89話 カクテル
金曜日、俺は珍しくデザートじゃなくお酒を買って家に戻っていた。
理由は単純だった。センパイが一緒にお酒を飲んでみたいとせがんで来たからだ。
だったら一緒にショットバーにでも行きますかと聞いたところで、首を振られてしまった。
『コウハイ君と一緒にカクテルを飲んでみたいの。美味しいやつでね』
俺は電車の中で、紙袋の中にいるウオッカとオレンジジュースを見下ろす。スクリュードライバーというカクテルに挑戦するための材料だった。
そういえば、お酒はあんまり飲んだことないかもしれない。センパイも俺も、お酒をそこまで飲むわけでもないから。
まあ、作り方も簡単だし上手くいくだろうなと思いながら、俺は家に着いた。
「おかえり」
「ただいまです」
そろそろ夏に差し掛かっている頃からか、センパイの部屋着は割と短くて、生地が薄い。
いくら裸を見た仲だとは言え、これはちょっと心臓に悪いなと思ってしまう。
「買ってきましたよ。センパイのためのカクテル」
「あはっ、お酒飲まれた後にはなにされるのかな~~」
「……センパイ」
「分かった、分かった。分かったからそんな困った顔しないで。ほら、夕飯作っておいたから、手洗ってきて?」
「はい、分かりました」
今日も夕飯を作ってくれたのか……本当に、センパイもだいぶ変わったな。
最近、料理をする頻度が増えたセンパイは夫婦になってからもっと、料理をするようになった。いつの間にかハマってしまったらしい。
俺は微笑ましさを感じながら着替えて、手洗いをした後にキッチンに戻った。
「いただきます」
「いただきます」
センパイが作ってくれた献立は、鯖の塩焼きと揚げ豆腐とわかめが入った味噌汁、ポテトサラダときんぴらごぼうという、ザ・和食って感じのものだった。
すべてセンパイが作ってくれたもので、俺はこんな些細な変化でも嬉しさを感じてしまう。
一緒に住み始めた最初の頃は、割とお弁当や出前で解決することが多かったから。
「どう?美味しい?」
「はい、むちゃくちゃ美味しいです。センパイ、だいぶ上手になりましたよね」
「誰かさんに食べさせてあげたくて」
「………………………」
「ふふっ」
……相変わらず心臓に悪いことばかり言うな、この人。
夕食を食べた後、俺たちはお風呂に入ってからまたキッチンで顔を合わせた。
俺は、持ってきたウオッカをグラスに注いだ後に、オレンジジュースをグラス一杯に注いだ。そうすると、簡単なカクテルが出来上がる。
スクリュードライバー。カルアミルク並みの作りやすさとそこそこの味を保証する、酒に慣れていない俺たちにピッタリなカクテルだった。
「乾杯」
「はい、乾杯」
一口飲んでみると、アルコール特有の味がほとんどしなかった。ジュースを多めに注いだせいかは分からないけど、普通に美味しい。
センパイも、一口飲んだ後に幸せそうに顔を綻ばせた。
「美味しい。よくこんなの知ってるよね、コウハイ君」
「職場の同期にちょっと相談してたので。これ、酒場ではわざと女性に飲ませるような
「へぇ……つまり、コウハイ君はそういう目的でこのカクテルを買ってきたんだ」
「いや、飲みたいと言ったのはセンパイじゃないですか」
「ぷふっ、冗談冗談。でも、美味しいな~~」
お酒が徐々に効き始めたのか、真っ白なセンパイの肌には徐々に赤みが増して行く。
俺は、ごくごくとお酒を飲みながらその姿を幸せそうに見つめる。
確か、度数が10度以上だったから……あまり呷ったりしてはいけないんだったな。
「へへ~~へへへっ」
「……ちょっ、センパイ?」
そして、10分くらい経ってようやく、俺は自分の落ち度に気付くことになった。
そう、センパイに度数の話をしてなかったのだ。
センパイはそこまでお酒に弱いタイプではないから看過していたけど、センパイのペースが思ってた以上に早かった。
そして、酔ったセンパイは自然とソファーに行って、トントンと自分の隣を叩き始めた。
「ほら、早くここ!」
「……うわぁ、やばっ」
「聞こえてますけど~めんどくさいとか思ってるでしょ」
「飲むペースが速すぎますって……ほら、来てあげましたよ」
「ふふっ、ぎゅ~」
センパイの隣に腰かけると、センパイはすぐに私の腰に両腕を巻いて、懐に頬をスリスリしてくる。
俺はセンパイの頭を撫でながら、姿勢が不便にならないように自分の体を後ろに倒した。
「んん………コウハイ君、コウハイ君……」
「……酔いすぎです。今日はここまでにしましょうか」
「やだ~~意地悪」
「うわぁ、完全に酔ってるな……」
というか、酔った途端に甘えん坊になったな……ああ、もう。
甘えん坊なセンパイもやっぱり可愛いなと思いつつ、センパイの背中をさする。
そうしたら、センパイが顔を埋めたまま、しれっと言って来た。
「大好きだよ……
「……………………………………」
「大好きだよ。大好き……ありがとう。愛してる」
「……………俺も、大好きですよ。
「……ふふっ」
「夫婦になってくれて、ありがとうございます」
俺は、センパイをぎゅっと抱きしめる。自分の溢れんばかりの愛情を少しでも伝えられるように、腕に力を入れる。
夫婦なんて肩書だと思っていた。それは社会が与えた肩書で、俺たちの関係の本質を乱すことはない。
実際、俺は自分の存在がセンパイの不幸になったら、いくらでもセンパイの傍から離れる自信があった。
でも、こうやって想いを伝え合えるような関係になったのは、また特別で。
センパイは、真っ赤になった顔で俺を見上げてくる。
「……一生傍にいて」
「……また意地悪なことを言う」
「一生傍にいてよ~~私の旦那様でしょ?」
「もう二度とカクテルは作ってあげませんから」
「意地悪~~」
センパイは頬を膨らませながら、深く息を零してまたもや俺に抱きつく。
その状態のまま、センパイは言った。
「ねぇ、コウハイ君……」
「はい、センパイ」
「……明日、休日だね」
「………………」
「それにここ最近は、全くヤってないよね?」
「…………酒飲んだままするの、嫌いなんじゃないでしたっけ」
「アルコールで濁らないほどには、君の好きをちゃんともらってるから」
「センパイって、やっぱりヘンタイですよね」
「妻にヘンタイって言うなっ」
それから、センパイは目を細めて俺を見上げる。視線が合わさって、そういう雰囲気になる。
お互いぷふっと噴き出した後、唇を重ねた。微かにオレンジジュースの味がした。
俺は、そのままセンパイを抱き上げて、センパイの部屋に向かった。
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