91話  センパイとの子供

センパイとの子供。


一昨日のセックスから、その単語がずっと頭の中でこびりついていた。センパイとの子供……センパイとの、普通の家庭。


想像がつかないなと思う。二人とも普通の家庭で育った記憶がないからか、子供の顔がぼんやりしているからかわからないけど、とにかく想像できなかった。



「なんかお悩み中か?」



そして、横でラーメンを啜っていた同期は平然とした顔で、質問を投げてきた。


そういえば、こいつには3歳の子供がいるんだっけ。ちょうどいいと思いつつ、俺は相談を持ち掛けた。



「子供が生まれたらどうなるんだ?」

「ぷふっ!?けほっ、けほっ……ああ、お前な……急に変なこと言うなよ」

「ごめんって。でも、最近ちょっと気になって」

「なんだ、まだ新婚だろ?この前結婚したばっかじゃねーか」



結婚式に呼ばなかったといじっていた同期の姿を思い出しながら、俺はくすっと笑う。



「ああ、そうだな。まだ新婚だし、俺だってすぐに子供を持ちたいわけじゃないんだ。でも、なんか気になって」

「へぇ……まあ、あえて言うのなら……そうだな。子供が生まれたら、子供の人生になっちゃうな」

「うん?子供の人生って?」

「文字通りの意味だよ。子供が生まれたら新婚もなにもねぇんだ。常に子供に目を向けなきゃいけなくなるし、深夜でも泣くからろくに寝るのもできねーし、とにかく大変だな」

「うわ……思った以上に生々しい話だな」



同期はピシッと笑いながら、言葉を続ける。



「そうだぞ、育児って大変なんだぞ?ちょっとうちの親を尊敬したくらいだからな。とにかく、子供を持つ気ならちゃんとした計画を立てた方がいいぞ。その方が金銭的にもメンタル的にも、もっと耐えやすくなるし」



……やっぱり現実はつらいな。


そう思いながら、俺は簡単な感謝の言葉を告げて、ラーメンを啜った。






そして、家に帰った後。



「らしいですよ。子供ができたら、その瞬間からは子供の人生になるって」



同期に聞いた話をすべて伝えると、センパイはぷふっと笑いながら言う。



「本当にそれを聞いたんだ。ちょっと真面目すぎじゃない?」

「……俺たち、夫婦ですし。そんなこと思ってもおかしくはないじゃないですか」

「あっ、ごめんね?別にからかうつもりはなかったの。でも……そうだな」



センパイは紅茶をじっと見下ろして、次の言葉までしばらく間を置く。


それから、センパイは俺をまっすぐ見つめてきた。



「コウハイ君、正直に言うとね」

「はい」

「私、今は子供を持ってはいけないと思うんだ。子供に失礼だから」

「……前に言った、俺を引き留めるための手段になりかねないから、ですか」

「さすがはコウハイ君。よくわかってるね」



……センパイは、未だに別れを怖がっているのか。


それほど愛されるのは嬉しいことだけど、同時にちょっと悲しくなってしまう。


結婚をしても、子供を産んでも、ずっと傍にいるとささやいても、センパイは本当の意味で安心したりしない。


センパイを安心させる方法は、俺が一生、センパイと一緒にいると誓うことだけだ。



「それに、コウハイ君と二人きりの時間をもっと楽しみたいしね。自分で言うのもなんだけど、私は母親に向いてないし」

「それは、確かにそうだと思います」

「……ちょっと?」

「分かりました。分かりましたから、太ももに足を乗せないでください。俺が悪かったです」



ぷふっと笑いながら、俺は紅茶を一口味わう。


センパイは欲しがらないと言った。なら、俺があえてこの話題を出す必要はないだろう。


……でも。



「センパイ」

「うん」

「センパイが子供を持ちたいと思うのなら、俺はいつでもOKですよ」

「…………」



センパイとの子供が……俺の子供が、どんな子になるのかを見てみたいという、ちょっとした好奇心も確かにあって。


その言葉を聞いた瞬間、センパイは目を見開いてから徐々にうつむいた。



「……コウハイ君」

「はい」

「一生を誓ってくれたら、今でも私はOKだよ?」

「やっぱり結婚だけじゃ満足できませんよね?」

「うん」



やけに素直になったセンパイは、薄笑みを浮かべてうなずく。



「コウハイ君が永遠に傍にいてくれなきゃ、困るかな」

「……俺も、センパイが傍にいてくれないと、困ります」

「なのに、一生を誓ってくれないんだ」

「はい。俺は自分より、センパイが大事ですから」



その言葉の意味をちゃんと知っているはずのセンパイは、ぷふっと笑いながら頷く。


これはどうしようもない俺のさがだということを、センパイはちゃんと分かっている。



「困っちゃうな」

「何がですか?」

「そんな君だから好きになったのに、君はずっとずるい言葉しか言わないから」

「……ごめんなさい、センパイ」

「ううん、謝らなくていいよ。それも全部含めての大好きだから」



大好き、という言葉をセンパイの口から聞くのは、相変わらず心に来る。


センパイは追い打ちをかけるように、もう一度言った。



「大好きだよ、コウハイ君」

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