第34話 民草は神を愚弄する
生前と変わらない、鈴を転がすような歌声。その美しさに苛立ちも忘れ聴き入っていると、すすり泣きが交わり始める。振り返ると、小鳥遊弟が服の裾を握り涙をこぼしていた。
その傍ら、小鳥遊兄は神妙な顔で独り言ちる。
「これは――子守唄?」
「っ……。ヤバいこれ、何言ってるか分かんねぇのに……ぐすっ。涙がぜんぜん止まんねぇ……!」
「うん。……これほど沁みる唄は初めてだよ」
ハンカチを差し出す兄の手は、空いて早々左の腕を掴んだ。それはまるで「弟の前では弱さを見せない」という意志の表れのようであり、配慮に視線を移す。
『……今に見ていろ』
その先に居た、棒立ちの悪魔を睨みつける。この場で心を打たれていないのは、もはや一人しか居なかった。
◇◇◇
やがて歌い終えると、レイは照れくさそうにヒゲを撫でる。
「ど……どうだったニャ?」
しかしエマは
『まさか、失敗したのか?』
レイも狼狽し、遠巻きに俺を見つめる。だが返す言葉も見つからず、首を垂らしかけた――その矢先。エマはおもむろに顔を上げ、クスクスと微笑んだ。
「ふふっ……その反応、懐かしいわ。レイ――いいえ、シャリー。見つからないと思ったら、こんなところにいたのね」
「! ……ママ?」
「なあに?」
「えっと、その……もう平気ニャ?」
「ええ、もうすっかり元気。シャリーが歌ってくれたおかげよ」
「〜〜〜っ!」
エマは両手を広げ、母を強く抱きしめる。ようやく叶った、親子の再会。大粒の涙を流す彼女は、生前の姿を下意識に甘え始めた。
「ママ! ママ! やっと……やっと会えたニャ!」
「ふふ、くすぐったいわ。あんまり甘えられると、何だかピューレをあげたくなっちゃう」
「そ、それは今はいらないニャ!」
どうやら妻は“エマ”と“琴音”、そして“生前”の記憶をすっかり物にしたらしい。
『まさか、この場でさえ
周囲に目を走らせようとすると、小さな拍手が耳に届く。壁際に置かれた、丸テーブルの隣。スティエラはいつの間にか着席しており、さながら舞台を観に来た観客のようだった。
「良かったね、ヨスガ。……それにしても、本当にこういう奇跡って起きるんだ。次試せるように、覚えておくね」
「次、か。やはり俺達だけでは力不足か?」
「うん。サンプルは多い方がいいって、教科書に書いてあったから」
「……そうか」
もはや怒りすら湧かない。
「ならばスティエラ。俺達と知恵比べをしないか?」
「知恵比べ?」
「俺からも3つ、問いを投げる。全問正解すれば貴様の勝ちという、シンプルなものだ」
「良いけど、私にメリットはあるの?」
食いついた。背後からレイと妻の無言の訴えが刺さるが、構わず切り返す。
「被検体だ」
「!」
「貴様が勝った場合、俺達は、死ぬまで実験とやらに付き合おう。どんな困難な要望だろうと、全て達成してみせる」
「本当に? 痛みも苦しみも恐怖も、最期まで我慢して逃げ出さない?」
「ああ。――さあどうする? 当然、尻尾を巻いて逃げ出しても構わんぞ」
スティエラは僅かに首を傾げ、考える素振りを見せる。「現状半ばコントロール出来ているのに、わざわざ賭けにのる必要はあるのか」と伝えたそうに。
しかし、生物の寿命の短さや脆さを知った彼女が、あえて新しい個体に手を出すだろうか。加えてここは異世界。“知る”を目的としていようと、可能な限りイレギュラーは避けたいはずだ。
すると彼女は、案の定頷く。
「いいよ。その勝負、受けてあげる」
「そうか。では早速始めるぞ、覚悟は良いか?」
「うん」
小鳥遊兄弟や妻子が見守る中、俺はさっさと口火を切る。
「では1つ目。何故俺が、自ら不利な勝負を申し込んだか分かるか?」
「勝って、願いを聞いてほしかったからだと思う。琴音の身体や、まだ見つかってない子供のこと。色々解決してほしいんでしょ?」
「ああ、そうだ。……そこまで
「うん。振り回されてるヨスガが面白かったから」
一度目を伏せ、深呼吸する。
「……2つ目。何故俺が、小鳥遊兄弟が居る場で問答しているか分かるか?」
「ベット数を増やすためだと思う。あの二人がお人好しなのは、昔から知ってる。きっと貴方も、その性質を利用したんでしょ?」
「ああ、そうだ。……そこまで
「うん。疑うことを知らない二人が面白かったから」
彼らは今、どんな表情をしているのだろうか。その相貌を窺うことは出来ないが、一回の浅い呼吸が想像を容易にさせる。
『……次で決める』
目下注視すべきは、眼前の
「――では、最後の問いだ。貴様は女神だが、器は人間そのものらしい。だのに何故、貴様を警戒しているか分かるか?」
「前世で私を崇拝してたからだと思う。いくら私に酷いことされても、簡単に私を捨てられない人はたくさん見てきた。だから貴方は、いつ“試練”が飛んでくるか身構えてるんでしょ?」
「……」
「どうしたの? 早く合ってるか教え」
「撃て!!」
スティエラの足もとから伸びた、5本の
「……。これ、どういうつもり?」
「さしずめ、“神への謀反”といったところだ」
「私を騙したの?」
「いや、契約通りだ。最後の問いは不正解だったからな」
不服を露わにするスティエラ。その視線は小鳥遊兄弟に向かったが、彼らは揃って手にした札で目を遮っている。
「……そう。そっちがその気なら」
「!」
スティエラは目蓋を閉じ、ガックリと脱力の姿勢をとる。すると一匹の猫が壺の中から飛び出し、彼女の膝目掛けて跳躍した。
……しかし。
「な――……どうして、力が使えないの?」
スティエラは突如、息を吹き返したかのように目を見開く。恐らく、猫が膝の上で毛づくろいを開始したからだろう。
「意趣返しだ。やられっぱなしでは気分が悪いからな」
「そん、な――。……貴方たち、私に何をしたの!?」
声を荒らげるスティエラ。しかして俺は、神を愚弄した背徳感に満たされていた。
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