37話  抗いようがない

穴が大きいなと、今さらながら感じてしまう。


センパイと同棲を始める前に、センパイが言ってくれた言葉がある。この胸の穴を大きくしてあげると。


そして、2ヶ月も経っていない今、俺は今までにない空虚感を抱いている。


過ぎている時間としている行動のなにもかもが、空っぽのように思えてくる。



「これで2年………か」



2年はさすがに長すぎる。センパイと2年も一緒にいたら、間違いなく20年も一緒にいたくなるんじゃないだろうか。


そんなことを思ってしまうほど、この二日間の空白は大きかった。


1人で映画を見るのも、1人で料理をするのも、1人でコーヒーを飲むのも、なにもかもが上っ面のように感じられる。


核には全く触れていない、ただの物真似をしているような感覚。この小さなズレを、俺は拭えない。


単刀直入に言うと、俺はセンパイを会いたがっていた。



「………………」



映画の一時停止ボタンを押して、俺は目をつぶる。じっくりと考え始める。


センパイは怖がりだ。センパイは臆病者だ。センパイは逃げている。


センパイは、俺と一緒にいたいと思っていながらも俺を拒もうとしている。


センパイの本音を、俺はある程度知っている。そう、知っていると自信を持って言えるのだ。


その眼差しが、行動が。エッチをする時の姿とか、目を細めるところとかが……教えてくれるから。


これで演技だと、すべて俺をいじめるための行動だったと言われたら、さすがに俺も驚くだろう。


その際には、すぐに会社を辞めて俳優になってくださいと言うかもしれない。


それくらい、センパイのすべてには真実が込められていて。


俺が見て来たセンパイは、その真実を丸ごと誤魔化せるような、用意周到な人物ではない。



「………はあ」



ため息をついて、ソファーで横になってスマホを手に取る。


電話を掛けたいところだけど、すぐにやめた。プレッシャーがかかったらセンパイがさらに逃げてしまうかもしれないから。


本音とは全く違う行動。センパイはちぐはぐな時間を重ね続けていて、自分自身を上手く誤魔化していない。


どうすべきかと思っていた、その瞬間。



「えっ」



ぼんやりと見上げていたスマホの画面に、突然電話がかかって来た。センパイだった。


俺はすぐに起き上がって、通話ボタンを押す。



「もしもし?」



沈黙はしばらく続いて、たっぷり1分くらい経った後にかき消された。



『………コウハイ君』

「はい」

『人間って、面倒だよね』



急な話題に噴き出しそうになりつつも、俺は頷いた。



「ですね、面倒です」

『……2日くらい経ったっけ』

「ですね、後5日です」

『短いな』

「長くないですか?」

『………長いのかな?』



この返事を聞いて、俺は確信した。


センパイの中で、何かが起こっている。



「どうしました?」

『えっ?』

「なにかあったんじゃないですか?いや、絶対になにかありましたよね?」

『……どうしてそう言い切れるの?』

「センパイは分かりやすい人間ですから」



耳さわりのいい嘘だなと思いつつ、俺は淡々と言う。


そう、嘘だ。俺はセンパイのことを何も知らない。これは単なる直感に過ぎなかった。


でも、その直感は的確に当たっていたらしく、センパイは言う。



『……嫌い』

「ありがとうございます」

『マゾなの?コウハイ君』

「全然違いますけど」

『あはっ、そうよね。コウハイ君はSだし』

「今まで会って来た人の中で、センパイ以上のSは会ったことがないんですが」

『なんらかの勘違いでしょ?きっと』

「……あはっ、そういうことにしておきます」



俺はソファーに横たわりながら、再び目をつぶる。


それで、と言葉を足しながら、俺は質問を投げる。



「どうですか?」

『うん?』

「少しは、気が紛れましたか?」

『…………』

「センパイ?」

『コウハイ君は、私のことは何もかも分かっているよね』

「俺はセンパイのこと何も分かってないです」

『さっき、分かりやすいとか言ってなかったっけ』

「ウソですよ。俺、ウソつきですから」

『じゃ、あのキスもウソ?』

「あのキスは……」



間違いなく、旅行先でしたキスを指しているのだろう。


一緒にいたいという気持ちを込めて届けたキス。気休め程度の気持ちと言うには、ちょっとだけ重みがあるキス。


だから、俺は目を開けて言い切る。



「ウソじゃなかったです、あのキスは」

『………………』

「あれは、本音でした。二日前に一緒にいたいと言ったのも、ちゃんと本音です」

『………そっか』



酒でも飲んでるのか、センパイはやけに深いため息をつきながら言った。



『じゃ、5日後にね』

「何があったのかは、教えてくれないんですか?」

『うん。教えたくないから』

「……ふふっ、分かりました」

『なんで笑ったの?』

「いえ、センパイらしくて」



センパイは納得が行かなかったのか、ちょっとだけ拗ねた口調で言い返してくる。



『ウソつき』

「ありがとうございます」

『ああ、もう………分かった。ありがとう、コウハイ君』

「はい、センパイ。おやすみなさい」

『うん、コウハイ君もね』



通話が切れて、俺はリモコンでリビングの明かりを消してから目をつぶる。


何やっているんだろうと思いつつも、センパイの声を思い返すと失笑が出てしまう。


たった5分間の通話を何度も思い返しながら、色々な考えを巡らせる。


そして、俺はある答えにたどり着く。



「そっか……俺は」



センパイのことで、心から笑うような人間になったんだ。


目を開けて、センパイのいない家の天井を見上げる。


一人だった人生に、違う色が混ざろうとしている。いや、もう混ざっている。


センパイと離れているからこそ、俺はこの事実を直視することができた。


これはもう、抗いようがないなと再び思ってしまった。

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