51話 告白
言ってはいけない言葉だったかもしれない。
俺はいつも本音が込められている余計な一言を漏らして、センパイを怒らせてきた。
でも、どうしても俺は、センパイとの時間を否定したくはなかった。
否定したとしても、このペアカップがその意識に邪魔をする。俺はもう、認めるしかなかった。
俺はもう、センパイに溺れている。
「…………」
「…………センパイ」
勢いよく立ち上がったものの、どんな言葉を紡げばいいか分からないような態度だった。
それは、俺も同じだった。俺もどんな言葉をかけてあげればいいか分からない。
俺はただ自分自身に素直になっただけで、センパイはまだ心を取り繕っているだけ。
その差異が、このような沈黙を生み出した。
「……コウハイ君」
「はい」
「永遠に一緒にいてくれるわけじゃないなら」
いつか聞いた言葉が、また繰り返される。
「そんなこと、言わないで」
「……………」
「私たち、どうせ別れるから」
どうしてセンパイは、こんなにも別れを意識しているのだろう。どうしてネガティブな方向にしか捉えないのだろう。
そんな疑問は端から抱かなかった。当たり前な話だから。
俺はセンパイの家庭事情を知らない。でも、センパイもたぶん、俺と同じく家族に捨てられた人間だと思う。
俺たちは愛という概念を知らずに、自分自身を孤立させて、他者の温もりを正しい方向で感じ取れずに生きてきた。
普通とか歪んでいるとか、そんな方向性も知らないままおぼろげに歩いてきた。
俺たちの唯一の道しるべはセックスの快感で、その道しるべに従ってここまでたどり着いたと思う。
「2年以上は、一緒に住むじゃないですか」
そして、俺は今、セックス以外の新しい道しるべがあると言っている。
「………私がコウハイ君と一緒に住みたい理由は」
「はい」
「実験をしているからだよ。今まで知らなかった数々の感情を、コウハイ君からもらえるから」
俺は唇を湿らせて、ゆっくりと頷く。
センパイのその言葉は、俺にも当てはまる。
「ずっとじゃなきゃ、私は嫌」
「……センパイ」
「だから、このマグカップも買いたくなかったの。どうせ後数年で捨てられる品物だから。でも、君は私の意志を無視してこれを買った」
「……………」
「私はたまに、コウハイ君のことが信じられないくらいに嫌いになる時があるんだよ。知ってる?」
「……はい、知ってます」
俺はゆっくりと立ち上がって、センパイを見下ろす。
身長差が15㎝くらいになる俺たちは、間近で互いを見つめ合いながらお互いの表情を探る。
センパイの嫌いには好きが隠されている。
それこそがセンパイの弱さだ。傷つかないために嫌いだと言い続けて、少しでも自分の傷を拭おうとする逃避行動だ。
それを悪いとは思わない。ただ、お互いの受け入れ方が違うだけ。
俺はただ、自分に降って来た感情をそのまま受け取っただけだ。
「センパイ」
「……なに?」
「俺はたぶん、センパイのことが好きだと思います」
「………………………………………………………………………」
信じられないくらいの長い沈黙が続く。
センパイは見開いた目をして、徐々に目尻に涙を浮かばせる。
もし、家の契約期間が2年だったら、俺はこんな言葉を決して口にしなかったと思う。
でも、2年が経っても俺たちは一緒にいる。俺にはそんな確信があって。
センパイが、その約束を破るとは思わなかった。
「……私は、こんな時のコウハイ君のことなんか、大嫌い」
「あはっ、秒でフラれましたね」
「………………」
「……分かりました。ごめんなさい。ふざけないんで、逃げないでください」
すぐに背を向けようとするセンパイの手首を握って、俺は淡々と自分の感情を吐露して行く。
「たぶん、好きだと思います。センパイ」
「……やだ」
「異性を好きになったことなんてないんで、よくは分かりませんが」
「やだって言ったじゃん!!」
「そして、センパイが望む言葉が好きではないってことも、俺はちゃんと分かってます」
その言葉を聞いて、センパイは涙目のままに俺を見上げて来た。
センパイの印象もだいぶ変わってきたな、と思う。
同棲を始める前のセンパイは意味不明で、クールで、しょうもない冗談を交わすのが好きで、おぼろげで空虚を凝縮したような人だった。
でも、今のセンパイはただ弱くて、人懐っこくて、それでも人の愛情に飢えている。
まるで、本当の人間にしか見えない。
「俺はセンパイに永遠を誓えません」
「……………………………」
「俺、知ってるんですよ。単なる好きじゃ、センパイが望むそんな関係には近づけないって。センパイが望むのは、揺るがない何かですから」
「……なら、なんで言ったの?」
「知って欲しかったですから」
何度も小さく頷きながら、俺は言う。
これこそが、自分の正しい感情だなと思った。
「そして、この好きがセンパイが望む永遠に繋がったらいいなと、本気で思ってますから」
「……………………………………」
「……ちょっと、気持ちが膨らみすぎてどうしようもなかったんですよ。本当に」
「………………………」
センパイはずっと沈黙を保っていた。
ただただ、俺を見上げながら時々自分の握られた手首を見下ろして、また俺と視線を合わせて、俯く。
「……コウハイ君の名前」
「はい?」
「名前で言って」
俺は少しだけ間を開けてから、口角を上げた。
「
「…………………………………………」
「これで、信じてくれましたか?」
センパイの名前は、口にするだけでも違和感が半端ない。
俺にとってセンパイは、ずっとセンパイのままでいるだろう。その呼び方が変わることは決してない。
でも、俺が本気だということを証明するためには、名前を呼ぶ必要があった。
20年以上もその名前を抱いてきたセンパイのすべてを、大好きだと肯定したかったから。
「……答えは、保留」
「……ですよね」
「……ごめん。でも、こうするしかない」
「いいですよ。俺も別に……付き合いたいから言い出したんじゃないですし」
ただ、センパイに俺の気持ちを知ってもらいたくて言い出した、押しつけがましい衝動でしかないから。
それでも断れなかった辺り、同棲の力は本当すごいんだなと思わされてしまう。
「それより手、めっちゃ冷たいですね。センパイ」
「……末端冷え性だから」
「人間カイロはご利用になりますか?」
「……生意気」
そう言いながらも、センパイは俺の掌に自分の手を重ねてくる。
センパイの手首を離して、驚くほど冷たいその手を、俺は両手で包む。
「……………嫌い」
「ありがとうございます」
「……嫌いなんだから」
センパイは涙を浮かべながらも、淡く微笑んでいた。
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