42話 コウハイ君を支配したい
コウハイ君を支配したい。
前からくすぶっていたその欲求が、最近はどんどん熱くなっていく気がした。
キスマークはその表れで、私はコウハイ君の首筋を見てほのかな喜びを感じている。
コウハイ君は、私にマーキングされても何も思わないのかな。
そう思ってしまうほど、コウハイ君の反応は淡々としたものだった。ちょっとだけ悔しくて、ちょっとだけホッとする。
本当に、意地悪なコウハイ君。
「じゃ、お願いします」
「うん」
2月14日、バレンタインデー。
私は、コウハイ君のためのクッキーとテリーヌを作るためにエプロンをつけた。
普段はコウハイ君がエプロンを着ることが多いから、なにかと新鮮だった。
その分、私はコウハイ君に頼っていたなと思うと、胃が重くなる。
「俺は、部屋にいた方がいいですか?」
「コウハイ君の好きなようにして?テレビ見ててもいいし、本読んでてもいいよ」
「本はやめておきます」
「なんで?」
コウハイ君は普段からけっこう本を読んでいるから、つい聞き返してしまう。
コウハイ君は、苦笑を滲ませて答えた。
「あまり集中できそうにないので」
「……それは、どんなチョコをもらえるのか楽しみになっているから?」
「たぶん、そうじゃないでしょうか」
「コウハイ君、期待しているんだ」
「嫌でもそうなりますよ。チョコを作る人が、センパイですから」
コウハイ君の言葉は正しい。
同棲を始める前の私なら……いや、同棲を始めた後の私でも、絶対に思い浮かばないような真似を、私はしている。
コウハイ君のために、バレンタインデーのチョコを作るなんて。
それは私の奥底に、また一枚コウハイ君を重ねる行為だ。
初めてのチョコをあげた相手も、コウハイ君になるわけだから。
「頑張るね」
「………………」
「なんでそんな顔?」
「……最近、センパイがセンパイじゃない気がします」
「どちらも私だよ?たぶん」
それだけ言い残して、私は素早く背を向く。
コウハイ君は嫌なほど、私の変化によく気づく。
それが好きで、それが大嫌いだ。
「さてと……」
冷蔵庫から材料を取り出していた時、ちょうどテレビの音が耳に流れてくる。
なるほど、コウハイ君はリビングにいることを選んだらしい。
コウハイ君に見られながら、コウハイ君のためのチョコを作る状況か……本当に。
私も、変になったなと思う。
「よし」
ビターチョコにミルクチョコ。無塩バターにきび糖、卵、クッキーを焼くための薄力粉とベーキングパウダー。
チョコとかクッキーを作った経験がまるでないから、長期戦になるかもしれない。苦労もするかもしれない。
でも、私が普段から通している我儘に比べれば、これくらいのことはするべきだろう。
「………」
先ずは材料の重さを測るために、新しく買った電子はかりを取り上げる。
スマホでこまめに比率を確認しながら、ボウルの上にチョコを満たしていく。
誰かのために、こんな風に丁寧に料理したことがあったっけ。
自分のためでも、こんな風に1gの差異に執着することはなかったのに。
そんな厄介な考えを頭の端っこに追いやって、私はチョコとバターが入ったボウルを電子レンジに入れた。
一息ついて、またクッキーの生地を焼くために振り向いた、その瞬間。
「…………………」
「…………………」
何故か、コウハイ君とバッタリ視線が合ってしまって。
私は、目を細めながらコウハイ君に近づいた。
「なんで見てるの?」
「いえ、珍しくて」
「なにが?」
「集中するセンパイの後姿が」
「……集中なんか、してない」
「その割には、けっこう拘ってたんじゃないですか?すごく丁寧に砂糖を注いでましたけど」
……生意気なコウハイ君は、嫌いだ。
私は、リモコンでテレビの電源を消してコウハイ君を見下ろす。
窓際からは私たちと似つかわしくない日差しが差し込んでいる。
カーテンを閉めたい欲求を抑えつけて、代わりにコウハイ君の頬に手を添える。
「なんで消すんですか。テレビ、ちゃんと見てたんですけど」
「ウソつかないでよ。私を見てたでしょ」
「……センパイも鋭くなりましたね」
「私、元から人の視線には敏感だから」
今すぐコウハイ君が自分の部屋に行って欲しい。
でも、コウハイ君がこのままリビングにいて欲しい気持ちも、ちゃんとあって。
その気持ちがなんなのかを、私は的確に言い表すことができない。
「キスマーク増やしたくなければ、これからはテレビにちゃんと集中して」
「首筋には勘弁してください。会社で誤解されそうになってましたから」
「ふふっ」
自然と笑みが零れ出た。そっか、ちゃんと見せしめになっているのか。
コウハイ君が私のモノ、という事実の見せしめに。
「見えるところにつけるからね?」
「……テレビに集中します」
「よろしい」
コウハイ君の頬に添えた手でリモコンを取り、テレビをつける。
どうせ、コウハイ君はテレビに集中しない。また私の後姿を確かめるはずだ。
私はその事実を知っていながらも、知らんぷりをする。気持ちいいから。
そう、嬉しいと思っているから。
「期待してます、チョコ」
「うん、ありがとう」
ちょうど電子レンジの音が鳴って。
私は、エプロン姿のままキッチンに戻った。
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