17.5
時刻は、大半の人間が眠りにつく頃。いつものように猫用ベッドで船を漕いでいたら、突如として床が大きく揺れ動いたのだ。
「!? 何だ、この揺れは……!」
暗闇の中、ゆらゆらと身体が揺らぐ。すると琴音も目を覚ましたらしく、緊張感のない声が聞こえてきた。
「ん〜……どうしたの、ヨスガ?」
「早く起きろ! 敵襲だ!」
「ティッシュ……? テーブルの上にあるよ……むにゃ……」
「ふざけたこと抜かしている場合か!」
声を飛ばすも反応は鈍く、肩を叩くと、ようやく寝ぼけ眼で起き上がった。そしてスマホを開いたかと思うと、おもむろに画面を見せつけてくる。そこには地図が描かれており、“最大震度3”と黄色く表示されていた。
「ふあぁ……。大丈夫、ただの地震だよ〜」
「……地震?」
「そ。ヨスガの国には無かった?」
「いや、あることにはあったが……これほどまでに大きなものは体験したことがない」
落ち着いているが、家屋が倒壊する恐れはないのだろうか。尻尾を巻いていると、琴音の穏やかな声が届く。
「そっかそっか。……ねえ、ヨスガ」
「どうかしたか?」
「こっちおいで。一緒に寝よ?」
「……仕方あるまい。有事の際は俺を盾にしろ」
苦しい言い訳をし、琴音の隣に横になる。
「ふふっ……その時は一緒に逃げようね。おやすみ、ヨスガ」
「……ああ、お休み。無理矢理起こしてすまなかった」
寝息をたてる彼女につられ、目蓋はゆっくりと重くなる。
胴に伸びる彼女の腕は、揺れがおさまってもなお、離れることはなかった。
◇◇◇
また少し時は経ち、雨が降りしきる季節となった。気温は低く、されど蒸し暑い。そして何処か息苦しいため、何をするにも億劫になっていた。幸いにも仕事もないため、今日も今日とて琴音の部屋に閉じ籠もる。
『未だ晴天は来ず、か。……こうも出られぬ日が続くと、我にもなく鬱屈した気分になるな』
最後に外出したのはいつだろうか。日光を拝む時間は次第に減り、今では室内灯を浴びる時間の方が長くなってしまった。せめて視覚の変化を得るべく煙る窓を眺めていると、疲労を乗せた声がドアを開ける。
「ふぅ……。ただいま〜」
「帰ったか。今日も雨の中ご苦労だった」
「あははっ、ありがと――っくしゅん!」
「ほら、これを使え」
「うう、いつも助かります……!」
琴音はしょっちゅうタオルを忘れる。暫くは静観していたものの、まるで改善する兆しが見られなかったため、いつしか“タオルを用意し部屋で待機”が仕事の一つとなっていた。
「どうした? 早く拭かねば風邪をひくぞ」
「ん〜……何か忘れてる気がして――そうそう、見てこれ!」
そう言うと琴音は、拭いも程々に鞄を漁る。意気揚々と取り出したのは、魚のぬいぐるみを抱く黒猫のキーホルダーだった。
「これは――レイか?」
「当たり! ヨスガのキーホルダーの話したら、同じようにして持ってきてくれたの。2個作ってたみたいだから、1個ヨスガと交換しちゃった」
「ほう、“お揃い”というやつか。早速夢が叶って良かったな」
「えへへ」
照れ笑いを浮かべる琴音に、こちらも目を細めてみせる。――しかし彼女は、存外感知しやすい人間だった。
「……最近ヨスガおとなしいね。何かあった?」
「それは――いや、俺の身体を触ってみれば分かる」
「? じゃあ遠慮なく……って、うわっ! すっごいしっとりしてる……!」
「酷い有り様だろう。これでもケアはしているつもりなんだがな」
長毛種というのは厄介だ。いくら毛を定期的に切り揃えようと、適応外エリアでは短毛種よりも生きにくい。現代でなければ、俺は夏を迎える前に死んでいただろう。
『その点レイは羨ましい。体躯こそ立派ではないが、あの毛量はかなり過ごしやすいはずだ』
一方琴音は暫く腕を組むと、耳馴染みのない言葉を放つ。
「う〜ん……ママに除湿機借りてこようかな」
「“じょしつき”とは何だ?」
「ジメジメした空気をカラッと乾かしてくれる、神アイテムのことだよ」
「空気中の水分を、奪う……? そんなものが存在するのか?」
「ふっふっふ……。まあ、楽しみに待っててくれたまえワトソン君」
「誰だそれは」
こちらの疑問などお構いなしに、琴音は階段を駆け下りる。やがて息を切らし運んできたのは、彼女の
「はあ、はあ……。じゃあ、早速つけるね」
「あ、ああ」
琴音は汗を拭うと、プラグを差し込みボタンを押す。直後耳を疾走したのは、怪物の息が如く生ぬるい風だった。だが――暫く待っていると、空気が乾いていくのが実感できた。
「ほう……これはすごい。心なしか、気分も晴やかになっていくようではないか」
「でしょ? 梅雨明けまで置いておくね」
「助かる。それにしても、“梅雨”とやらはいつまで続くんだ?」
「ん〜、確かあと二週間くらいかかるはず」
「長いな……」
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