25話 センパイの嫌い
センパイの嫌いは嫌いじゃない。
センパイの嫌いは、嫌いになるための嫌いだ。
センパイとまだ1ヶ月くらいしか一緒に住んでないけれど、嫌でも察してしまう。
「チキンでも食べる?」
「クリスマス過ぎたのに、いいんですか?」
「いいの。食べたい気分だから」
家に帰る途中、センパイの気まぐれで買ったチキンはテーブルの上に丁寧に置かれている。
センパイはビニール手袋をつけたまま、モグモグとチキンを食べて行った。
「センパイ」
「うん?」
「年明けですし、掃除でもしましょうか」
当たり前な発言に、センパイはすぐに目を細めて嫌そうな顔をする。
「やだ、めんどくさい」
「なら、俺が全部やるのでセンパイはゆっくりしていてください」
「……また私をいじめてる」
「えっ、これのどこがいじめなんですか?」
「コウハイ君が掃除してるのに、私がのほほんといられるわけないでしょ?」
「へぇ」
……やっぱり、このセンパイは優しい。
ひねくれているし、酷い言葉も平気に言うけど、優しい。
「なら、一緒に掃除しましょうか」
「……どうしても掃除しなきゃダメ?」
「ダメですよ。幸い、一昨日にベッドのシーツは全部交換しましたし、残っているのは窓と床くらいですから」
「……窓ガラスやる」
「じゃ、お願いします」
しぶしぶ言う仕草が面白くて、俺は笑顔のまま頷く。
センパイは相変わらず気に食わなそうな顔のまま、急にボソッと聞いてきた。
「コウハイ君」
「はい」
「そのなんでも券、いつ使うつもり?」
なんでも券、という言葉を聞いてすぐにこの前の出来事が思い出される。
そっか、勝負の結果でセンパイを言いなりにできる権利を手に入れたから。
「大事な場面で使うつもりです。センパイの言う通り」
「その、大事な場面って?」
「きっぱり言い切れませんね……そもそも、俺の感覚に頼る話ですし」
センパイとの間で大事な場面か。そんなものが起こるのだろうか。
センパイとの日常は思ってた以上になだらかで、平穏に満ちている。
俺たちは喧嘩をしたこともないし、一緒に生きていく上での生活パターンも大体合っていた。
だからこそ、この生活をちゃんと幸せだと感じているのだ。
「……お願いがあるんだけど」
「はい」
「お互い別れる瞬間には、使わないで欲しいな」
「……………」
センパイは何事もなかったようにチキンを食べているけど、俺はすぐに動きを止めてしまった。
別れる瞬間。そっか、センパイはもうそれを見越しているのか。そして、引き止められると思っているのか。
自惚れだと言い捨てたかった。そんなことは絶対に起きませんから、お気になさらないでくださいと軽々しく口にしたかった。
でも、俺は。
「返事は?」
「………………」
「………コウハイ君、返事」
「………………」
さすがに、俺は何も言えなかった。
まだ1ヶ月くらいしか経ってないけど、センパイとあっさり別れる自信が段々と、削がれて行ってるから。
もちろん、センパイの意志に反してまで一緒にいたくはない。
それを強要することはないだろうし、センパイもその事実をよく知っているはずだ。
でも、センパイは不安そうな顔で、俺に問い続ける。
「お願い、返事」
「………………」
「……………なんで、なにも言わないの?」
「……俺がセンパイを言いなりにする瞬間なんて、訪れません。永遠に」
「………」
「センパイも、ちゃんと知っているじゃないですか」
俺にとって、センパイは人間だ。
尊重しなきゃいけない対象だし、最大限の面倒を見てあげたくなる相手だ。物扱いすることなんてできない。
少し考えれば、簡単に思いつくことだ。
センパイが心配するような出来事が、現実で起こる可能性はない。
「………………そう、そっか」
「はい、そうですよ」
「なら、安心した」
言葉とは裏腹に、センパイの顔は翳りを浴びている。
チキンをすべて食べ終えて、約束通り掃除に取り掛かろうとしたその時。
「コウハイ君」
「はい」
センパイは、私に振り向いてから小さな声で呟く。
「私を………」
珍しく、センパイは言いよどんでから目をぐっとつぶった。
「……いや、なんでもない」
センパイが何を言ようとしたのか察しがついた俺は、その戸惑いを労うように言葉を付け足す。
「センパイ」
「うん」
「センパイが先に俺から離れない以上、俺もセンパイから離れることはないと思います」
「…………………………………………」
「まあ、掃除をちゃんとしてくれればの話、ですが」
それだけ言い残して、俺は掃除機に電源を入れる。
うるさい掃除機の音がセンパイの声さえもかき消して、うるさい静寂をもたらしてくれた。
俺はそのまま、掃除をしていく。
センパイは、凍り付いたかのようにその場から動かなかった。
「…………」
「…………」
俺たちはそのまま、一言も交わさずに掃除をして行った。
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