14.5

 クッションを敵に見立て、目にも止まらぬ猫パンチを繰り出す。そんなトレーニングを琴音の部屋でこなしていると、疲労に塗れた声がドアを開ける。


「ただいま〜……」

「今日も一日ご苦労だった。ところで、二階堂に接触できたか?」

「それが――」


 おもむろに椅子に座り、琴音は語る。勇気を振り絞り、彼女をランチに誘ったことを。そうしてたどたどしい会話をした結果、今週末に家に招かれることになったと。


 やがて琴音は、全てを話し終えた合図かのように、不安げにクッションを抱きしめる。


「なるほど。随分と急な話だが、進展があって何よりだ」

「うぇぇ……! 他の人のおうちに遊びに行くの初めてだから、どうしたらいいか分かんないよ~!」

「落ち着け。俺も同行しサポートする」

「いいの?」

「当然だ。……確かめたいこともあるからな」


 首を傾げる琴音に、俺は目を閉じ丸まった。


◇◇◇


 残りの平日は矢のように過ぎ去り、瞬く間に約束の日が訪れた。天気、気温ともに恵まれた、絶好の訪問日和。しかし琴音は両手に服を掛けたまま、姿見とにらめっこをしていた。


「こっちがいいかなあ。でも、こっちも捨てがたい……ん〜、迷うー!」

「そろそろ決めないと遅刻するぞ」

「わかってますー!」


 忙しなくスカートとパンツを合わせるも、一向に状況は進展しない。このままでは永遠に終わりそうもないため、痺れを切らしベッドから下りる。


「……もどかしい。俺が決めてやる」

「えっ!?」

「案ずるな。生前は娘の衣装選びに付き合ってきたのだ。むしろ得意分野と言えよう」

「確かに、いい加減時間がヤバいかも……じゃあ、お願い!」

「ああ、任せろ」


 二階堂に与えたいイメージと、琴音のもつ雰囲気をすり合わせ。最後に時計を一瞥し、クローゼットに向き合った。


◇◇◇


「はあ、はあ……っ! ごめんね、ヨスガまで走ってもらっちゃって!」

「構わん。それより案内を頼む」

「うん……っ!」


 俺達は今、全速力で歩道を駆け抜けていた。幸いにも広い道幅に人は少なく、向けられる視線はごく僅か。それでも羞恥心はあるのか、琴音は俯きがちに走っている。


「あとどのくらいだ?」

「ん――っとね、もう少し! 5分もかかんないくらい!」

「分かった」


 駆ける度にガサガサと音を立てる手土産。ボトムスとカーディガンは風を切り、同程度聞こえるは荒い呼吸。本人希望のもと、時間限界までヘアスタイルもこだわってきたのだが、今ではすっかり乱れてしまった。


『それよりも、かなり疲弊しているな。琴音の体力はそれまでもつか――』


 シビアなタイムリミットを憂いた矢先。曲がり角の先に、一本の黒い影が伸びる。


「琴音! 前を見ろ!」

「えっ――」


 声を荒らげるも、静止の声は間に合わず。琴音は飛び出てきた何かに、真正面から衝突した。

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