52話 コウハイ君に告白された翌日
初めて告白されたわけではなかった。
でも、今の私は十分すぎるほどにその告白に惑わされている。
コウハイ君で埋まっていた最近は、コウハイ君の告白という内容に入れ替わって、またもや私の頭を煩わせてきて。
私の心臓は勝手に跳ねて、私の顔は勝手に熱を浴びる。
『
コウハイ君に本当の名前で呼ばれたのは、それが初めてだった。
その言葉は、コウハイ君が本気だということを表すもっともの証拠だった。
センパイという上っ面だけじゃなく、コウハイ君に見せている表面だけじゃなく。
本物の私の……雪代凛という人間をもっと知りたいと、愛したいと言ったようなものだから。
「…………」
だから、昨日は眠れなかった。クッションを抱きしめていくら目を閉じても、心臓がずっとうるさく鳴るばかりだった。
こんなことになるなんて、少しも思わなかった。
同棲を始める以前の私には、ある種の確信があった。コウハイ君と恋人になることはないだろうな、という確信だった。
何故なら、私たち二人とも恋人が何なのか、愛がなんなのかを知らないから。
欠陥を抱えている私たちが、その形に行き着くはずはないと思ったのだ。
コウハイ君の家庭内事情を聞く限り、彼が愛されながら生きて来たとは思えない。コウハイ君は私と同じように、空虚を抱えた人間だった。
それでも、コウハイ君は私に告白してきて。
愛を知るための、私の要求に答えるための第一歩を踏み出した。
「……………」
最寄り駅に繋がる電車に揺らされながら、私はぼんやりと思う。
保留なんて酷い仕打ちをした私は、わがままで嫌な女だ。
コウハイ君は真っすぐに自分を変えようとして、私は過去に縛られたまま怖気づいて逃げ回っている。今も、逃げている。
こんな私を許して包むことができる人間は、たぶんコウハイ君しかないだろう。
「ダメだな、私……」
告白の答えは、どうしても拒絶には繋がらない。
私はコウハイ君のことが………嫌いではないから。一緒に住むのが楽しいから。暖かい何かを感じられるから。
幸せの形を探ることができるから。その時間を壊さないためにも、私の答えが拒絶になることはない。
でも、それでも。
簡単に頷いてしまったら、もう取り返しがつかない。
コウハイ君と恋人になって幸せが膨らめば膨らむほど、別れる時の痛みが増していく。
時間が募れば募るほど、その時間が省かれた時にはなにも残らなくなる。
私はいつも別れを見ている。終わりを想定していて、それは私の自己防衛だった。
傷つくのが怖いから。コウハイ君が永遠に、私の傍にいてくれるわけないと思ってるから。
「………ふぅ」
家に先について、私は今日もコウハイ君のいないリビングに明かりをつける。
着替えを終えて、ソファーに座って音楽を何曲か聞いていると、鍵が差し込まれる音が鳴る。
私を動揺させる人が、私が嫌いではない人が姿を表す。
「おかえりなさい」
「ただいまです」
コウハイ君は静かに笑ってから、すぐに自分の部屋に戻る。
距離感をどうすればいいか分からなくなる。コウハイ君と一緒にいればいるほど、罪悪感が積もっていく。
それなのに、私はコウハイ君と別れたくはないと強く思ってしまっていて。
救いようがない女だなとまた自己嫌悪が湧いてきて、負のスパイラルがどんどん加速して行く。
「センパイ」
その渦巻きに巻き込まれていた最中に。
着替えを終えたコウハイ君は、私を見てから乾いた唇を濡らす。
コウハイ君にしてはかなり間を置いてから放たれたその言葉に。
「気にしなくていいです」
私の目は、大きく見開かれた。
「暗黙的なルールを破って突っ走ったのは俺ですから、センパイは何も気にしなくていいです」
「…………………………………コウハイ君」
「まあ、そう言われても気になるとは思いますが……本当に、俺は大丈夫なんで」
たぶん、コウハイ君も一日中考えあぐねていたのだろう。
その考えの末に出した結論を口にしながら、コウハイ君は少しだけ目を逸らした。
「センパイが答えを出す前まで」
「………………」
「俺は、ここにいますから」
「…………………………………」
呪いのような言葉だな、と思う。
どこにいるのかを問わなくても、私にはその意味が分かってしまう。コウハイ君の居場所は、私の隣だ。
相手に負担をかけるような重い言葉だ。私に答えを催促はしなくとも、私にその事実を意識させられる悪い言葉だ。
告白した相手に送るには、あまり相応しくない言葉だと思う。
それでも、私はコウハイ君のその言葉が好きだった。
「コウハイ君」
「はい」
「ちょっと、屈んで」
「………………」
コウハイ君は苦笑を滲ませて、グレーのシャツの襟を掴んで自分の首筋を見せてくる。
私は立ち上がって、待っていたかのようにその首筋に食らいつく。私はコウハイ君に呪いをかける。
仕方がなかった。どうせ、今の私の居場所はもうコウハイ君の隣しかいないから。
「………………ちゅっ、ふぅ」
「………………」
鮮明に刻まれた赤い跡を見て、私は微笑む。
他人に見られる位置に刻まれたその跡は、私の理不尽さと独占欲を表していた。
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