75話 誕生日当日
俺の誕生日は、幸いに週末の土曜日だった。
だから、今日はずっとセンパイと一緒にいられる。そのことが純粋に嬉しくて、ウキウキしてベッドから起き上がったものの。
「………」
当のセンパイは、昨日からずっと不機嫌な顔で俺を睨んでいた。
俺は後ろ頭を掻きながら、キッチンでエプロンを着ているセンパイに近づく。
「おはようございます」
「……誕生日おめでとう」
「ありがとうございます。えっと、今日は―――」
「言われなくても、ずっと家にいるから」
「……そうですか」
俺は結局、自分の主張を曲げなかった。誕生日プレゼントは、センパイと過ごす時間でいいという主張を。
そして、センパイの意地もずっと続いていた。
俺がプレゼントで何をもらいたいのかを言ってくれないと、キスをしないという意地も……あれからずっと続いている。
おかげでここ三日間、おでこや頬には跡がつくほどたくさんキスをされてしまった。
そして、そんなにもキスを降り注いだセンパイは、いかにも不満げに俺を見上げている。
「コウハイ君」
「はい」
「コウハイ君はもう少し、何かを望むようになった方がいいと思う」
「……と言っても、物欲ないのは昔からなんですけど」
「…………」
俺の答えにセンパイは沈黙する。少しだけ気まずい空気が流れて、俺はさっきのセンパイの言葉をゆっくりとなぞっていく。
俺は別に、欲望が薄い人間じゃない。
ただ、その欲望が物に限定されていないだけだ。俺が欲しいのはセンパイで、それがずっと続ければいいなと心底思っている。
それこそ、一番の強欲なんじゃないだろうか。
そう思ってしまうくらいには、センパイは俺に大きい人だった。
「朝ごはん、勝手に作っちゃうけどいい?」
「いいですよ。一緒に作りましょうか」
「冗談言わないで。今日はさすがに私がすべきでしょ」
「………え?」
「コウハイ君は、顔洗ってからあっちのソファーでゆっくり休んでて」
俺はセンパイの向こうにある様々なボウルと、油が入っているステンレス鋼を見つめる。
一緒に住み始めた当初、センパイはほとんど料理をしなかった。というか、食べ物自体にあまり関心がないように見えた。
でも、いつの間にかセンパイはエプロンを着るようになったし、俺のために色々と料理してくれるようになった。
……そこで、俺はふと気づく。俺は、独占欲が強いかもしれないと。
センパイがもし、俺じゃなくて他の男に料理を振る舞う姿を見てしまったら、きっと苦しくて苦しくて仕方なくなると思う。
「……センパイ」
「なに?」
「誕プレ、キスじゃダメですか?」
「…………………」
「頬やおでこじゃなくて、唇同士の」
「………ダメ」
センパイは俺をジッと見上げながら、つま先立ちになって俺の頬に一度だけ、短いキスをしてくる。
正直に言うと、俺もかなりヤバい状態だった。
好きな人とキスしたくない男なんて、この世にいないから。最近はけっこう、いつでもキスできるようになったから。
……誕プレを思いつかない俺が悪いんだけど。
「……なんでダメなんですか?」
「自分の誕生日プレゼントをもっと大切にしてよ、コウハイ君」
「……十分大切なもんなんですよ?何がとは言いませんけど」
「あはっ、そっか……コウハイ君は私のこと、大好きだもんね」
センパイはクスクスと笑いながら、さっきよりいたずらっぽい顔になる。
センパイはたぶん、俺が本当になんのプレゼントも欲しがらないってことを、ちゃんと知っている。
センパイは同時に、俺にはセンパイさえいればいいと本気で感じていることも、知っている。
なのに、センパイは誕生日に特別感を与えて、どうしてもバースデー雰囲気を出そうとしている。
俺はなんでそこまでするのか、理由がよく分からない。
「でもね、大丈夫だよ」
「……はい?」
「私は別に、コウハイ君と別れる気はない」
そこまで言って、センパイはふと背を向けて冷蔵庫を開ける。
何かを取り出そうとしているように見えたけど、耳たぶの赤さを見て俺は感づいた。
「……一日中一緒にいるのは、日常の枠でいいからさ」
「…………………………」
「それに、誕生日という特別感を被せなくても、いいの」
……とんでもないことを言うな、このセンパイ。
すぐにでも飛びついてキスをしたくなるほど、心臓が高鳴る。でも、キスは禁止されている。センパイが立ち上がった。
その時の俺はもう、センパイを抱きしめることしかできなかった。
「……コウハイ君、動きにくい」
「……我慢してください。誕生日じゃないですか」
「……………………」
センパイを裏側から抱きしめて、肩と首筋を両腕で包む。
センパイは俺の腕に手を添えてから、近くにある俺の手を持って、短くキスをする。
……これが、毎日の日常だとすると。
俺はたぶん心臓発作で死ぬかもしれないなと、割と本気で思ってしまった。
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