信もない。コウハイ君は、間違いなくいい父親になるはずだけど。
「ふぅ……」
会社の仕事を一通り片付けて、私はため息をつく。
世間一般では、夫婦になることが永遠の証だと見なされていることが多い。でも、だとしたら離婚という言葉が出てくるはずもないから。
……わからない。何もわからない。結局、答えが出ない問題だ。
「お疲れ様です」
「お疲れ様です~~」
会社の人たちと別れの挨拶を告げてから、私は電車に乗って家に向かう。
向かっている途中にも、私の頭はコウハイ君で……旦那様でいっぱいになっていた。
本当に、すごいことやっちゃったな、私。
セフレから始まって、1年も経たないうちに結婚しちゃうなんて。1年前の私が聞いたら頭がいかれていると思うだろう。
でも、その1年も経たない間に、私の人生の優先順位は完全に変わっていて。
「ただいまです」
「……おかえり」
コウハイ君の優先順位も変わっていることを、私は知っている。
互いの一番が互いになった。私たちは、もう決して離れてはいけない存在だ。
ソファーに座っていた私は即座に立ち上がって、コウハイ君に近寄る。
「いや、最近はまた熱くなりましたね。そろそろエアコンつけな―――んっ」
そのまま、コウハイ君の言葉を最後まで聞かずにキスを送る。
コウハイ君はびくっとしたけど、すぐにキスを受け入れてくれた。
そして、私の舌が舐められて負けそうになり始めた時、私は唇を離す。
「……おかえり」
「……さっきも言われましたけど」
「でも、いいじゃん。2回言っても」
「まあ、それはそうですね」
コウハイ君は苦笑しながら、着替えのために部屋に向かわずに、玄関でただじっと私を見つめていた。
その眼差しには愛しか感じられない。私は、コウハイ君の目が好きだ。この重い愛が好きだ。
私が欲しい重さではないけど、コウハイ君の愛は十分に重い。
「どうかしましたか?今日」
「……なんで?」
「キスにちょっと勢いがありましたから。なにか悩みでもあったんですか?」
……キスの勢いだけで、そんなことを知っちゃうんだ。
本当にずるいなと思いつつ、私はコウハイ君を見上げる。
「どこかの旦那様のせいで、散々悩んでいたの」
「……そうですか」
「うん。そうだよ?」
「センパイは、俺と別れる日が来ると思いますか?」
突然の質問に目を丸くしつつ、私はゆっくりと考え始める。
コウハイ君と別れる日……別れる日は、来ないはずだ。というか、来れば困る。
たぶん、その時の私は死ぬはずだから。
「分からないけど、来て欲しくないとは思うかな」
「死ぬから?」
「死ぬから」
「俺も死にますよ、たぶん」
続きの言葉を聞いて、私はさらに目を見開いてコウハイ君を見上げた。
コウハイ君の顔は、いたって真面目だった。
「俺はまだ若いですし、生きてきた日々より生きていく日々が断然と多いんですけど、センパイみたいな人に出会えるとは思いませんから」
「………………」
「だから、普通に死ぬと思いますよ?俺はたぶん、センパイがいないと耐えられないと思いますから」
「……なら、私の傍から離れないで」
私はキスの代わりに、コウハイ君にぎゅっと抱き着く。
ワイシャツに少し汗が滲んでいるけど、構わなかった。むしろ、その体臭さえも愛おしい。
コウハイ君が死ぬなんて、想像するだけでも心臓がズタズタになって、狂っちゃいそうになる。
「絶対に、絶対に……私より先に死なないで、コウハイ君」
「……センパイ」
「私、コウハイ君が死ぬ姿なんて絶対に見たくないから。私を置いていくのを、絶対に許せないはずだから……お願い」
コウハイ君は私を抱きしめながら、囁くように言う。
「センパイが俺を必要とするなら、俺はいつでもセンパイの傍にいます」
「……私が死ぬ姿を見たくなかったら、ずっと傍にいて」
「……分かりました」
本当に分かってくれたのかな。いや、分かってくれるはずがない。
コウハイ君の言葉はちゃんと生きている。私の幸せにコウハイ君が妨げになったら、コウハイ君は別れを選ぶと言った。
それは本音で、絶対に覆せない何かだ。
でも、前提がおかしすぎる。おかしいとしか思えない。
私がコウハイ君を邪魔だと思う日は、永遠に来ない。
もしそう思っている自分がいれば、死んでしまえばいい。
コウハイ君はちょっとズレているけど、私とは釣り合わないほど素敵な人間だから。
「ただいまです、センパイ」
温もりに包まれながら、私は3回目の挨拶を口にした。
「おかえり、コウハイ君」
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