83話  センパイは俺を捨てない

GWのど真ん中、俺たちは前に言ったレンタカーを借りて海を見に行くことにした。



「海って、どんな海でもいいんですよね?」

「なるべく人がいないところがいいかも?」



引っ込み思案のセンパイの言う通り、俺たちはあまり知られていない田舎の海辺に向かっていく。


そういえば、車に誰かを乗せて運転するのは初めてだな、とふと思った。


ちらっと横を見ると、センパイは頬杖をついて景色を眺めている。


俺はクスリと笑いながら、センパイに語り掛けた。



「そういえば、人を乗せて運転するのはこれが初めてかもしれません」

「大丈夫だよ。私も誰かの車に乗ったのは初めてだから」

「え?」

「まあ、修学旅行のバスとかを除いたらだけどね」



センパイは姿勢を正して、俺を見つめてくる。


運転に集中しながらも、俺はセンパイに質問を投げかけた。



「センパイ、大学で免許取らなかったんですか?」

「うん、必要ないと思ってたからね~たぶん、一人で生きていくんだろうなって思ってたし。そうしたら、家に引きこもって映画ばかり見るだろうし。あまり要らないかなって」

「センパイらしいですね、すごく」

陰険いんけんな女だと言いたいんでしょ」

「いやいや、別にそうは思いませんよ?」



高速道路を辿りながら、俺たちは知らない街へ向かっていく。センパイと初めての体験を重ねていく。


それは、俺にとってとてつもない意味を持っていた。



「……車を買ったら、維持費とかけっこうかかるんでしょうね」

「だね。通勤で使わない限り、維持費だけ削られちゃうんじゃないかな」

「センパイは行きたいところとかありますか?観光地でもなんでもいいですよ」

「……どこへ行くのかは、あまり大事じゃないの」

「えっ?」

「誰と行くのかが、割と大事かな」



……とんでもない言葉を投げてくるな、この人。


やっぱりセンパイはずるいなと思いつつ、俺は唇を濡らした。顔に熱が上がってくる。


センパイは、俺の反応を見てくすくすと笑うだけだった。



「でも、海か……海に行くのって生まれて初めてかも」

「えっ、本当に……?」

「私は割と欠乏している人間なんだよ?普通の人なら経験するような思い出とか全くないから」

「……やっぱり、センパイも空っぽだったんですね」

「だから、コウハイ君に会えたんだよ、きっと」



それは、センパイの言う通りだと思う。


お互いの心に穴が空いてなかったら、俺たちは出会わなかった。


センパイと初めて出会ったのは、名前も覚えてないあるショットバーだった。


男に絡まれていたセンパイを助けて、成り行きで話をちょっと交えて、お酒の勢いでことに及んでしまって……今に至る。


もし、俺たちが欠乏している人間じゃなかったら、俺たちの関係はきっとあの一晩で終わっていたはずだ。


でも、俺たちは既に何ヶ月も一緒に暮らしてきた。この先の12年の予約もセンパイで詰まっていて、それはすごく当たり前なことだった。



「互いの波長が合うと言うか……周波数?みたいなものが合うからね、私たち」

「ふふっ」

「ガラにもなく詩的な言葉使うな、とか思ってたでしょ」

「いえ、センパイの言う通りだなと思って」

「なにが?」

「魂がけっこう似ていますからね、俺たち」



左に曲がって、高速道路を抜けた。もうすぐで海だ。



「振り返ってみれば、俺はセンパイと初めて出会った時から、センパイの傍から離れたくないなと思ってたのかもしれません」

「……ウソつき。どうせ別れるって思ってたくせに」

「でも、あの時も知っていましたよ?センパイと別れたら、きっと苦しむだろうなって」

「今はどうなの?私と別れたら、苦しんでくれるの?」

「今別れたら、たぶん死ぬと思います」



少しだけ長い沈黙が降りかかる。


ちょうど信号に捕まったタイミングだったので、ハンドルを回すこともできない。センパイと俺だけの空間が出来上がってしまう。


冗談めいているけど、本音だった。センパイと暮らした半年が俺の24年を消してしまった。


24年間、どんな風に過ごしてきたのかまるっきり忘れてしまった。今になって一人になれと言うのは、けっこう死に近い。



「……一生は誓ってくれないくせに、よく言うね」

「あはっ、その通りですけど」

「コウハイ君」

「はい」

「コウハイ君が私を捨てない限り、私はコウハイ君を捨てないよ」



いつか、似たような言葉を口にした記憶があった。


センパイの隣にずっといるって言いながら、今の言葉とちょうど同じ内容をセンパイに伝えていた。


それは紛れもない、好きが含まれている本音で。


自然と、俺の胸は高鳴ってしまう。



「センパイ、それって」

「……ほら、信号変わった。早く行こう」

「…………………」



センパイは知らん顔で言いながら、また頬杖をついて外の景色を眺める。


俺はセンパイの耳元がちゃんと赤くなっているのを確認しながら、ふうと深呼吸をする。


心臓が落ち着かない。ぶっちゃけに言うと、ヤバい。


それから、海に到着するまでの30分の間、俺たちはほとんど何も話さなかった。

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