3話 引っ越し当日
「ああ、それは私の部屋に入れといてくれる?」
「はい、分かりました」
雑多な本と音楽のアルバム、ポスターなどが入っている段ボールをセンパイの部屋に置いて、俺は周りを見回す。
センパイと本当に一緒に暮らすことになるなんて、未だに実感が湧かなかった。
ラブホで言われたあのおぼろげな言葉が、ここまで現実味を浴びるなんて。
「まあ、いいっか」
どのみち、俺も悪くないだろうと思って決断したことだ。いや、決断という表現は大げさかもしれない。
これは、単なる流れだ。前に同期の告白を断ったのと同じな、自然な流れ。
「ありがとう、コウハイ君。大体片付いてきたわね」
「ですね」
二人で住むにはうってつけな2LDKの家。そこまで広くはないし日当たりも悪いけど、特に不満はなかった。
なにせ、センパイがこの家を見た途端に、この物件で契約したいと強く言ってたのだ。
特にこれといったこだわりのない俺はすんなり頷き、気が付けばこうして段ボールを運んでいた。そして、俺の隣には未だにセンパイがいる。
簡素な半袖の白いTシャツ。警戒心の欠片もない短パンに、赤みがかっている長い黒髪。赤い目。
どこぞのモデルよりも綺麗なその美人さんは、俺に振り返ってからはにかむ。
「夕飯どうする?出前取る?」
「……ああ」
そういえば、これからは食事も一緒に取らなきゃか。いや、特にルールとかはないからどうでもいいんだけれども。
「お金ないので、大人しくファミレスにでも行きましょうか」
「あはっ、急に現実的になったな~~まあ、お金ないのは私も一緒だし、そうしようか」
ファミレスで夕飯を食べている途中でも、俺たちの間にはこれといった会話はなかった。
いつものような沈黙。でも、窮屈ではない静寂。
センパイはパスタの麵をすすって、俺はオムライスをモグモグする。たったそれだけの風景。
時間が重なれば、このモノクロにも何か色が添えられるだろうか。そんなことを思いながら、俺たちは食事を終えた。
荷物も大体片付けて掃除も終えると、特にやることがなくなる。
自然と夜になったので、俺たちはそれぞれの部屋に行くことにした。
「じゃ、おやすみ」
「はい、センパイも」
挨拶を終えて自分の部屋に戻ると、ちょっとした違和感を抱いてしまう。
本当にこの部屋で2年も住むんだなって考えると、なんとも言えない感情が湧く。俺は大人しくベッドに入って、目をつぶった。
「………ヤバいな」
ぽろりとそんな言葉が出て、俺は苦笑する。
もっと現実的に考えるべきだったのか……?いや、一緒に住むって決めてから引っ越しまで本当にとんとん拍子だったから、あまり考える暇もなかった。
でも、まあ。これが俺という人間で、これが俺たちの関係なんだろう。そんな風に決めつけて、目を閉じようとした瞬間。
『コウハイ君、寝てる?』
急に、壁の向こうからボソッとした声が聞えてきて、とっさに目を開けてしまう。
「…………………壁薄いな、この家」
『壁薄いね、この家』
「えっ、聞こえてるんですか?」
『ある程度は?私の声、聞こえる?』
「バッチリ聞こえてますよ。って……え?なんで?」
いくら壁が薄いと言っても、独り言まで拾えられるもんなのか?
首を傾げていると、センパイの声が聞えてくる。
『たぶん、お互いの距離が近いからじゃないかな。ほら、コウハイ君のベッド、すぐ壁際だし』
「ああ……確かに」
納得していると、向こうからまたとんでもない言葉が投げられてきた。
『ねぇ、今から夜這いに行ってもいい?』
「………………………………………」
予め聞いてくるなんて、ずいぶん親切なセンパイだなと思いつつ。
俺は、人差し指で頬を掻いてから言う。
「センパイが来たければ、来てもいいですよ」
『ああ~~また私に選択を丸投げしてる。たまにはコウハイ君からも襲ってよ~』
「ええ~~野郎の夜這いなんてキショくないですか?」
『あはっ、それもそうだね。コウハイ君に襲われたら、たぶんビックリしちゃうかも』
「襲いませんよ。たぶん襲いませんから、ご安心を」
『へぇ、セフレなのに?』
「セフレなのに」
……というか、この家本当に壁薄くないか?設計ミスにもほどがあるだろ、これは。築年数も浅いのに。
『コウハイ君』
「はい」
『明日はエッチしようね』
「……明後日会社なのに?」
『明後日の私たちがなんとかしてくれるでしょ、きっと』
「あはっ」
まあ、ちゃらんぽらんな流れだけど別にいいだろう。そもそもお互い、そこまで真面目な何かを望んではいないし。
そう思ってまた目を閉じようとしたところ、急に向こうの壁から物音がした。足音が聞えて、ドアが開く音が聞こえて。
ビックリして上半身を起こしたら、センパイはノックもなしに俺の部屋のドアを開けて、中に入ってくる。
「やぁ」
「………あれ?」
「明日になったよ?」
「え?」
目を丸くしながら、机に置かれているスマホを確かめる。
画面には確かに0:01という数字が刻まれていて……俺はぷふっと噴き出してから、得意げに腕を組んでいるセンパイを見つめた。
「ウソつきですよね、センパイって」
「ええ~~なんで?」
「いかにも日が昇ってからエッチする感じだったのに、誤魔化したじゃないですか」
「あはっ、私は日が昇ってからエッチしてもいいんだよ?」
「………ふぅ」
ため息をついてから、俺はスマホを机に置いて両腕を広げて見せる。
センパイはたまらないと言わんばかりにクスクス笑ってから、首を振って見せた。
「本当チョロいよね、コウハイ君って」
「……今すぐ部屋に戻ってください」
「ああ~~分かった。分かりましたよ、はいはい」
センパイはそのまま俺に抱きつく……んじゃなく、先に俺の胸板をチクチクつついてから言う。
「約束は守るからね」
「なんの約束ですか?」
「この穴、大きくしてあげるって約束」
「…………………」
酷いことを言うな、と思いながらも俺はセンパイを抱いて、キスをする。
部屋は、相変わらず暗かった。
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