バレンタイン

40話  私のコウハイ君にチョコを作ってあげることにした

家出をしてから一ヶ月が経っても、私たちの同棲は終わらなかった。


お互い、適切な距離というよりはちょっと近い距離を保ちながら、尊重し合っている。


私はこの時間が好きだし、コウハイ君もこの時間が好きだと思う。


そう、私はちゃんとこの時間が好きだと認めることができた。


でも、前と比べて確かに変わったことがあるとしたら、間違いなく。



「………ふぅ、ふぅ……」



性欲処理の仕方が変わったことを、挙げられるだろう。


私たちはもう、1ヶ月以上もセックスをしていなかった。


私がキスもセックスも拒んだせいで、コウハイ君はそんな私に背かないせいで、この奇妙な時間が続いている。


でも、コウハイ君を知っている私の体がそう簡単に物足りなさに耐えるはずもなく。



「すぅ……ふぅ……っっ」



私はまるで犬のように、コウハイ君の体臭が滲んでいる服を嗅ぎながら一人で精いっぱい、自分を慰めているのだ。


ほとんど毎日のように慰めていた。物足りなさが続いて、そのたびに一時的な快楽で体を誤魔化そうとしていたから。


おかげで毎朝、コウハイ君の顔が酷くやつれているように見えたけど、仕方がなかった。


声はいつも最小限に押し殺している。この家の壁が薄いのが悪い。



「……ううっ、っ!」



物足りないけどそこそこ熾烈な刺激に体が強張って、次の瞬間には荒い息を零す。


……一人で住んでいた時には知らなかったけど、私は思ってた以上に変態だったらしい。



『センパイ』



そして、わざと自分の体臭が滲んでいる服を貸してくれるコウハイ君も。



『そろそろ服、返してもらってもいいですか?』



間違いなく、私と同じ変態だと思う。


私は厚い布団を喉元まで被って、コウハイ君の部屋に繋がっている壁に言いかける。



「やだ、返さない」

『……理由を聞いてもいいですか』

「まだ匂いが落ちてないから」

『センパイって変態ですよね』

「コウハイ君ほどじゃないから」

『俺はセンパイの服を貸してもらってないんですけど』



それは、確かにその通りだ。コウハイ君には私の服を嗅ぐ趣味がない。言い返す言葉が見つからない。


でも、このまま認めるのは私がコウハイ君より変態だと言っているようなものだから、釈然としない。


私は、目を細めながら呟いた。



「コウハイ君は、どうやって処理してるの?」

『……普通聞きますか?こんな時に』

「いいじゃん。夜だし」

『自分はスッキリなったからといって、酷すぎるんじゃないですか?』

「まんまと私に服を貸してくれるコウハイ君が酷いと思うな」

『お願いされて貸しただけですけど』

「でも、コウハイ君は喜んでいたでしょ?明らかに」



私の返しにコウハイ君はしばし沈黙を保ってから、言った。



『普通にAVで処理してます』

「……私じゃないんだ?」

『はい?』

「他の女で抜いてるんだ」

『センパイが拒むからじゃないですか』

「仕方ないじゃん」



壁越しだからさすがにため息の音は聞こえなかったけど、コウハイ君なら絶対にため息を吐くだろうなと思った。


そう、私は理不尽で成り立っている人間だ。


私はコウハイ君を支配したい。私はコウハイ君が、私以外の女で抜いているという事実があまり好ましくない。


同時に、私はこのままの時間をずっと過ごしたいと思っている。


そんな我がままで理不尽な私を、コウハイ君はすべて受け入れてくれる。


それは救いであって、私がコウハイ君から離れる気持ちをかき消す呪いでもある。



「コウハイ君」

『はい』

「今から、そっちに行っていい?」

『…………エッチの目的じゃないなら、遠慮しておきます』

「なんで?」

『襲っちゃいそうなんで』

「マジで?」

『マジで』



本当に素直だなと感心しつつ、私はクスクスと笑みを零す。


壁越しの会話は便利だ。小さな声は聞こえないけど、心が込められている言葉はちゃんと届くから。


まあ、この家の壁は本当に使い物にならないなとは思うけど。



「コウハイ君」

『はい』

「バレンタインチョコ、作ってあげようか」



その声を発した瞬間、何故か向こうから全くもって話し声が聞こえてこなかった。


横たわったままぼんやりしていると、次にドアがコンコンとノックされる。私は目を細めつつ、入っていいよと答える。


コウハイ君は、夜中でもはっきり認識できるほどの悶々とした顔つきになっていた。



「どうしたの?」

「耳が痛いらしいですから、ちょっと見てもらっていいですか?」

「バレンタインチョコ、作ってあげようか?」

「幻聴は耳鼻科じゃなくて精神科でしたっけ」

「もう絶対にエッチしてあげない」

「今と何が変わるんですか?それ」



肩を竦めながら、コウハイ君は私の部屋の椅子にポツンと座ってリモコンで間接照明の常夜灯をつける。


まだ下着姿のままの私は、布団にくるまってコウハイ君をジッと見つめる。



「コウハイ君の変態」

「………本物の変態がなんなのか見せてあげましょうか」

「ふふっ、おかずに私のエッチな写真とか送った方がいい?」

「遠慮しておきます。嫌がる人と無理やりしたくはないので」

「へぇ………」



すなわち、その写真を受け取ったら私を無理やりに襲っちゃう、と。


私は、くすりと笑ってから布団で顔を半ば隠した後に、言う。



「コウハイ君」

「はい」

「ありがとう」

「………………」

「だから、チョコ作ってあげるね」



一ヶ月も耐え抜いたコウハイ君に、そのくらいの報酬はあってもいいんじゃないかと思う。


いや、もっとあるべきだとは思うけど、仕方がない。私がコウハイ君にあげられるのは、何もないから。


私は、この一週間で見て来た様々なレシピを思い返しながら、呆然としているコウハイ君を見つめた。

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