30話  私のコウハイ君の、お互いの初めて

コウハイ君の視線がおかしい。以前にも増して、暖かい気がする。


キャリーバッグに服を詰めている時にも、電車を待っている間にも、コウハイ君の視線はずっと暖かかった。


前の眼差しより少しだけ温度が上がって、微笑ましい表情を浮かべる回数も多くなった。


私はそれが、好ましい変化とは思えない。



「宿泊先の予約までしてくれて、ありがとうございます」

「ううん、私が誘ったことだもん。責任は取らなきゃ」



新幹線は、私たちを遠く知らない街へと運んでいく。


年が明けてあまり経っていないせいか、周りにはちらほらと家族連れの観光客が見えた。


外国人らしい人もいて、日本語じゃない言語も聞こえてくる。中には、当たり前のようにカップルもいた。


私たちもそう映るのではないかと思うと、なんとも言えないもやもやした気持ちになる。



「コウハイ君」

「はい」

「旅行、楽しい?」

「はい?」



意味不明だと言わんばかりの反応をされてしまった。まあ、当たり前か。家に出てからまだ1時間も経ってないし。


ただ、気を紛らわすために投げた突飛な質問だった。真面目に返してくれなくてもよかった。


でも、コウハイ君は眉根をひそめた次の瞬間に、苦笑を零しながら言う。



「まあ、楽しいですね」

「……………」

「雪、綺麗ですね」

「だね」



私の中の何かが変わった。


コウハイ君の家庭事情なんて、聞くべきじゃなかった。


あんな敏感な話題を聞いてしまったから、こういう煩わしい感情が湧く。


あの夜、私は死んだ顔をしているコウハイ君を無視して、とっととお酒だけを取り出して自分の部屋に帰るべきだった。


そうしていたら、旅行なんか来ることもなかったのに。



「……人多いですね、さすがに」

「まあ、冬場だし仕方ないんじゃない?」

「よくも旅館の予約できましたね?センパイ」

「ちょっとボロい旅館だけど」



2時間くらい経って、目的地に到着した。


キャリーバッグを持ったまま、私たちはとりあえず腹ごしらえのために近くのうどん屋に入った。


店員さんたちの元気な声が聞えてきて、持ってきたキャリーバッグは店の入り口付近に置いてもらった。


小さなテーブルに腰を掛けて、私はさぬきうどんとコウハイ君のための肉ぶっかけうどんを注文する。



「いいね、雰囲気が」

「まあ、騒がしいですけどね」

「ふふっ、正に旅行に来たって感じじゃない?」



コウハイ君の冗談めいた言葉にクスっと笑いながら、私は周りを見回す。


活気が溢れている店だった。家族連れのお客さんから初めて、既に浴衣姿でうどんをすすっているカップル。


木製のインテリアと、古ぼけた小さなテーブル。窓の外で少しずつ振っている淡雪。


これが旅行か、と要らぬ感傷に浸っていたところで、コウハイ君が聞く。



「センパイは、旅行とかよく行ってましたか?」

「…………」



私はしばらく悩んでから、首を振る。



「ううん、あまり行ってないかも。コウハイ君より、ずっと」

「大学時代にも?」

「こんな性格でサークルとかに上手く馴染めると思う?」

「思いませんね」

「蹴ってもいい?」

「ここ外なんで、お手柔らかに」



蹴らないでくださいとは言わないんだと思いつつ、私は言葉を続ける。



「今まで行ったことなんてなかったよ。旅行」

「……修学旅行とかも?」

「それが旅行の範疇に入るなら、行ったことありだけど……そうだね。そんなフォーマルな感じじゃなくて、個人的に行ったことはなかったかもね。家族旅行も、友達との旅行も、全部」

「……………」



コウハイ君は目の前に置かれているお茶をジッと眺めながら、ボソッと呟く。


集中しないと聞きそびれるような、小さな声で。



「センパイも、俺が初めてなんですね」

「……………」



その言葉に頷くのは不本意だけれど、事実だからしょうがない。



「うん、私にとってもコウハイ君が初めてだよ」

「そうですか」

「ふふっ……嬉しい?」

「なんといいますか……」



コウハイ君は、後ろ頭を掻きながら困った顔で言う。



「俺たちですね、それって」

「お互いの初めてを奪い合ったところが?」

「いい歳して旅行もまともに行ってなかったところが」

「コウハイ君がそんな世間の基準を気にする人だとは思わなかったなぁ」

「世間の基準じゃなくて」



コウハイ君は一度言葉を区切ってから、私を見つめ直す。


怖いくらいの真っすぐな目で、私が一番嫌いな目つきで、コウハイ君は伝える。



「お互い、こうやって傷つけ合ってるなと」

「………」

「そういうことを、言いたかっただけです」



……コウハイ君の、社会人になってからの初めての旅行相手が私だから、私はコウハイ君の中に残る。


そして、それは私も同じだ。間違いなく、私の中でコウハイ君は生き続ける。色褪せることはあっても、死ぬことはない。


コウハイ君も私も、結局は同じだ。


この時間を過ごしている内に、私は間違いなく幸せだと勘違いをするはずだ。穴が埋まっていくと、感じるはずだ。


でも、所詮は勘違い。私の胸の穴は永遠に埋まらない。


こういった仮初の時間は、私の穴を大きくして、私をもっと痛くするだけ。


コウハイ君が永遠に私の隣にいてくれない限り、この勘違いが真実になることはない。



「はいっ、さぬきうどんに肉かけうどん!」

「ありがとうございます」

「………」



そっか。


そんな仮初の時間に、心が惑わされるほど。


私は、思ってたよりずっと繊細で、弱い人間だったんだ。

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