第35話 軛を逃れし者達
形勢逆転。しかし、油断は禁物。唇を噛む彼女に、淡々と勝負の続きを話す。
「そういえば、先の問いに答えていなかったな。……俺が貴様を警戒していたのは、決して崇拝していたからでも、ましてや試練を待ち望んでいたからでもない」
「……
「そうだ。ちなみに今の貴様には、“神霊封じ”が施されている。その椅子から離れれば解除されるが、少女の肉体では
「くっ……」
出たとこ勝負である以上、威勢を緩めることは許されない。故に俺は、瞬きも惜しんで彼女の動向を見据える。小鳥遊兄弟も同様のことを考えているのか、衣類の擦れすら聞こえてこない。
『……頼む』
心臓が早鐘を打って煩い。「本当にこれで全てが終わるのか」と責め立てるように、脳を拍動でぐらぐらと揺さぶられる。
『頼む……!』
俺が冷や汗をかいている一方で、スティエラは誰を睨むことなく身をよじり、手首を回し。更には腕に力を込めたりと、独り格闘を繰り広げる。
◇◇◇
――そして、数分が経過した頃。彼女は目蓋を閉じ、小さく笑う。
「……うん、私の負け。依代も使えないし、
「! ならば――」
「いいよ。貴方の願い、叶えてあげる」
……ついに。ついに俺は今日この場で、神の
『っ……!』
湧き上がる喜びを噛みしめていると、レイが背中にのしかかる。
「すごいすごい! パパ、ヒーローみたいニャ!」
「フッ、そんな大それたものではない。それに、真の功労者は小鳥遊兄弟だ」
魔法さながらの存在感を放つ、5本の
それは先刻、帰宅時の車内にて明かされた情報。レイ達は俺の手柄のように勘違いしているが、彼はおくびにも出さず目を細めていた。すると代わりに弟が、鼻先をこすって主張する。
「そうだぞ! てかお前も、もっとオレたちに感謝しろよな!」
「無論だ。お前の兄宛てに、後日謝礼の品を贈らせてもらおう。果物で良いか?」
「えっオレは!?」
「……参加賞を加えておくか」
「なっ――!」
「冗談だ」
彼がもう少し大人であれば、本気で猫モの意趣返しをしていただろう。札で軽く叩かれていると、小鳥遊兄が彼の札を回収する。
「まあまあ、みんな頑張ったで良いんじゃないかな」
振り返った先で微笑む、レイとエマ。思わず尻尾を揺らすと、
「私のこと、拘束したままじゃなくていいの?」
「学校から抜け出せた借りを、未だ返していなかっただろう。勝手な判断で悪いが、これで帳消しにさせてもらうぞ」
「そう。けど、もし私が反撃したらどうするの?」
「刺し違えても止めてみせるから安心しろ」
達成感と興奮は、気後れしていた言葉をいとも容易く掬い上げる。「俺はいざとなれば、神を道連れに出来る」と。それは決して冗談ではなかったのだが、彼女は目を丸くした後に笑う。
「ふふっ……。それで、何を叶えればいい? さっき言ってた願いを実現したらいいの?」
「そうだ。琴音の問題と、残る一人の娘の問題。この2つを解決してくれ」
「分かった。貴方がそう言うなら」
スティエラは、膝で丸まる猫を撫でる傍ら話を進める。
「――じゃあ、選んで。彼女を“琴音”として生かすか、“生前の妻”として生かすか」
「……やはり、双方を個として生存させるのは不可能なのか?」
「うん。魂は分割出来ない。選ばれた方は生き、選ばれなかった方は死ぬ。肉体も記憶も、最初から無かったことになる。けどその
振り返り、妻を一瞥する。しかし彼女は閉口したまま、何か言いたげでありながら、俺の回答を待っているようにも見える表情のみ返してきた。
『俺に判断を委ねるべきか迷っているのか? それならば……いや、あるいは――』
僅か数秒の熟考の末、再び前を向く。今から俺が発するのは、彼女の命運だ。
「……よし、分かった。男らしく、堂々と決めてやろう。俺が選ぶのは――」
走馬灯に後ろ髪をひかれながら、決意を告げる。
琴音との思い出。妻との思い出。そして、短いながらもエマとともに過ごした思い出。半年に渡る私情は発した言葉の端々に滲み、時折口を鈍らせる。一方でその間スティエラは、偶像の如く、静かに耳を澄ませていた。
「……というのが、俺が叶えてもらいたい願いだ。今更だが、実現は本当に可能なのか?」
「勿論。それにしても、ヨスガらしい選択だね」
「どうだろうな。案外、転生しなければ得られなかった感情かもしれん」
事実、性格が穏やかになったのか、生前と比べ眉間に皺が寄っていない。せめてその礼だけはするべきだと、自然と頭は深々と垂れる。
「――第二の生を授けていただき、心から感謝申し上げる」
「うん。じゃあ、私からもお礼を言わせて。人間の強さを教えてくれて、ありがとう」
スティエラも俺と同様に、位を他所に頭を下げる。そうして俺は――いや、俺達は。今生の別れに、ただ涙を酌み交わした。
◇◇◇
胸に痛みを残したまま、一日ほどが経過し。辛うじて得られていた微睡みは、突如突き刺さる眩い光に遮られる。
直前の物音からして、レイがカーテンを開けたのだろう。重い目蓋を上げると、案の定はつらつとした彼女に跳び乗られる。
「パパ! 起きるニャ!! 朝ごはんニャ!」
「……ああ、もうそんな時間か」
◇◇◇
レイに先導され、一階のリビングに着く。少し乾燥した、涼やかな空気が漂う部屋。その中に香る一縷のパンの匂いを辿っていくと、テーブルを囲う親子の姿があった。
空いた椅子は、4つのうち2つ。その片方に跳び乗ると、私服姿の彼女は朗らかに笑う。
「ふたりとも、おはよ〜。珍しいね、ヨスガが寝坊するなんて」
「……下ろしたての毛布が心地良くてな。つい寝過ごしてしまった」
「あははっ、猫はこたつで丸くなるって言うもんね。ほらほら、冷めないうちにお肉どーぞ!」
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