86話  コウハイ君が私の旦那になった

「んん……ん」

「……………」



何をやったんだろう、私。


ううっ、恥ずかしい……。本当に何をやったの、私。あんなこと、あんなこと言うなんて。


昨日の夜、私たちは線香花火なんかも気にせずにそのままホテルに向かった。それからは当たり前のように、ヤった。


ヤってヤって、声が掠れて体がぐにゃぐにゃになるほどに抱きしめ合って、ずっと触れ合っていた。


そして、日が昇っている今。私は裸のまま起き上がって、隣ですやすやと寝ているコウハイ君の寝顔を眺めている。



「……本当、バカ」



ちょっと恨めしくなって頬をツンとつつくと、コウハイ君は少しだけ顔をしかめる。


しかし、よほど疲れたのかすぐにまたぐっすりと眠ってしまう。私は、その寝顔とコウハイ君の首筋にたくさん刻まれた跡を見て、ガクッと項垂れた。


……本当に、恥ずかしい。


ほとんど子供だったから。昨日の夜の私はほとんど、子供だった。ずっとコウハイ君に抱きついたまま好きって言って、少しでも離れようとしたらすぐにまた抱きついて。


なんで自分はこんなにも快楽と温もりに弱いのか、分からなくなる。それほど欠乏けつぼうしているからかな。



「……結婚か」



その言葉を意識してなかったと言えば、ウソになる。


変なことに、恋人ですらないのに結婚という言葉は割と意識していた。それは恋人よりは深くて、離れにくい関係性だから。


でも、私が望むのは一生だった。母が浮気して家族を見捨てたからか、私は結婚という言葉にそれほど重きを置いていない。


それでも、私は嬉しかった。


新たな関係性を着せることで、コウハイ君にもっと近づいたような気がするから。



「ほら、起きて。コウハイ君?」

「うん……んん」

「……起きて、旦那様?」



舌触りが慣れない言葉を口にしたら、約束でもしたかのようにコウハイ君の目がひらかれる。


コウハイ君は私をジッと見て、それから気が抜けたように深い息をついて、笑った。



「おはようございます、センパイ」

「おはよう、コウハイ君」

「……もう一回、旦那様って言ってくれませんか?」

「生意気」



コウハイ君の頬を人差し指でぐっと押しながら、私は窓の外を眺める。


さすがにGWだから、区役所は開いてないだろうな。婚姻届けを作成するのはGWが終わった後になりそうだ。



「ううん……ん」

「……こら、人の腰に抱きつかないの」

「昨日それをやった人は誰でしたっけ」

「……生意気なこと言うと、奥さんになってあげない」



その奥さん、という単語も舌触りが慣れなくて、さらに恥ずかしくなってしまう。


自分が誰かと結婚することになるなんて、夢にも思わなかった。その相手がコウハイ君になることも、思わなかった。


出会った当初の私たちは、常に別れを意識していたから。



「それは困りますね……っと」



コウハイ君が上半身を起こすと、次第に彼の背中に刻まれた爪の跡が見える。


少し申し訳なくなって、私は問いかけた。



「その……大丈夫?痛くない?」

「あ、これですか?まあ……ちょっとチクチクしますけど、大丈夫ですよ?」

「……ごめんね。爪立てちゃって」

「それほど夢中になってくれたってことじゃないですか。俺にしては嬉しい限りですから、気にしないでください」



……やはり、コウハイ君は少し優しすぎるのかもしれない。


私は耐えきれなくなって、またもやコウハイ君の頬に両手をあてがった。


そのまま唇を重ねると、コウハイ君もすぐに目を閉じてキスを受け入れてくれる。私も目を閉じて、ちょっとカサカサになった唇を触れ合う。



「区役所には、いつ行く?」

「有給ありますか、センパイ?」

「うん。合わせようか?」

「その方がいいですね。なるべく早めにしてくれると助かります」

「……ふふっ、なんで早めにしなきゃいけないの?」

「……知っていることをわざわざ聞かないでください」



コウハイ君は顔を少し赤くさせて、私から目を逸らす。


その些細な行動さえも愛おしく思えて、私は裸のままぎゅっと、コウハイ君に抱きつく。



「センパイ」

「うん?」

「もう一度、好きって言ってくれませんか?」

「……やだ。特別な時でしか言ってあげない」

「ええ……それはちょっと酷いじゃないですか。俺はいつも言ってるのに」

「夏の夜の夢、って考えた方がいいよ。私の好きって言葉はそう安くないんだから」

「本当に俺のことが好きなんですよね?実感が湧かないんですけど」

「……バカ」



ちゅっ、とコウハイ君の頬にキスしてから、私は目を細める。



「私の気持ちが、コウハイ君のより軽いはずがないじゃん」

「…………………」

「二度と、そんな言葉は口にしないで。いや、疑ってくれるのは構わないけど……その分、きついお仕置きが待っていると思いなさい」

「……ぷふっ」



コウハイ君はたまらないとばかりに噴き出して、私はずっと不満げな表情を湛えて、コウハイ君を見ている。


笑いが止んだ後、コウハイ君は私の手を握ってベッドから立ち上がった。



「シャワー浴びましょうか。昨日はへとへとでシャワーもできなかったですし」

「……うん」



一緒にシャワーを浴びるのも当たり前になった。


こうやって当たり前がずっと続けばいいと、心底思った。

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