81話 支え
センパイは、墓石の前で線香をあげていた。
俺はその後姿をジッと見つめながら俯く。センパイは何も言わず、しゃがんだ状態で墓石を柔らかく撫でながら沈黙を保っていた。
センパイが明梨さんをどんな風に思っているのかが、よく伝わる手つきだった。
センパイの中で、明梨さんの存在がどれほど大きかったのかも分かるような手つきだった。
「明梨、こっちは生意気なコウハイ君」
しれっと死者に語り掛けながら、センパイは振り返って俺を見上げる。
「明梨も多分、この後10回くらいはこの顔を見れるんじゃないかな」
「……
「名前言うんだ?コウハイ君なのに」
「名前言いますよ。明梨さんの前ですし」
「ふふっ」
センパイはもう一度墓石を撫でながら、言う。
「見ての通り、律儀で割と常識的だから、あまり怖がらなくていいよ。ズレているところはちょっとはあるけど」
「聞こえてますよ」
「まあ、明梨は笑ってるんじゃないかな?」
立ち上がってから、センパイは俺の隣に並ぶ。
それから、淡い笑みを浮かべて肩をすくめた。
「私が誰かを、こんな長々と説明するのは初めてだから」
「……」
「明梨が生きてたら、たぶんめっちゃくちゃにからかわれたんだろうね。なになに、徹君のこと好きなの~?ってニヤニヤしそう」
「それで、どうですか?その質問の返事は」
「無粋なことを言うね、コウハイ君」
赤い瞳からはあまり好き、という明確な感情が読み取れない。
ただ、肩が触れ合うくらいの距離だった。他人にしては近すぎて、恋人の距離感といっても問題ないくらい、俺たちは近かった。
それはとてつもない祝福で、同時にちょっとした罪悪感を湧き起こすような距離でもあった。
死者を
「10回以上は」
「うん?」
「来ても、いいと思いますよ。11回にしても、構わないかもしれません」
「……12回は?」
「俺を不真面目な人間にしないでください」
「12回は?」
「だから、センパイ」
むやみに期限を延ばすようなことを口にしたくなかった。
その約束を守れるかどうかが疑わしいからじゃない。俺はたぶん、センパイの隣でずっといたいと思っている。
でも、俺たちの約束はお互いを束縛する。お互いの未来を縛り合って、新たに生まれる可能性さえも全部消してしまうかもしれない。
俺はセンパイなしじゃ生きられないけど、センパイもそうだとはあまり思えなかった。
この人は、一人でいても俺ほど苦しむことはないと思うから。
「…………」
「……なんで悲しそうなんですか」
「さぁ、明梨の前だからかな」
でも、こういう反応をされるたびにどうすればいいか分からなくなる。
センパイは俺に、永遠に続く関係を何度も誓わせようとした。それが好意の表せだと、俺は信じたい。
なら、なんで俺はセンパイの傍で永遠に居続けると誓わないのか。
たぶん、確信が立たないからだと思う。
この人にとっての一番の幸せは、俺じゃない他のところにいるかもしれないから。
永遠に自分の隣にいて欲しいと、独占欲を
「明梨」
「………」
「このコウハイ君は見ての通り、意地悪なところもあるんだ」
「………」
「でも、真面目なのはいいことかな」
苦笑を滲ませながら、センパイはふうと小さなため息を零す。
俺はモヤモヤして、どうしたらいいか分からなくなる。
「また来るね、明梨」
センパイは、ゆっくりと俺の前を通り過ぎて先を歩いていく。
俺はその後姿を眺めてから、明梨さんの墓石をもう一度見据えた。
センパイにとって、唯一と言ってもいいほど大切だった人。センパイの世界を形成していた人。
俺は、深々と頭を下げる。
明梨さんは、今の好きな人を形作ってくれた人だから。
「……11回、にとどまらなければいいのですが」
死者は当然、なにも喋らない。
それでも、俺は口角を上げながら言い続けた。
「これからは、ちゃんとセンパイの傍でセンパイを支えたいと思うので……空から見守ってください。ありがとうございます」
もう一度お辞儀をして、俺は来た道を戻ろうとする。
そこで、10歩くらいの先でセンパイが立ち止まっている姿を見てしまった。
視線が合わさって、様々な感情を送り合う。
センパイの唇は引き結ばれたままだ。俺は、ゆっくりとセンパイに近づいていく。
「聞こえてましたか?」
「あまりはっきりは聞こえてなかったかも」
「ですね、小声で言いましたし」
「でも、支えるって言葉はちゃんと聞こえたよ?」
………………ああ。
なんで、よりにもよって一番恥ずかしいところを聞いてしまうんだろう、この人は。
「支えてくれる?」
ようやく笑顔を取り戻したセンパイが、茶目っ気たっぷりな口調で聞いてくる。
俺の答えは、決まっていた。
「できる限りは」
「……支えてくれるんだ」
「俺に出来る限り、精いっぱいやりますよ」
「支えがなくなったらね」
そこでセンパイは一度言葉を区切って、俺の手をジッと見下ろしてきた。
「支えがなくなったら、心は壊れちゃうの」
「………」
「私は、その壊れた状態が大嫌い」
明梨さんを失ったからだ。
その痛みを知っているからこそ、センパイは永遠にこだわる。
変わりやすい人間の関係で通用する言葉じゃないと分かっていながらも、センパイはどうしても求めてしまう。
知っていたけど、俺の好きは俺の人生ごとかけなければいけなさそうだった。
「俺も壊れるのは、勘弁して欲しいですかね」
「コウハイ君は壊れても、すぐに直せる人だよ」
「直せませんし、直せたとしても元通りにはなりませんよ?」
即答して、俺はジャケットのポケットに両手を突っ込みながら言う。
「傷跡がちゃんと残るじゃないですか。誰しも」
「……」
「……俺はセンパイにとって、明梨さんみたいな存在になりたいです」
本音だった。
明梨さんの言葉を聞いた時から、ずっと思ってきたことだった。
明梨さんのような存在になりたいと。離れていても、センパイが思い返してくれるような存在になりたいと。
センパイはしばし目を伏せてから、ゆっくりと俺のポケットに片手を入れてきた。
目を丸くしていたら、手がぎゅっと握られた。
「前にも言ったけど、君は永遠に私の中に残るよ、コウハイ君」
「…………」
「決して忘れられない誰かに、もう刻印されている」
その刻印、という二文字があまりにも響いて。
俺は思わず、ぎゅっとセンパイの手を握り返してポケットから手を出した。
「センパイがいなくて俺が壊れたら、確かにもう二度と直せそうにないので」
「うん」
「12回に、します。明梨さんに訪ねる回数は」
「……うん」
センパイに、着実に一年ずつ奪われていく。
そして、そうやって奪われるのが俺は好きだった。
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