49話  ペアカップ

この店に来るのはこれで3回目、か。


センパイと一緒に暮らし始めてからは一ヶ月に一度くらいの頻度で来てたから、店のインテリアももう見慣れたものとなった。


でも、初めて来たセンパイはそうでもないらしく、周りをキョロキョロしながら不思議そうな目をしている。



「さて、と………」



俺は並んであるコーヒー豆の名前と説明を注意深く見ながら、考え始める。


コーヒーの味にこだわりを持ったことなんて、今までなかった。


そりゃ、コーヒーは好きだけど豆に拘るほどの執着は持っていなかったから。


これはセンパイのせいであって、センパイのおかげだとも思う。


夕食を食べた後に、センパイがお皿洗いを終えた後に決まって開かれるデザートタイム。


ドーナツやクッキーを真ん中において、コーヒーを飲みながらくだらない話をして。


たまには一緒に映画を見て、読んだ本の感想を交わし合ったりする、癒しの時間。



「………………」



その癒しの時間をさらに彩らせるために、俺はコーヒー豆を選んでいて。


それはもう、俺がその時間なしじゃ生きられない人間になったことを意味する。



「ここによく来てるの?コウハイ君は」

「ですね……1ヶ月に一度くらいは来てますね」

「へぇ、そうなんだ」



センパイは無機質な答えを返してから、俺が見ているコーヒー豆の棚をじっと見下ろす。


店にはそこそこ人がいて、俺たちを通り過ぎる声もまばらに聞こえてくる。


そんな雰囲気の中、センパイは小さな声でぽつりとつぶやいた。



「次は、私も呼びなよ」

「…………………はい?」



目を丸くして振り返ると、目が合う。


センパイの表情には、赤い瞳にはあまり普段と変化がなかった。



「私も呼んだ方がいいんでしょ?二人で飲むコーヒーだから」

「……………」

「なんでそんな驚いた顔をするのかな」



苦笑を滲ませた後、センパイはぷいっと目を逸らして俺に背を向けた。



「ちょっと、他のところ見てくる。グッズとかコップとかいろいろ置かれてるし」

「あ……はい」



いつもより早口な言葉を投げた後、センパイはそそくさと俺から離れていく。


俺はまだ目を見開いたまま、センパイの言葉を噛みしめた。


二人で飲むコーヒーだから、なんて。


事実だけど、その言葉がセンパイの口から流れ出たものだと思うと、破壊力が半端ない。


そもそもセンパイの口から二人、という単語が出た事実がもう驚きだった。鈍器で頭を殴られたようなショックを受けてしまう。


俺は舌を巻いた後、後ろ髪を掻いてふうと深く息を零す。



「……ヤバいな、マジで」



最近のセンパイは少しだけ意地悪だけど優しすぎて、思わせぶりな言葉をよく届けてくる。


以前の俺はそれがセンパイじゃないと思っていたけど、今の俺は知っている。


優しいセンパイも、大事な何かをほのめかすような言葉をよく口にするセンパイも、どれも本物のセンパイだ。


変わっただけだ。前より潔くてクールで神秘的なセンパイが、少しだけ優しくなっただけ。


一緒に住むのってやっぱり、大した力を持っているなと再び思わされた。



「……コスタリカ、か。これにするか」



邪念を振り払うように豆袋を一つ取り上げて、前に飲んでみて好きだったコロンビア豆を手に取った。


そのままセンパイがいるところに向かうと、センパイの視線が一点に集中されているのに気付く。



「……センパイ?」

「え?」



首を傾げながら呼ぶと、センパイは咄嗟に肩を震わせて俺を見上げてくる。


表情には少し、動揺が浮かんでいる。



「マグカップ、家にもあるじゃないですか。なんで…………ぁ」

「……………」



棚を見てからようやく、俺はセンパイが慌てた理由に気づく。


これは、ペアカップだった。どちらとも白がベースだけど、片方は空色が淡く滲んでいて、もう片方は赤が滲んでいる。


俺はそのデザインを確認して、センパイの顔を一度見て、またコップに視線を戻した。


センパイはしれっとした顔で、コートのポケットに手を突っ込んでから言う。



「見てただけ」

「そうですか」

「うん、見てただけ」

「…………」



俺はその展示用のコップの裏にある紙箱を手に取った。


すると、センパイの眉根が明らかにひそめられる。



「……見てただけって、言ったよね?」

「俺も、つい買いたくなっただけなんで」

「……家にマグカップ、あるじゃん」

「予備があってもいいんじゃないですか?」

「予備なんて要らない。毎日のようにお皿洗いしてるじゃん」



………あはっ、いつものセンパイだな。


そう思いつつ、俺は苦笑を滲ませてから言う。



「デザインがお気に入りで、つい買いたくなってしまっただけなんで、気にしないでください」

「………………………」

「センパイは使わなくていいですから」



俺たちを紐づける物が増えれば増えるほど、事態は厄介になって行く。


それを知っていながらも俺は、レジに向かう足を止めなかった。


それを知っているはずのセンパイも、それ以上は俺を止めなかった。



「…………………バカ」



お会計をする際、センパイの小さな独り言が俺の耳に届いた。


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