12話  私のコウハイ君にもっとも聞きたくなかった言葉

全部、幻だ。幻だよ、アンダーソン君。


人間の知性が、なんの意味も目的もない己の存在を正当化させるために作り出した幻なんだよ、愛は。


好きな映画、マトリックスで聞いた悪役のセリフは、初めて聞いた時からずっと頭の中に残っている。


なんで、映画を見ている最中にこんなくだらないセリフを思い出してしまうのだろう。


見ているこの作品もマトリックスも、主人公が同じキアヌ・リーヴスだから?いや……たぶん、違う。


きっと、俺の隣にいる生意気な誰かさんのせいだ。



「………」

「………」



なにがそんなに面白いのか。


コウハイ君の視線は映画のスクリーンに注がれていて、私はそれが気に食わない。


映画は好きで、本も好きだった。色々な思考と色々な物語に触れられるから。


それによって感情を得て、私はモノクロの明日を生きていく原動力を得る。だから、今は映画に集中すべきだった。


なのに、私の神経はさっきからずっと、隣にいるこの厄介なコウハイ君に奪われている。



『妻を愛した男。俺の墓石にそう刻んでくれ』



……ちょうどそんなセリフが出て来て、私はしんみりとした気持ちになる。妻を愛した男、か。


私が今見ている映画の主人公―――ジョン・ウィックは言っていた。何故生きている?死んだ妻を記憶するために。


愛とはなんなんだろう。私は愛を知らない。


愛と言う文字が私の人生にはなかった。そんな幼少期を歩いてきて、そのまま体だけ大きくなってしまった。


そして、自分が言うのもなんだけど、私はかなり歪な大人になったと思う。



「面白かったですね」

「そうだね」



映画が終わった後、私はコウハイ君と短い感想を述べながらエスカレーターに乗っていた。


1階に到着したら、コウハイ君が待っていたかのように話しかけてくる。



「これからどうしますか?軽くショッピングでもしていきましょうか?」

「……だね。必要はものとかあったかな?」

「まあ、家電はお互い使っていたものをそのまま使ってますし、特に新しく買う必要はないと思いますが」

「だよね……あ、そういえば」



クリスマスにはこういう文化もあったよねと思い出して、私は言う。



「クリスマスプレゼントというものがあったよね、そういえば」

「……………えっ」

「なんでそこで驚いてるの?」

「センパイがそんなこと気にするとは思わなかったんで」

「私のこと、普段どんな風に見ているわけ?」

「そりゃ、めっちゃ注文が多くて厄介なセンパイだなと」

「ビシバシ言うな~~私の方こそ、厄介で生意気なコウハイだと思っているのにな」

「………そうですか」

「うん、そうだよ」



そっか、私はコウハイ君に厄介だと思われているのか。


でも、仕方がないと思う。自分でも自覚があるくらいに私は変な人だし、けっこうな気分屋だから。



「プレゼント、欲しい物とかある?」

「ないですね、特には」

「……コウハイ君って、物欲とか全くないよね」

「そうでしょうか?」

「絶対にそうだよ。部屋にもほとんど何も置いてないじゃん」

「センパイこそ……中々殺風景な気がしますけど」

「ぬいぐるみとか並んであるじゃん。私は普通なの」

「ぷはっ」



……普通という言葉がツボにハマったのか、ガチで笑われてしまった。


本当に、生意気なコウハイ。



「……やっぱ嫌い」

「あはっ、ごめんなさい……でも、センパイが普通だなんて。そっか……」

「勝手に納得しないでくれる?まあ、プレゼントが物に限る必要はないし、私に何か頼みたいことがあれば、言って?」

「……………………」



コウハイ君は、唇を引き結んでから私を見下ろす。


お互い身長差がちょっとあるから、自然と私が見上げる形になる。


周りの人たちが楽しそうにはにかんで、クリスマスに滲んだ街の中。


私たちだけが、沈黙を保っている。



「……じゃ、後で」

「……なんで後?」

「家に帰ってから頼んだ方がよさそうなんで」

「ちょっ……マジでなに頼む気なの?」

「簡単な質問に答えてもらえればいいので、そこまで気にしないでください」

「……コウハイ君」

「はい」



質問、という単語には不安しか起こらない。


私たちが家に帰ってからする行為なんてたかが知れている。ケーキもないし、本はしばらく買ってないし、映画はさっき見たばかり。


自然と、セックスしか残らない。


そして、コウハイ君はきっと、セックスの際に私から何かを引き出そうとしている。


私が一番弱っている瞬間に、私が一番コウハイ君に絆されている瞬間に、彼は抵抗できない質問を投げかけて、私を感染させるつもりだ。


ばい菌の名前は、情。



「私からも、プレゼント要求していいかな」

「……………はい」

「これからする質問に、真実だけを答えて。それが、私へのクリスマスプレゼントだよ」

「はい、どうぞ」



私は、ショルダーバッグをかけ直してから言う。



「あの子と、寝た?」



コウハイ君は一瞬目を見開いてから、すぐにいつもの淡い笑顔に戻る。



「寝てないです」

「……なんで?」

「理由が必要なのでしょうか。好きでもない人とヤる方が理由、必要だと思いますけど」

「………………」

「それで」



コウハイ君は唇を湿らせて、やや不安そうな目つきで私を見つめてくる。



「なんで、それがセンパイにとってのプレゼントになるんですか?」

「……………」



私は、誤解の余地がありそうな言葉だと自覚しつつも。


彼に、心からの本心を伝える。



「君は私のものだからね」

「…………」

「そう、ものなの。人じゃなくて、もの」



都合のいい生体バイブ。私の言いなりで、私の意志に背かない完璧なまでのもの。


それこそが、私がコウハイ君に望んでいる価値だった。私が彼と一緒に住む気になった理由だ。


彼を支配してみたいという欲求が、あの瞬間にせり上がっていたから。



「……………センパイ」

「うん」

「センパイは察しが早いですから、もう分かってますよね?」

「…………うん」

「俺にとってセンパイは、人間です」



………………………………本当に。


生意気で、こっぴどくて、意地悪なコウハイ君は。


ぼんやりとした関係性を、一つの文章で浮き彫りにさせる。



「ものじゃなくて、人間です」



私は、握りしめた拳をぶるぶる震わせるしかなかった。

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