24話 私のコウハイ君は愛じゃない
人の不幸を祈るなんて、最悪な女だとは思う。
でも、私はあまりコウハイ君を逃したくなかった。家の契約が終わる2年くらいまでは、一緒にいたい。
この一緒にいたいという気持ちは、どこから湧いてくるのだろう。コウハイ君のことが好きだから?いや……違う。
たぶん、私は飢えているだけだ。
「俺の、不幸ですか」
「うん。コウハイ君の不幸」
「それって、センパイと一緒にいることですか?」
「……うん。それがコウハイ君の不幸だよ」
初めて人の温もりを知ったからこそ、手放したくない。
コウハイ君の肌の感覚、コウハイ君の体温、コウハイ君の優しさ。
それを分かっているからこそ、私は貪欲になっていく。
すべてを味わいつくさんとばかりにコウハイ君を貪って、自分のものにしようとする。
だから、こんなキスマークをつけた。自分のものだと、行き交う人たちに知らせるために。
でも、そんな私のモノは。
「不幸になるのでしょうか。センパイと一緒にいるのが」
「…………」
時々、私の掌から勝手に抜け出して、勝手に私の心の中でしみ込んでくる。
暴れまわって、人の心臓を台無しにする。
私は目を細めて、コウハイ君を睨む。
「コウハイ君」
「はい」
「私たちは、いつかは別れなきゃいけないの」
「はい」
「今の静かな幸せは、未来の苦痛に繋がる。苦痛は不幸になる。そうでしょ?」
「ですね」
「なのに、君は何を言っているの?バカじゃない?」
今の幸せにとっぷり浸ったあまり、訪れるはずの未来を見て見ぬふりをする。
私は、コウハイ君がそんなに愚かな人間だとは思えない。そんな人間だったら、一緒に住むことすらなかったはずだ。
なのに、コウハイ君は肩をすくめて微笑んでみせる。
やけになっている私を、嗜めるように。
「でも、ちゃんと残るじゃないですか」
「……なにが?」
「センパイと一緒にいた時間も、この跡がつけられた事実も、今こんな風に会話しているこの瞬間も……全部残るんですよ、全部」
「……その瞬間は、未来の苦痛でしかないよ」
「それと同時に、現在の幸せでもあります」
とんでもない爆弾を投げかけてきたコウハイ君は、同じくコートのポケットに手を突っ込んでから言う。
「俺が歩いているのは、現在です」
「……………………………………」
「だから、思う存分幸せを感じて、思う存分苦しみを味わうことを選びます」
私は、喧騒の中で淡々とコウハイ君を見つめる。
この発言は、本当に危ないとしか思えない。
私が抱いていたすべての期待を裏切るような言葉だ。私のロジックを、根本から覆すような言葉だ。
私はコウハイ君をいじめるために、また短い快楽を味わうためにコウハイ君と一緒にいることを選んだ。
だから、コウハイ君はそんな私を否定しなければならない。
私と一緒にいるのが苦痛だと思わなきゃいけないのに、コウハイ君はそれを幸せだと言う。
「コウハイ君は」
「はい」
「私と一緒にいて、幸せ?」
コウハイ君はしばらく間を置いてから、ゆっくりと頷いた。
「はい、幸せです」
「………………」
私は項垂れて、もう一回空を仰いで、ふうとため息をつく。
コウハイ君と2年くらいは一緒に住みたいのに、どうやら思い通りにはいかないらしい。
「コウハイ君」
「はい」
「私は、君の事が嫌いだよ?」
「センパイの嫌いって――――」
コウハイ君は即座に何かを言おうとして、すぐに押し黙る。
たぶん、自分が発する言葉の意味を、コウハイ君は知っている。
「……いえ、なんでもありません。おみくじでも引きに行きましょうか」
「…………………」
私たちはそのまま、おみくじを引くために列に並ぶ。
おみくじなんてあまり引きたくもないし、とにかく今は家に帰りたかった。
でも、私の家はコウハイ君の家でもある。
私はそれが、大嫌いだ。
嫌わなきゃいけない。面倒だと思わなきゃいけない。
私は、20年も積み重ねて来た自分を変えたくはない。
「どうなの?コウハイ君の運勢」
「小吉ですね」
「コウハイ君だな」
「……なにがですか?」
「ううん、さてと……」
なんの緊張感も抱かずに内容を確認したら、真っ先に大吉という文字が目に入った。
苦笑して一通り内容を読んでいく途中、私の目にある文章が映る。
『この愛をしっかりと抱きしめて 愛して行きなさい 隣にいる人を信じなさい』
「……………………………………………」
恋愛、という文字の横に書かれている文章を見て、私はすぐに紙を折ってそれを結びに行く。
コウハイ君は目を丸くして、私に付き添ってきた。
「ちょっ、センパイ?」
「…………………」
愛なんかじゃない。
これは単なる自己破壊だ。コウハイ君と一緒にいる時間は、単なる侵食だ。
何度も、何度も心の中で繰り返す。これは愛なんかじゃない。
「大凶だった」
「内容、見せてもらってもいいですか?」
「やだ」
「……なるほど」
仕方ないと言わんばかりの表情をしているコウハイ君を見て、私は拳を握り締める。
私は、愛を知らない。
だから、私はたぶん、コウハイ君を愛していないはずだ。
コウハイ君のことなんか、私は大嫌いだから。
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