26話 私はコウハイ君と一緒にいたい
ムカつく。
いつも、いつもそうだ。私に選択権を丸投げして、自分は平気なふりをして、大事な言葉だけを届ける。
センパイは人間だとか、一緒にいて幸せだとか、自分が先に私から離れることはないとか。
すべてがムカつく。ありえない。大嫌いだ。
そして、そんな言葉を浴びせられて動揺している自分も、もっと大嫌いだ。
「…………」
「…………」
薄暗いリビング。ソファーに並んで、一緒にB級映画を見るのももはや日常になっていた。
会話も交わされていないのに、少しも苦にならない。
コウハイ君は私の隣でコーヒーを飲んでいるのが当たり前で、私はコウハイ君の隣でクッションを抱きかかえることが当たり前だ。
その当たり前が積もれば積もるほど、私の人生は狂っていく。
願ってもいなかった刺激が、勝手に滲んでくる。
「コウハイ君」
「はい?どうしたんで……んむっ!?」
だから、こうしなきゃいけない。
少しでも、その日常を捻じ曲げなければいけない。そうしないと私は、狂ってしまいそうだから。
でも、唐突に投げたそのキスにコウハイ君はすぐに反応し、襲い掛かっていた私の体を反転させる。
「んん……きゃっ!」
あっという間に体勢が逆転されて、私がコウハイ君に襲われる形になってしまう。コウハイ君は唇を離してから私を見つめてくる。
その真っすぐな視線が、私は怖い。
顔を背けようとしたところで、コウハイ君の声が鳴る。
「どうして、いきなり?」
「………」
「エッチ、あまりしたくもないんでしたよね?」
……空気を紛らわせる映画の音だけが、せめての救いだった。
コウハイ君の声だけで満ちている世界なんて、本当に窒息してしまいそうだから。
「……コウハイ君」
「はい」
「君は、怖くもないの?」
「…………………………」
いつの間にか、涙が溜まった目でコウハイ君を見上げながら。
私は呪うかのように、コウハイ君に言い続ける。
「なんで、そんなにあっさり自分を変えられるの?なんで、そんなに自分の気持ちに素直になれるのよ。私には理解できない」
「………センパイ」
「私、私は……君が素直になるたびに、君が嫌いになっていくの。なんの考えもしないで純粋に幸せを噛みしめられる姿が、嫌い」
「……………………」
コウハイ君はいつだって、大事な言葉しか口にしない。
だから、今度は私も少しくらいは大事な言葉を送るべきだという感じがした。
私がコウハイ君のことが嫌いな理由。自己防衛が何枚も重なった心の断片を。
「センパイ」
「……なに?」
「私は、センパイがどんな過去を歩んできたのか、分かりません」
覆いかぶさったまま、コウハイ君はリモコンを操作して映画の画面を消す。
体に力を抜かして、私はコウハイ君を見上げ続ける。
「だから、センパイの行動原理とか、法則とか……分かりません」
「……私の行動に法則とかはないよ」
「いえ、あるじゃないですか。ちゃんとありますよ?」
「へぇ、なんなの?」
「センパイは、優しい人です」
パン、とコウハイ君の胸板をぶつ。
なのに、コウハイ君は微動だにしない。
「これでも?」
「………センパイ」
「これでも、私が優しいの?こんな風に君を殴っても?」
「なら、もっと拳に力を入れてください」
「………っ!」
頭に血が上って、気づけば私はコウハイ君の肩を押していた。
それからすぐに体を起こして、私はコウハイ君の望み通り、彼の胸板を殴っていく。
拳で、掌で、力を込めて彼をいじめていく。
コウハイ君に突き放されるための努力を重ねていく。
でも、5回くらいその行動をした後で。
「………っ、っ」
「………………」
零れ出た涙が、視界をかすめて。
私は結局、震える手を下げて俯くしかなかった。
「……………いやだよ、コウハイ君」
「……………」
「お願いだから、そんなこと言わないでよ……悪質、本当に悪質。なんで?なんで私が優しい人間だと言うの?」
「……優しくない人間は、人を殴る途中で泣いたりしませんから」
コウハイ君は私を抱きしめない。私の頭も撫でてくれない。
それでも、コウハイ君は私から離れない。
それはとてつもない救いで、とてつもない苦痛だった。
「………私には、幸せを願う資格なんてないよ」
「俺もです。幸せなんか、俺はよく分かりません」
「愛も、同じだよ」
「……俺も、愛がなんなのかよく分かりません」
「………あはっ」
そっか。だから、私たちは一緒に暮らしているのか。
私は涙に濡れた顔を上げて、コウハイ君を見つめる。
色々な含みがありそうな表情。その表情の裏を、私は知らない。私はコウハイ君のことなんて、何一つ知らない。
「……コウハイ君」
「はい」
「君はどんな意味でも、私の中でずっと残ると思うよ」
コウハイ君は、その本音を聞いて。
すぐにくすりと笑ってから、何度も頷いた。
「俺もです、センパイ」
「………」
「いい方向でも悪い方向でも、センパイは俺の中で残り続けると思います」
私は、俯いてからコウハイ君の胸板を見つめる。
手を差し伸べて、さっきまで殴っていたそこに触れる。
「私は幸せを願いたくないよ。格好悪いし、どうせまた裏切られるから」
「はい」
「……でも」
震え出す唇をぐっと引き結んで、私は言い放つ。
「もうちょっと、私と一緒にいてくれないかな」
「……………」
「私、こんな刺激は初めてだから」
コウハイ君との日常は、頭にスパークが飛び散るような快感じゃない。
ただ、スポンジに夕焼け色が染まっていくような感覚。徐々に、丁寧に心の内側を撫でる刺激。
「もっと、コウハイ君と一緒にいたい」
その刺激を肯定してしまえば、私は変わらなければなくなる。
そして、私と同類のコウハイ君は。
「俺もです」
すぐにまた頷いて、大事な言葉を届けて来た。
「俺も、こんな刺激は初めてですから、センパイと一緒にいたいです」
その言葉には、ずるいと思ってしまうほどの熱がこもっていた。
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