60話  私はコウハイ君のことが好きだ

『教えてあげるね。私の全部』



すごく自然と、そんな言葉が出てしまって驚いた。


そっか、コウハイ君に私を知ってもらいたいと思ってるんだ、私。


他人事のような感想を抱きつつ、私は日差しが照り出す昼間に、自分の憂鬱な過去話をしていく。


母は浮気者で、父はアルコール依存症のDV男。


産みの父親に襲われそうになって股間を蹴り上げ、その後は養護施設で預けられたことまで、すべて。


私の過去をすべて聞いたコウハイ君は、明らかにたじろいでいた。



「……そんなことがあったんですね」

「うん、あんなこともあったね」



そして、私にとってもっとも大切だった友達についても、説明をした。



「名前は、日比谷明梨ひびやあかり。高校1年の時に同じ学校になって、それから向こうが近づいてきてすごく……仲良くなったの」

「どんな方でしたか?」

「私とは何もかも真逆な子」



苦笑しながら、私は頭の隅っこにある明梨の姿を思い出していく。



「前向きでポジティブで、喋るのが大好きで、それでいながらも苦しんでいた頑張り屋さんだったの。ああ、世の中にはこんなに強い子もいるんだなと、感心してしまうくらい」

「素敵な方でしたね」

「うん、明梨は素敵な子だったよ。よく私のこと褒めてくれたけど、明梨は気づいてなかったんだろうね……あの子が私よりよっぽど、いい人間だったってことを」

「………」

「あの子、私と似たような状況に置かれてたんだ」



苦いコーヒーを一杯飲んで、私は話を続ける。



「明梨の父親は、私の父親と同じアルコール依存症だったの。だからいつも酒に酔って何度も何度も、家族を殴ったんだって。明梨のお母さんはずっと明梨をかばいながら殴られてて、それでも娘のこと大好きだったみたい」

「…………そうですか」

「うん、お母さんの話が出るとあの子、いつも泣きながら笑ってたし」



雪が降り積もる真冬、明梨と学校の屋上で交わした会話を、私は未だに忘れていない。


誰かと心が通じ合ったのは、誰かに自分の過去を打ち明けたのはアレが初めてだった。


明梨も私と同じで、あの瞬間は私たちの宝物になった。



「たぶん、似た者同士だと思ってたのかな。明梨、最初から私にしつこいくらい絡んで来たの。後になって話してみると、自分と同じ目をしてたから、なんとなく心が惹きつけられたって」

「へぇ」

「まあ、そんなわけでいつの間にか仲良くなって、よく二人で遊んでたの。そのうち、明梨には彼氏もできちゃって、そのまま何もかもうまく行くと思ったけど―――」



頭の中に、コンクリートに刻まれた血痕が急に浮かぶ。


吐き気がするのを押し殺しながら、私は深呼吸をして話を続けた。



「事件が起きたんだよ。あの父親が、鈍器で明梨のお母さんの頭を殴ったみたい」

「…………………」

「当然、おばさんは病院行き。手術も受けたけど脳に直接響いたみたいで……結局、あのまま死んでしまったの」

「…………そう、ですか」

「うん。それで、明梨はショック受けてしばらく私がいる養護施設に泊まってたけど……そのうちに、クラスの連中から嫌な噂が立ったんだよ。父親が母親を殺したって。あの子ヤバいって、近づけない方がいいって……その噂に彼氏も流されて、結局明梨を振って」

「……………………」



手足の先が冷えて行くのを感じながらも、私は口を開く。



「そのまま、止める間もなく明梨は自殺したの。私が最初の発見者で…………………それで、明梨の葬式の後にあの野郎を殺してやるって、けっこうマジで思ってた。でも、何十回も泣きながら謝罪されて……もう、何もかも分からなくなって」

「センパイ、もういいです」

「その時、思ったの。ああ、人間の関係って所詮はこんなものなんだなって」

「センパイ」

「ごめんね?せっかくのホワイトデーにこんな憂鬱な話して。でも―――」



コウハイ君には知ってもらいたかったんだ、と続けるつもりだった。


でも、その前にコウハイ君にぎゅっと抱きしめられて、自然と私の言葉が遮られる。


温もりの次に感じられるのはコウハイ君の体臭。痛いくらいぎゅっと抱きしめられている感触。


驚いて目を丸くしていると、耳元でコウハイ君の声が響いた。



「もういいです、センパイ……大丈夫です」

「……なに、が?」

「泣いてるじゃないですか、センパイ」

「………………………え?」



コウハイ君は悲痛な顔で、私の親指で私の頬を撫でる。


涙の粒が拭われる感覚がして、その時になってようやく泣いていたんだ、と気づいた。



「…………」

「…………」



コウハイ君はもどかしい顔をしたまま、私を見つめてくる。


私はぼんやりとコウハイ君を見上げながら、自分が泣いているという事実をゆっくり咀嚼する。


その後に、コウハイ君の手に自分の手を重ねてみる。


コウハイ君の手は驚くくらいに暖かくて、私の手は驚くくらい冷え切っていた。



「……………」

「……なんで、コウハイ君がそんな痛そうな顔をするのかな」

「ごめんなさい、センパイ」

「ぷふっ、なんで急に謝るの?」

「……………こんな状況でなにを言えばいいか、分からなくて」



そう言って、コウハイ君はまた私を抱きしめてくる。さっきほど勢いが付いているわけではなかったけど、十分に熱っぽい。


今度は私もコウハイ君の背中に腕を回して、ゆっくりと目を閉じてみる。


なんなんだろう、これ。


ポカんって空いていた穴が、急速に埋められていくような感覚。コウハイ君の柔らかさ。


セックスしている時にはあまり感じられなかった高揚感。この人にちゃんと大切にされているって、奥底から湧いてくる実感。


ああ…………本当にもう。



「……………コウハイ君」

「はい」

「一度、名前で呼んでくれない?」

「……………」

「大丈夫だって、名前で呼んで」



私はコウハイ君のセンパイだ。永遠に、私はセンパイだ。


それは仮面なんかじゃない。センパイの私もちゃんと私だ。今までコウハイ君の前で何かを取り繕ったことはなかった。


でも、私は同時に雪代凛ゆきしろりんでもある。


コウハイ君が知らない私も、雪代凛だから。


その名前がコウハイ君に呼ばれたら、私はいよいよすべてをコウハイ君にさらけ出すことになる。


そして、今の私はそれを望んでいる。



「……大丈夫です、凜さん」

「……………」

「大丈夫ですから、凜さんはこのままでいてください」

「……………」



雪代凛という人間は弱い。


強いと思い込んでたけど、やっぱり弱い。コウハイ君の……浅川徹あさかわとおる君の熱を知ってしまった私はもう、以前の私には戻れない。


そっか、私は浅川徹君が……コウハイ君が好きなんだと。


この時、私は初めて強く感じ取ることができた。

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