33話  センパイと一緒にいたくないわけじゃない

俺がセンパイを襲ったことなんてなかった。


俺にとってセンパイは、初めては軽いセフレだったけど、時間が経つにつれてどんどん人間になっていたから。


人間は人間を襲わない。これは当たり前の常識で、だから俺はセンパイを襲わなかった。


でも、今日は。



「やだ」

「………」

「やだって言ってんじゃん。今日は……ダメ」



今日は、どうしても我慢が効かなそうな気がする。


ムラムラした状態で晩御飯も食べて、温泉にまで入って。それから訪れた夜。


普段の俺たちなら、絶対にヤっているはずだ。


お酒を飲んだセンパイが挑発して、俺は生真面目にその煽りに乗って、センパイを貪る。そんな構図が出来上がるはずだ。


実際、半分までは叶っていた。センパイも俺もお酒を飲んでいるし、俺はセンパイを布団に押し倒している。


でも、肝心なセンパイは首を振りながら、俺の肩を押していた。



「写真、撮らせてくれなかったんですよね?」

「明日撮らせてあげるって言ったじゃん……!ちょっ、手首掴まないで!痛い!」

「…………センパイ」



普段とは真逆に弱っているセンパイを見下ろしながら、俺は言う。


野暮な言葉だと思いつつ、俺は問わなければならない。



「なんで避けるんですか?」

「………………」

「今日のセンパイは、俺が知っているセンパイじゃありません」

「……離して」

「俺が知っているセンパイは、物扱いされて喜ぶセンパイです」

「離してってば!!」



センパイは手首にありったけの力を入れながら、俺を振りほどこうとする。


でも、運動もろくにしていないセンパイに俺を振りほどける力はいない。


どんどん、心の中のモヤモヤが積もっていく。



「……私、コウハイ君にとって人間なんでしょ?コウハイ君は人間をこんな風に扱うわけ!?」

「都合が良すぎると思いませんか?センパイ」

「はあ!?なにが……」

「自分に都合のいい時だけ人を煽って、都合が悪かったら卑怯に逃げようとして」



俺は淡々と、それでも静かな怒りを込めてセンパイに言葉をかけていく。


でも、俺は知っている。センパイがセックスを拒む理由を。センパイが必死に逃げようとする理由も。


だって、前に先輩自身が教えてくれたのだ。



「そこまでして、俺と一緒にいたいんですか?」

「………………」



センパイの目が見開かれて、顔には少しずつ悔しさと恨めしさが滲んでいく。


俺は、か弱いセンパイの手首をもう一度敷布団に押し付けて、言い続ける。



「センパイにとって俺はおもちゃじゃないですか。都合のいい、ただのモノ。なのに、なんでそこまでして日常を守ろうとするんですか?」

「……うるさい」

「流されてもいいはずです。俺みたいに先なんか見据えずに、衝動に身を任せるべきじゃないですか?なのに、センパイは……」

「うるさい!!!」



切り裂くような声が聞えるも、俺は最後まで言葉を紡ぐ。



「俺との先を見据えています」

「………………………………………………」

「真面目に、未来を見てます。未来なんかないって、どうせ別れるって口では言ってるくせに。やることと言うことが真逆じゃないですか」



これは俺が言ってはいけない言葉で、センパイとの時間をもっと短縮させる言葉だ。


知っている。知っていながらも、俺は言うしかいなかった。


俺が求めるのはたぶん、仮初の時間じゃない。俺は本気で、俺の穴を……虚無を埋めてくれる真実な何かを探しているのだ。


そして、今の俺には。



「………大嫌い」



目尻に涙を浮かばせながら。


こっぴどく俺に悪態をついているこのセンパイこそが、俺が求める本物だった。



「大嫌い、大嫌い。信じられない。本当に、大っ嫌い!!」

「………」

「……旅行なんか来るんじゃなかった。一緒に住もうと言うんじゃなかった!あんたなんか、大っ嫌い!!」

「……センパイ」

「………退いてよ」



センパイはもう、見て可哀想なくらい涙を流しながら、俺に言う。



「退いてよ、早く」

「……」

「私は、大嫌いな人とのセックスなんかしたくない」

「センパイの大嫌いって」



俺は手を離さずに、センパイに言いかける。



「嫌いになるための嫌いですよね」

「………うるさい」

「……………………」



嫌いだと言われるのは、けっこう堪える。センパイが相手ならなおさらだ。


実を言うと俺も、かなり後悔していた。こんなことを言うんじゃなかった。


こんな風に、センパイが隠したかった何もかもを暴け出すんじゃなかった。センパイの気持ちをあまり配慮していなかった。


さっきもそうだ。俺たちはほんのりと気づいている。


センパイは俺を好きだと感じたその瞬間に、返って嫌いだと言う。


この仮初の時間を、少しでも長引かせるために。


……まあ、さっきの嫌いは間違いなく本心なんだろうけど。


でも、センパイは嫌いと言う言葉を発する瞬間に自分自身も傷ついてしまう、そういう人間だ。



「……私の傍に、永遠にいてくれるわけじゃないなら」

「………」

「今すぐ、退いて。じゃないと、私は出てくから」



その出てく、という言葉はたぶん家を解約するということだろう。金銭的な面でもメンタル面でも、あまり理性的な判断じゃない。


でも、そんな判断に走るほど、今のセンパイは精神的に追い込まれている。


だから、俺は体を引く。



「……………」

「……………」



はだけた浴衣を整いながら、センパイは涙に濡れた顔で俺をジッと睨む。


お互いの初めての旅行にしては、最悪な雰囲気だと思う。センパイとの喧嘩も初めてだったなと、脳裏の端にそんな考えが浮かぶ。


そして、その考えと同時に、俺の頭にはセンパイがさっき言ってくれた言葉が漂っていた。


永遠にいてくれるわけじゃないなら、退いて。


俺は体を退いた。センパイが傷つく姿を見たくなかったから。


でも、それは別に―――



「センパイ」

「なによ……んむっ!?!?」



センパイと一緒にいたくないからとか。


センパイの隣にいるのが嫌だとかの理由では、ない。


永遠という言葉はさすがに重すぎるし、実現させる自信もない。なのにキスしているんだから、不真面目の極まりだ。


それでも、このキスは単なる衝動じゃない。


このキスはたぶん、俺の奥底をくゆらせている願いに繋がっている。


本物に触れ合いたいという願いに。



「んん………ん!!」



パン、とセンパイは俺の胸板を叩く。さっきのように暴れて、俺から逃げようとする。薄目にセンパイの涙が見える。


でも、センパイはすぐに体から力を抜けて、赤い瞳を閉じる。


静寂なキスは、思ってた以上に長く続いた。



「…………ふぅ」

「………………ふぅ、ふぅ、ふぅ……」



先に唇を離したら、センパイは浅い息遣いを繰り返しながら呼吸を取り戻そうとする。


少し落ち着いた後、センパイはまだ涙が溜まっている瞳のまま、俺の胸板を平手で叩く。


力は、全く込められていなかった。



「…………嫌い」

「………………」

「……コウハイ君なんか、大嫌い………」



どんどん涙が溢れ出て、センパイの語調も少しずつ弱くなっていく。


その姿を見て、俺は自分の気持ちがちゃんと伝わったんだと思い知る。


センパイは何度も、体を震わせながら俺の胸板を叩いた。

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