第33話 神は民草を弄ぶ

 院内でのやり取りを含め、全ての行動を監視していたと言わんばかりの微笑み。俺の口伝とはいえ実体がバレてしまったからか、正体を隠す素振りは見えない。


「所詮俺達は実験動物という訳か。とんだ女神――いや、悪魔だな」

「都合が悪いことは何でも悪魔のせいにするの、本当だったんだ。聞かせてくれてありがとう」

「クソっ、とことん神経を逆撫でしてくれる」


 だが今は、苛立つ時間すら惜しい。エマを背に乗せ、4本の脚で床を踏みしめる。


「……エマ、家に帰って休もう。ここでは邪魔が入る」

「ン、ナ……? ――イエニ、帰ル。そうダよ、家に帰らナきゃ」

「エマ?」

「アノ子たちが待ってる。タクさんバイトして、お母さんトご飯食べさせないと……」


 滑り落ちるように背中を下りた彼女。おぼつかない足取りでドアへ向かう様は、およそ正気とは思えない。


「待てエマ! 何処に行くつもりだ!」

「エマ……? うっ……違う、ワタシは――私、は……!!」


 頭を抱えるエマは、悲鳴ともつかぬ声を上げて苦しむ。赤子ほどの小さな身体に、どれだけの哀傷を抱えていたのだろう。それら一切を吐き出さんとする叫びは聞く者の足を止め、手を差し伸べることを許さない。


「――しっかりするニャ!」


 渦中、真っ先に駆け寄ったのはレイだった。彼女は意に介さずエマを抱きしめ、真っ向から想いを受け止める。


「大丈夫ニャ、あたしはそばにいるニャ」

「ナ、ア……ガ……!」


 牙を剥くエマ、目蓋を閉じるレイ。その攻防は長く続くかと思われたが、逆立っていたエマの毛はゆっくりと戻り。やがてレイが微笑む頃には、彼女の心も凪いでいた。



『しかし何故、このタイミングで彼女の声を聞こえるようにした? エマの正体は琴音ではないのか?』


 だからこそ俺はエマを連れ、病院を訪れた。事実琴音は、僅かに反応を見せた。……その前提すら、覆されるというのか?


 俺が顔をしかめる背後では、小鳥遊兄弟が何やら話し合っている。恐らく彼らにも、エマの言葉がのだろう。


 閉口していると、スティエラは待ちくたびれたと言いたげに小さな息を吐く。


「ヨスガに問題。どうして、この子の声が突然みんなに聞こえたと思う?」

「……貴様がそうなるよう手を加えたからだろう」

「半分正解。じゃあ、次の問題。この子は誰に会おうとしていると思う?」

「知らん。貴様と問答している暇はない」


 エマを一瞥し、目を逸らしたまま無愛想に答える。すると態度が気に障ったのか、嘲るような声色が耳を刺す。


「なら、最後の問題。この子の台詞は、彼女の記憶から引用したもの。なのに貴方に心当たりがあるのは、何故だと思う?」

「……それは、彼女がこと――」

「本当に? もう一度、彼女の言葉を思い出してみて」


 癪に障るが、言われた通りにエマの台詞を再生する。


『……確かに。琴音にしては、やけに大人びた台詞が混ざっている。だが、彼女以外に俺と接点があった人間など――』


 神の粋な計らいか。脳裏にふと、一人の人間が描かれる。生前の俺と同じ、青い髪にピンクの瞳をもつ女。彼女は俺と目が合うと、花が咲いたように笑ってみせた。


「まさ、か――」

「パパ! 大丈夫ニャ!?」

「ああ。……心境は穏やかではないがな」


 頭が揺れ、身体が傾く。眼前の女神は、こうも容易くモラルを蹂躙するか。


『“琴音”としての自我を15年育ませ、俺と接点を持たせたところで、生前の記憶を蘇らせるとはな。それも……俺と同じ、猫になった状態で!』


 抑えきれない怒りが、空気を震わせスティエラに歯向かう。


「選ばれなかった方の肉体はどうなる? その責任も、何もかも――全てのエゴを彼女に押し付けるつもりか!!」

「ふふっ、やっと分かってくれた? あの子の正体。今どんな気持ちなのか、是非とも教えてほしいな。感想文を書いてくれたら、もっと嬉しい」


 まるで話にならない。いくら吼えようと、悪魔の糧になるだけなのか。


『――だが、屈するは真の死。たとえ刺し違えようと、今度こそ彼女らを救ってみせる』


 小鳥遊兄弟に目配せをし、やって来たレイに小声で問いかける。


「……レイ、エマの様子はどうだ?」

「今は落ち着いてるニャ。でも、すごく不安そうで……また暴れちゃいそうニャ」

「そうか。……少し、耳を貸してくれるか」

「ニャ?」


 あるいは、スティエラが傍受しているかもしれない。それでも俺は、レイに作戦を囁く。


「うん。……うん、覚えてるニャ。でも――」

「頼む。これはお前にしか任せられない」

「……分かったニャ!」


 レイは力強く頷き、うずくまるエマに手を添える。そして深く息を吸い込み、おもむろに口を開いた。


「――Peels眠れPeels眠れ,Ybabym愛しい子.Seyeraelc澄んだ瞳にTniapmaerd夢を描いて,Riaheulb青き髪にSgnisselb祝福をのせて


 レイが紡ぎ始めた言葉。それは生前、妻が娘に毎日聴かせていた子守唄だった。

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