30.5

「――はっ!」


 目を覚ますと、俺は猫用ベッドで横になっていた。だが頭が上手く働かず、とりあえず腕に爪をたててみる。


『痛みがある。……今度こそ現実か』


 帰宅したのは昼過ぎだったにもかかわらず、既に陽が落ち始めている。更に二階堂は姿を消しており、代わりにレイが不安げな表情で寄り添っていた。しかし目が合うや否や、頭突きを繰り出される。


「うおっ――!?」

「ニャー!! ニャアーニャ、ニャンニャニャン!?」

「……ああ。心配かけてすまなかった」

「ン!」


 頭を下げると、レイはぶっきらぼうに返事をしつつ尻尾を振る。そんな彼女の後ろには、件の猫が隠れていた。毛並みを整えてもらったのか、発見時よりも艶が出ている。


「起きていたのか。調子はどうだ?」

「……」

「言葉が通じていないのか?」


 二階堂のことは気掛かりだが、ひとまずこの猫の正体が知りたい。だが存外手強く、目を合わせようとしては背を向けられる。


「ふむ、ならば――」

「!」


 直接訴えかけようと、手を伸ばした矢先。彼、あるいは彼女は耳を平たくし、キャットタワーの頂上に逃げてしまった。


「ニャニャ!」

「すまんレイ、手を離してくれ。俺は今あいつと話を――」

「ニャンニャ! ニャニャー!」

「……もしかして、引き止めているのか?」

「ン!」


 俺が座ると、レイの拘束が緩む。しかし完全に手を離すことはなく、抱擁のような形で動かなくなった。唐突に子猫の習性でも表れたのだろうか。疑問に思いながらも彼女の背に手を回すと、レイは軽く咳払いをして俺を見上げる。


「パパ! レディーに声をかけるときは、もっとやさしくするんだニャ!」

「……は!?」


 まさに青天の霹靂。幻聴の可能性も視野に入れようとしたが、彼女の反応を見るにらしい。唖然と口を開けていると、レイは満面の笑みで尻尾を振った。


 咄嗟に声をせき止めるのは、動揺か喜びか。だがおかげで言葉は纏まり、俺はありがちな問いかけをする。


「レイ、お前……いつの間に話せるようになったんだ?」

「とうかが帰ったらしゃべれるようになったニャ!」

「……そうか。ともあれ、会話が出来るのは助かる。早速奴について、幾つか聞きたいのだが――」

「パパのばか!」

「な――どうした急に」

「あたしのこと、気にしてくれニャいの!?」

「!」


 「そうだ、俺は――」。ぶつけられた怒りに、深く頭を下げる。


「……すまん」

「ん!」


 両前脚を広げるレイに、今度は俺から歩み寄る。――“仲直りのハグ”。それは前世で幾度となく行われてきた、家族に伝わるまじないだった。


「……えへへ」


 レイは目尻に涙を滲ませると、顔を俺の毛皮にうずめる。語尾から猫が抜けていないあたり、完全に生前の記憶が戻ったかは怪しい。性格が変わっていないのが、せめてもの救いだ。


『……ようやく娘として再会できたんだな』


 抱きしめ続けていると、レイは不意に素っ気なく離れる。


「ん、もうまんぞくしたニャ」

「何だ、随分と気まぐれだな」

「“女子は少しワガママなほうがかわいい”って、お姉ちゃんが言ってたニャ」


 甘えたいのか甘えたくないのか。「年頃の娘はよく分からん」と腕を組んでいると、レイはマイペースに話を始める。


「それより、あの子なんだけどニャ。なんでか分からニャいけど、一緒にいると楽しくなるニャ」

「ほう。遊んだり話したりしたのか?」

「ううん。くっついてただけニャ」

「……?」


 「ちょっと待っててニャ」と、キャットタワーを軽々登っていくレイ。そこで何やら話をしたかと思うと、件の猫を連れて戻ってきた。相変わらずそれは背後に隠れているが、レイは構わず俺の手を引く。


「ほら、パパもくっついてみるニャ」

「あ、ああ。……構わんか?」

「……ナー」


 承諾を得て、柔らかな毛皮に寄り添う。するとレイの言う通り、瞬く間に気分が高揚する――ことはなく。代わりに、身体の芯から温まるような安心感が湧いてきた。


『ほう、確かに……不思議と心が穏やかになる。さながら、家族と抱擁を交わした時のようだ。……だが、それとは異なるも感じる』


 目を閉じ、違和感の正体を探る。すると、気の所為ともとれるほど漠然とした感情が浮かんだ。


『これは……不安と戸惑いだろうか。俺は何故、彼女にこれほど複雑な思いを抱くんだ?』


 レイの所感といい、この猫に何か隠されているのは明白である。――「触れる面積が増えれば、得られる情報も比例するだろうか」。そう考え両脚を伸ばすが、しびれを切らしたレイが俺を引っ張る。


「どうだったニャ?」

「そうだな。お前の言う通り、不自然な感覚がした。……お前はどうだ?」

「ナ?」

「お前だお前」


 前脚を向けるも、件の猫はあくびをするばかり。呆れていると、レイがやれやれと首を振る。


「どっちのことを言ってるか分からなくなってるみたいニャ」

「やはり名が無いと不便だな。ふむ……名無し、ノーネーム……。よし、ひとまずお前を“エマ”と呼ぼう。異論はあるか?」

「ンニ」

「そうか。では改めてよろしく頼むぞ、エマ」


 片脚を差し出すと、彼女は目を細めて肉球を重ねた。

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