第30話 コンダクション・オブ・マインド

 目の前にいる人間は、どうやら人間の皮を被った女神らしい。我ながら認知機能を疑うも、どうにか言葉を紡ぎ出す。


「そうか。ならばあの時感じた強大な力は、お前のものだった訳だ」

「あの時? ……二人で、柳の森にお散歩に行ったときのことかな。そう、私のだよ。普段は抑えてるけど、気が抜けると漏れちゃうの」


 「あの時はわざとではないのか?」。と率直に訊きそうになったが、更なる核心に触れるべく腹を据える。


「……お前は敵なのか?」

「ううん」

「何故人間のフリをしている?」

「私も転生して、人間と友達になってみたかったから」

「――ならば何故! 何故琴音をあんな目に遭わせた! どうしてお前は平然としていられる!!」


 怒りは無意識のうちに、テーブルを殴りつける。その衝撃でグラスが大きく音を立てたのだが、彼女は飄々としたまま口を開く。


「勉強中だから」

「は……?」

「ヨスガも好きだと思う。「分からないものを識って、自分の糧にする」こと。それと同じ」

「何を……言っている?」


 謝罪も無ければ釈明もない。代わりに押し付けられたのは、エゴの塊だった。呑み込めずに絶句していると、彼女は琴音の机を見やる。


「私は神様だけど、全部を識っている訳じゃない。人間がその最たる例。単純で、複雑で……そして、面白い。だから私は手始めに、貴方と貴方の家族でしてみることにしたの」

「っ――! 貴様はそんなくだらない理由で琴音を巻き込んだのか!!」

「どうして……? 貴方なら理解してくれると思ったのに」


 頭が混乱している。酷い動悸に目眩がする。理解出来ない理解したくない。しかし二階堂スティエラは、恍惚とした表情で語り続ける。


「私はこれから、100年くらいかけて“人間”を学ぶの。何を食べて喜び、どれくらい怪我をしたら死んでしまうのか。老いとはどんな感覚なのか、そして……愛とは何なのか。それら全てを識るために、貴方の家族を分断させてもらった。私を信仰していた人間の中で、貴方が一番美味しい魚をくれたから」

「!? ……そん、な――」


 「くだらない理由で、俺達は」。たまたま手に当たったクジを引くように、気まぐれに選ばれたのか。だが、その切っ掛けを作ったのは――


「全て……転生から今に至るまで。その何もかもが、俺のせいだったというのか?」

「うん。けど、第二の生を得られて嬉しいでしょう? ――だって貴方、生前よりもずっと生き生きしてる」

「!」


 ああ。 またこの感覚 が

   そう か 目の色 がかわっ た

      あいつ  目 み  る    な

         …こと ね …… 


 圧倒的な力に項垂れた瞬間。かんざしに付いた白い花が、視界にちらつく。


『そうだ、俺は――こんなところで、屈する訳にはいかない!』


 ありったけの力を脚に込め、後方に飛び距離をとる。すると幾ばくか息苦しさは減り、思考も巡るようになった。


「はあ、はあ……っ」

「情報が一度にたくさん流れてきて苦しい? だったら、少し寝たほうがいい。人間って、寝ている間に記憶が定着するみたいだから。……今は猫だけど、多分原理は変わらない」


 「あの猫も被害者か?」「何故記憶を半端に残す!」「生命を弄んで楽しいか!?」。詰問事項は山ほどあれど、浅い呼吸に呂律は回らず。


「く……っ」


 せめてもの抵抗として伸ばされた手を払い除け、そのまま床に倒れ込んだ。


◇◇◇


 久しぶりに夢を見た。猫になる前……妻子と食卓を囲んだ、最後の記憶のリロードだ。どれくらいか振りに得られた、家族水入らずの時間。あの日は誰かの誕生日で、テーブルは誰かの好物で溢れていた。


 外では月が煌々と、内では暖炉が揺ら揺らと。これが嵐の前の静けさと知らぬ家族は、皆口もとに笑みを浮かべている。


 そして俺も同様に、ぎこちなく口角を上げ生誕を祝う。


『誕生日おめでとう。お前もとうとう――歳になったのか』


 “レディーにそんなこと言うのはしつれいなんだよ!”。横から忠告を受けながら、リボンを巻いた小さな箱を眼前の家族に渡す。


『生まれ年のワインがあるのに、今更慎む必要はないだろう』


 至極真っ当な指摘をすると、“ありがとう。これ、ずっと欲しかったの”という声が正面から聞こえてきた。いそいそと動く手は早速ブローチを胸につけ、照れくさそうに俺の反応を窺っている。


『ああ。似合っているぞ』


 とは言ったものの。キャンドルに照らされているはずの彼女の表情を、俺は認識出来ていない。すると口からは、自然と言葉が零れる。


『こっちへ。……顔を見せてくれないか』


 しかし普段言わない台詞が故か、彼女は首を傾げたまま動かない。ならば自分から近寄るしかない。彼女の輪郭をなぞろうと、おもむろに手を伸ばす。


「くっ……! あともう少し――」


 夢はテーブルとの距離を曖昧にし、彼女を遠ざける。だがこちらも負けずと立ち上がり、身体を倒して食らいつく。


 そして、いよいよ彼女の髪に触れた時。――映像は、ぷっつりと途絶えた。

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