38話  私はコウハイ君に依存している

母親は私が7歳の時に家を出て行った。


浮気だった。父親がたまにお酒を飲むときに、あの野郎をそこでぶち殺すべきだったとか言ってたから、間違いない。


そして、その父親の暴力は本当に当たり前のように、私にも施されていた。


たぶん、私が母親と似ているのが悪かったんだろう。


内気な性格も、外から見たら何を考えているのか分からないところも母親に似ていたらしく、おかげでこっぴどくやられた。



『………ッ!』



お酒を飲んだ父親に性的な虐待をされそうになった、あの時。


思いっきりあの人の股間を蹴らなかったら、たぶん私は耐え切れずに自殺していたと思う。


私のことを注意深く見てくださったお隣さんのおかげで父親は逮捕され、私は施設に預けられた。


そして、内気な私はそこでも一人だった。友達と言えるほどの友達を作れずに、どんどん一人ぼっちになって行った。


どうして私には友達ができないのか。


その理由の断片を親友に聞かれた時には、呆れるしかいなかった。



『だって、りんはすごく綺麗じゃん。だから、みんなむやみに近づけないんだよ』



彼女曰く、私には人を寄せ付けない何らかの雰囲気があるらしい。


感情変化が薄くて、ずっと一人でいようとして、でも綺麗だから近づきがたいとか。


何なのそれ、と言いたいところだけど……事実だから何とも言えなかった。


綺麗なのかは分からないけど、ブスだと言われたことはないし。


そして、そんなところまで母親と似ているのかと思うと、死にたくなってくる。


今も病院代をせびってくる父親のメールを見ていると、さらに死にたくなる。



「…………………コウハイ君」



私に家族なんていない。あの人たちを、家族だと言いたくはない。


よかったかもしれない。母親が浮気したことを聞いて、私は愛とはそんなものなんだと思い知ることができたから。


結婚したら一生一緒に住むわけじゃない。愛なんてその時の感情で、その後は結局惰性だ。


惰性に流されることが嫌だったら、ビリッとした刺激を求めて浮気をする。抱いていた愛は簡単に形を変えてしまう。


だから、私は人生に愛を取り入れようとはしなかった。


私には確かに親友の愛があったけれど、10年前に死体に見つかったあの子を見て最後の灯火さえも消えてしまった。


もう一人で、私は楽になりたかった。


一層のこと、孤独が心地よかった。私は幸せを望んでいない。不幸を避けようとしただけ。



『もしもし?』



でも、それでも私は求めてしまう。


新たな刺激を、新たな温もりをもたらしてくれる人を求めてしまう。


心が荒んだら声を聞きたくなるし、死にたいと思う時には会いたくなる。


コウハイ君がそんな存在になっていることを否定しながらも、私の指は勝手にコウハイ君に電話をかけていて。


そして、私の浅ましい心はコウハイ君の声を聞いて、勝手に喜んでいる。



「コウハイ君」

『はい』

「人間って、面倒だよね」



正確には私が、と言い足すべきだけど。


コウハイ君は、即座に私の言葉を肯定した。



『ですね、面倒です』



……私を指している言葉のような気がして、良心がチクリと痛む。


でも、言い返す言葉もない。実際、私は面倒な女だから。


それからは本当に、くだらない話だけをした。癒しまではいかなくても、気休めにはなるような会話を重ねた。


私はその瞬間、コウハイ君に気休めを求めていた。コウハイ君は見事に私が欲しいものを与えてくれた。


そして、私が欲しくない言葉も。



「じゃ、あのキスはウソ?」

『あのキスは……ウソじゃなかったです。あのキスは』

「………………」

『あれは、本音でした。二日前に一緒にいたいと言ったのも、ちゃんと本音です』



コウハイ君は、ピンポイントで与えてくれる。それが嫌だなと思いつつも、ちゃんとコウハイ君だなと苦笑する自分がいる。


離れていて分かったことだけど、私はもうコウハイ君色だ。


私はコウハイ君に会いたがっているし、コウハイ君も私を会いたがっている。


仲のいいセンパイコウハイと言うには心の距離が近すぎる。恋人と言うには全く甘くない。


運命の相手と言うには軽々しい。でも、私は知っている。


一人だった私は、どんどんコウハイ君のための一人になって行く。


コウハイ君と離れていようがくっついていようが、その事実は変わらない。


いや、むしろ離れている今の方がキツい気がする。心臓の中でどんどん、コウハイ君の存在感か浮き彫りになっていく。



恋なのかなと、ぼそっと呟いてみる。


好きなのかなとも、ぼそっと呟いてみる。



私は誰かに恋をしたことなんてないし、異性を好きになったこともない。


私にあるのは性欲だけだったし、それが今までの私の25年だった。


でも、これがもし恋だとしたら、これはあまりにもひどすぎる話だ。


母親から学んだのだ。結婚をしても、子供を産んでも。


恋は、簡単に終わってしまうと。



「……………はぁ」



コウハイ君のいない人生か。それを思うだけで、心がズキズキと痛む。


知らない方がよかったのにな、と何度も思ったけど、知ってしまった以上は仕方がない。


私はたぶん、コウハイ君に依存しているんだと思う。


そして、永遠に依存したいとも思っている。


父親に長文のメッセージを送られて、反射的にコウハイ君を探していたさっきの私が、それを証明している。



「……よし」



この感情は恋じゃない。


恋だと困るし、恋だと嫌だ。だから、私は否定し続けるつもりだ。


そして、コウハイ君はそんな私の意地を突き崩すような人間ではないと、私は知っている。


簡単な話だ。なにも、世の中の関係の中には恋人だけがあるわけじゃないから。


私たちは、まだまだセフレでいられる。



「もしもし、204号室ですけど……はい。ちょっと、予定が狂ってしまって」



セックスを拒むセフレなんて、ありえないとは思うけど。

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