58話  コウハイ君が私の殻を壊した

弱い人間。


短いその言葉がやけに身に染みる。私はどちらかというと、自分のことを強い人間だと思ってきた。


一人でいてもそれほど寂しいとは思わなかった。一人でも全然生きられると思ってた。


ちょっとひねくれ女になってしまったけど、生みの親にあんなことをされそうになっていたのに割と平然だったから、大丈夫だと思った。


でも、コウハイ君が私の惰弱だじゃくからを突き壊した。


コウハイ君の好きが、本当の私を引き出してくれた。



「今日は作りたいものがあるので、センパイはゆっくりしていてください」

「………………そう」



今日はホワイトデー。バレンタインデーにチョコをもらった男が、女子にお返しのキャンディーをくれる日。


でも、コウハイ君のお返しはキャンディーじゃなく、マカロンらしい。


朝からごたごたして何事かと起きてみれば、もうシリコンヘラでチョコを溶かしているコウハイ君がいた。コンロの前に立って。



「………マカロンだよね?これ」

「えっ、よく知ってますね」

「当ててみただけ。まあ、バレンタインの時に作ろうかなってレシピ調べてたもんね」



当時はマカロン、テリーヌ、クッキーの中で迷っていたから、レシピもちゃんと熟知した上で選択しなければいけなかった。


バレンタインデーのイメージにあんま合わないから、結局マカロンは作らなかったけど。



「これ、ホワイトデーのお返し?」

「はい、そんなところですね」

「………」



答えるだけで、こちらには振り向かないコウハイ君をジッと見上げる。


コウハイ君の真剣な横顔は、好きだった。初めて会った時は何を考えているのか分からなくて不気味だったけど、今は分かる。


コウハイ君は優しい。そして、その表情が向かう先は私の笑顔だ。


私のためにマカロンを作ってくれている。


赤の他人が、私のために一生懸命になってくれている。


その事実を噛みしめるたびに、私は私じゃなくなっていく。



「コウハイ君」

「はい……んっ」



だから、コウハイ君の顔をこっちに向かせてキスをした。


つま先立ちになって、コウハイ君の頬に片手を添えて短い息遣いを届け合って。


それが終わったら、コウハイ君の耳が少し赤くなるのが見えて、嬉しくなる。



「………」

「ふふっ、どうしたの?いつものコウハイ君らしくないけど」

「……いつもの俺だったら、どんな反応ですか?」

「クールに歯磨きしてきます、と言ってたかな」



確かにそんなことがあったなと微笑むと、コウハイ君は困った顔で鍋に視線を戻した。


もっとからかいたくなって、私はコウハイ君をジッと見つめ続ける。



「……センパイ」

「うん?」

「髪、跳ねてますよ」

「そりゃ、起き抜けだし」

「……センパイも遠慮がなくなってきましたよね」

「一緒に住んでそれなりに経つからね。朝ごはんはマカロンでいい?」

「いえ、後で冷やす時間があるから、予めチョコ作っているだけなんで。朝ごはんはちゃんと別のものを作ります」

「そっか」



私も早く料理上達しなきゃなと思いつつ、私は言葉を投げる。



「コウハイ君」

「はい」

「ホワイトデーに送るマカロンの意味、知ってる?」

「………なんですか?」

「あなたは特別な人、だって」



その短い言葉をかけられた途端に、コウハイ君の顔が益々赤くなっていく。


それを見ている私も少しずつ、心に熱い何かが広がっていく。



「…………そうですか」

「知らなかったの?」

「………知らなかったです」

「ウソはよくないよ」

「…………………………………」



もう喋らないでください、と言わんばかりの顔でコウハイ君が私を見てくる。


目が細められていて、どちらかというと険しい顔の類に入るのに、頬が赤くなったからかさほど圧は感じられない。


ちゃんと私のモノになってくれたな、と実感する。


それと同時に、私しか知らないといいな、とも思う。


相手が会社の同期ちゃんであれ、誰であれ。


この可愛いコウハイ君を、私は誰にも見せたくない。



「……顔、洗って来るね」

「はい」

「コウハイ君」



もう一度読んで、もう一度つま先立ちになって私はキスを送る。


今度は舌を少し動かして、コウハイ君の唇を丁寧に濡らして、コウハイ君の舌の感触もちゃんと感じ取ってから。


ちゅっ、と鮮明な音を最後にして、私はふうとため息をついた。


私の至近距離で、コウハイ君がいる。


私はそれが、嫌いではなかった。



「……ありがとう」



その言葉だけを残して、私は逃げるように洗面所に向かった。

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