第9話 幕間 『紅き月の姫君と白毛の獣』
洸太郎が〝こちら側〟に来て約一時間ほど経った後。
闇に包まれた高天原学園の教室に光が満ちる。
その光はこの世界にまたも生け贄が舞い込んでしまった事を意味していた。
「―――――ここ、は?」
そう呟く
薄暗く、周りには瘴気が立ち込めており戦闘用の装備が無ければ退魔士である自分といえど長くは保ちそうになかった。
こんな場所にあの能天気で掴みどころのない
「全く―――――あの人は一体どこに」
ふと、自分の腕に付けていた時計のようなデバイスへ話し始める。
「こちら紅月です――――こちらの声は届いてますでしょうか?」
『ええ感じやで。輝夜ちゃんの声もそっちの映像もよう映ってるわ』
小さいが立体映像と共に魔科學部技術顧問のアイリスが浮かび上がる。
満足げな表情のアイリスとその後ろには正反対の表情をした玄蔵所長もいた。
『せやけどこれはまたエライ数値が出とるね。瘴気の基準値が予測よりも遥かにオーバーしとる………………九鬼君も輝夜ちゃんと同じ祓衣を装備しとるから大丈夫やと思うけど、長居は無用やね』
デバイスの向こう側、つまりアウローラの司令部では周囲のサポートメンバー達が慌しく動いているのが分かった。
それほど今の自分達が置かれている状況は好ましいモノではない事が伺える。
「とにかく、私は先輩を発見し次第すぐに連絡をします。あと〝例のモノ〟も直ぐに渡しておきます」
『こっちに来て早々に色々と厄介事ばっかりやけど頼むわな~』
一度連絡を切ると輝夜は深いため息をつく。
『集団神隠し』の事件は前に所属していた機関でも話題にはなっていたが、色々と厄介なのは想定外だった。
この場所に来る前の事を少し思い出す。
洸太郎が天井に描かれていた〝魔法陣〟に触れたと同時に姿を消した。
そして、それから間を置かず輝夜のスマホにアウローラから連絡が来たのだ。
相手は幼女の姿をした技術顧問のアイリスでおっとりとした京都弁が特徴的な謎の少女。
そんな彼女の第一声が、
『ごめんな輝夜ちゃん。それには触れんように九鬼君にすぐ伝えてくれん?』
だった。
遅すぎる忠告―――――ではないが、これに関しては迂闊に手を出した洸太郎が悪い。
すでに手遅れだという事とたった今、目の前で起きた事をアイリスに伝える。
しばらく唸るような、呆れるような声が聴こえたが輝夜にはどうしようも出来ないのが現状だった。
『まぁ、九鬼君の場合は後先考えんっていうのか、そう言う性格なんを伝えんかったウチが悪かったわ…………その魔法陣はな、多少のアレンジは加えられてるけど神託を司る様式の魔法陣なんよ』
「神託、ですか?」
神託とは確か神からの啓示を聴くモノだったはず。
それが何故、普通の教室の天井に描かれていたのか?
輝夜には理解は出来なかったが、これを描いた人物は何か目的の為にこれを描いたのだ。
だが、そうなると別の問題が輝夜の脳裏を過る。
「神託を降ろす為のモノ―――――だとすればどうして先輩はこれを起動する事が出来たのでしょうか? 先輩は神道系の退魔士だとか?」
輝夜に同じ事をしろと言われればまず無理だと即答出来る。
系統が違う術式の発動は難しいと通り越して不可能に近い。
例えるならば、
医学の本を見ながら車の修理業者が人体の手術を行うのが不可能のように。
取扱説明書を見ながら医者が車を修理を行うのが不可能のように。
だが、輝夜が想像していた答えを遥かに上回る解答が告げられる。
『いや違うんよ。九鬼君の場合は多少の誤差はあれど術式をそのまま術式を再現しよるねん。しかも何となく感覚でやってのけるから末恐ろしいモンやね』
耳を疑った。
術式を再現?
そんな事が可能なのだろうか?
輝夜が絶句しているとスピーカーの向こうからアイリスの声が続けられる。
『とにかくや、今至急ウチの
「ちょっ、ちょっと待ってください! 先輩は応援を呼ぶようにと――――――」
ただでさえ輝夜はアウローラに来ては早々の初任務。
洸太郎と上手く連係出来るかも怪しい。
しかしそんな輝夜の心情を無視するかのように現実は甘くはなかった。
『ごめんやで輝夜ちゃん―――――今こっちは大規模な『百鬼夜行』が各所に同時発生して全員出払ってる状態なんよ。本来はサポート役である澪奈ちゃんでさえ個人的に動いてくれとるんや………………この意味分かる?』
絶句。
アイリスの言っている『百鬼夜行』とは大量の怪異が人に害を及ぼす自然災害の名称だ。
しかもそれが〝大規模〟で〝各所に同時発生〟となると一人二人の退魔士だけでは対処出来ない。
最低でも対応には十人ほどは必要だと教えられた事がある。
輝夜が愕然としていると、それを感じ取ったアイリスは少し物腰の柔らかい声になった。
『心配せんでも大丈夫やで。輝夜ちゃんには頼れる先輩がおる―――――確かに応援は出されへんけど、九鬼君ならやってくれる。だから安心して輝夜ちゃんは自分の出来る事をやればええ』
「頼れる先輩――――――か」
正直、まだ輝夜は九鬼洸太郎という少年をあまり知らない。
なぜか『冠位階梯』の一人である神代澪奈や技術顧問のアイリスには信頼されているようだが、彼は術式刻印が他よりも少ない『劣等術士』なのだ。
そんな洸太郎の噂は前の組織でも聞いていたし、実際に会った時に自分の〝眼〟を見ても何も分かっていなかったほどに―――――――。
「ですが、現状を嘆いていても仕方がないですね」
今自分に出来る事、現状の把握とそれの対処をしていくしかない。
そう思いながら輝夜はとりあえず教室を出ようと扉を開け、
「――――――――――えっ?」
目の前には不思議な生物がいた。
燕尾服に片目には
しかしその白い体毛に付着している赤い染みが不気味さを際立たせていた。
まるで不思議な国に迷い込んだ感覚。
しかしそれが〝敵〟だと認識するのに時間は掛からなかった。
輝夜は素早く自身の刻印に力を込める。
汎用ではなく、
「
魔法陣が描かれ、凶器が顕現する。
洸太郎が扱っていた汎用退魔式迎撃武装とは違った武器。
棒状の黒い取っ手から三日月のように紅蓮の刃が伸びる。
見ようによっては死神が持つような、禍々しい姿の
「
輝夜の声に応えるように彼女だけの固有武装が展開された。
それは彼女が全力を出す為の専用武装。
優雅に振り回す紅蓮の刃は風を斬りながらウサギの命を刈り取るが如く一閃する。
獣の本能なのか、刃から滲み出る畏怖を感じ取ったウサギは一気に後ろへ後退した。
そして、距離を開けウサギは自分のもふっとした手で輝夜を囲うように輪を作った。
それは、洸太郎が幾度も喰らい続けた怪異の能力。
不可視の力で対象の肉を抉り取る不可解な
ここへ来たばかりの輝夜は知らない。
そもそも、彼女は洸太郎のように万全の準備を行って現場へ来ていない。
どこか、自分なら大丈夫だろという慢心。
それが彼女の油断で怠慢。
一秒も満たない時間で彼女は肉片へと化す。
それが分かっていたウサギは嗤った。
これで、
これで帰れる―――――と。
ゴギュッッッッッッ!!
肉が削れる鈍い音が響く。
攻撃を受けた、そう輝夜が思った時には全てが手遅れだった。
目を強く閉じるが襲ってくるはずだった痛みはない。
ゆっくりと目を開ける。
すると、
「ったく、先輩命令を無視するダメな後輩は後で説教な。―――――大丈夫か? 紅月」
目の前に少年が立っていた。
自分を助ける為に壁となって立ち憚るように。
振り向く事はなかったが、自分の無事を確信した
「さぁ、
そう高らかに宣言した洸太郎は銃口をウサギへと突き付ける。
血と腐敗が立ち込める異界にて怪異と退魔士達が対峙し、そして―――――。
黒と白が衝突する。
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