第29話 聖人様? 【衛士side】

【とある衛士の視点】


 数日前から数匹のゴブリンが王都内で確認されていた。しかし、大量に地下道から地上に上がってきたのは昨夜の事だった。


 地下道を調査していた冒険者達が泡を食った様に地上に出て来ると、それを追いかける様にゴブリンが大量に地上に這い出てきたと聞いている。


 当初は騎士団や衛士隊で抑えていたが、王都のあちらこちらでゴブリンが現れ始めると、騎士団や衛士隊では対応しきれなくなっていった。


 衛士隊は非番の者もかき集められ、市民の避難誘導を行い、堅固な市庁舎や教会などに誘導した。夜間の避難では逃げ遅れた者も多数いたと思われる。


 俺の所属する分隊は、教会の守備を任された。十人いればゴブリンなど怖くはないと初めは思っていたが、考えが甘かった。


 初めのうちはゴブリンがまばらに襲って来る程度だったが、時間が経つに連れてゴブリンが集まり始めてしまった。


 ゴブリンを倒しても、仲間を呼ばれて数が減らない。と言うか増えていく一方だった。


 俺達の分隊が弱いとは思わない。それでも数の暴力には抗えず、一人、二人と傷付いていく。深手を負った仲間を門の中へ押し込める。仲間七人が傷付き倒れ、俺を含めた残る三人は死を覚悟するしかない状況になっていった。


「アンドレ、お前は逃げていいぞ。子供が生まれたばかりなんだから」


「ハハ、逃げれませんよ。教会にその子供がいるんです。分隊長こそ来週結婚式じゃないですか」


「バカッ! 今それを言っちまったら死亡フラグ確定じゃねえか! ハンスお前は……いや、何でもない」


「どうせ振られたばかりの俺に、守るものなんて無いですッ! 分隊長、今夜も焼け酒に付き合って貰いますよ!」


 死神に首元を掴まれた俺達に今夜の酒に有りつけるかは分からない。


「チッ、また増えやがった」


 新たに三匹が集まりその数はニ十匹となる。切りがつかない連戦に心が折れそうになる、そんな時だった。


 赤い長い髪の毛が目の前で舞う。赤い鎧が陽の光に輝いて見えたその刹那、白銀の剣が横薙ぎをし、三匹のゴブリンの腹から血飛沫が舞った。彼女は……。


「アイシャ様だ!」


 王国騎士団十翼剣将の一人。紅翼の天女アイシャ・ライフォート様。豪剣にして神速の剣の使い手だ。


「アイシャ様が来てくれた!」


「アイシャ様ぁぁぁ!」


 アンドレとハンスも女神様と見紛うばかりの美しさとその雄姿に目を輝かせた。


 神速の連撃で更に三匹のゴブリンが細切れになる。


 俺はアンドレとハンスに目配せすると、二人は頷いた。やるべき事は分かっているようだ。俺達がやるべき事はアイシャ様との共闘ではない。横合いから出て来ようとするゴブリンの牽制だ。


 アイシャ様が剣を振るう度に揺れ動くブレストアーマーに目が奪われそうになる。ハンスの野郎は鼻の下を伸ばして見てやがる。


 その時だ。右手後方のゴブリンの群れから鮮血が上がった。何が起きた? 更には左側からも鮮血が上がる。気づけばあれだけいたゴブリンは残り三匹になっている。


「ディメンションブレイカー!」


 後方から走りながら見知らぬ技を繰り出す黒髪の少年。アイシャ様も一匹倒し、残り一匹。


「ディメンションランス!」


 少年が右手をかざすと、逃げ出していたゴブリンの背中に大穴があき、最後の一匹も倒れた。今のは魔法か? 全く何をしたのか見えなかった。俺の知る魔法にあんな魔法は無い。この少年はいったい何者なんだ?


 アイシャ様と黒髪の少年が現れ、僅か1分でニ十匹のゴブリンが全滅した。半分はアイシャ様が、半分はあの黒髪の少年が倒した。


 あの少年……身なりは薄汚れてはいるが、俺達平民が着る様な服ではない。貴族の息子? 学院の生徒か? それにしては強すぎないか?


 少年を見ていた俺にアイシャ様が話かけてきた。ゴブリンが出現した経緯などの報告をした後に、怪我人の治療をして貰える事になった。


 教会の中には傷付いた俺の部下七人と、神父の治癒魔法では治せない大怪我を負った者達がいた。教会の神父は避難してきた市民の中に怪我人がいて、その治療で魔力を使いきっていたのだ。


 黒髪の少年が水筒に入っていた治癒薬を俺の部下に飲ませると、見る見る間に傷が癒えていく。水筒の中身はミドル……いや、ハイポーションか?


 ハイポーションは一瓶で大金貨十枚もする高級治癒薬だ。命には変えられないが、衛士の給与じゃ五年分の給料が消えたのと同じだ。


 まあ、部下の命が助かったんだ。新婚生活で使おうと思っていた家の購入資金も使って彼に返そう。


 部下の治療を終えた少年は、既に事切れかかっている男の前に立った。


 あの男は飯屋の親父か? 奥さんと娘さんが土気色の店主の手を握り、死なないでと涙を流しながら必死に声をかけている。


 少年が何やら声をかけた後に、水筒の中身を死にたいの店主にかけ始めた。危篤状態ではハイポーションでも治癒は難しいと聞いた事がある。可能性があるとしたら高司祭が使うエクストラヒールぐらいだ。


 水筒から流れ落ちる血のように赤い液体。ハイポーションとは色合いが違うが、あれは何だ?


 不思議な事に水筒からは大量に流れ出ている。見れば飯屋の店主は真っ赤に染まっていた。そして……。


「あ、あんたぁぁぁ!」


「お父さん!」


 奇跡!? 危篤状態だった店主が目をパチリと開けた。


 奥さんと娘さんは目を開けた店主にしがみついて喜んでいる。当の少年は他に怪我人がいないかシスターに聞いていた。


 少年は一通り治療を済ませると、アイシャ様と教会から出て行こうとしている。


「ちょ、ちょっと待って下さい」


 飯屋の奥さんと娘さんが少年を呼び止めた。二人の顔を見て不思議そうな顔をする少年。二人は少年にお礼を言うと、治療費の事を聞いた。


 ハイポーションを上回る治療薬をあれ程使ったのだ、一生働いても返せない金額かもしれないぞ。


「お代? いえ、別にいいですよ」


 はっ? 何を言っているんだ?


「う、家は食堂やってるけど、余りお金も無いけど、必ずお代をお支払いします」


 奥さんが必ず薬代を払うと言っているが――。


「あ、いえ、今は非常事態ですし……、あっ、じゃあ今度美味しいご飯をご馳走して下さい」


 そう言って少年はアイシャ様と教会から出ていってしまった。


 上級薬のお代が美味しいご飯って……。


 あの少年は……聖人様かよ!?


 俺もお礼を言っていなかった事に気づき慌てて教会の外に出た。


 教会の門の手前で少年がアイシャ様を両腕で抱き上げると、目の前から突然姿が消えた。上方に気配を感じ、見上げて見れば正面の家の屋根の上に姿が見え、そしてまた姿が消える。


「……聖人様ってのは、あながち有りっぽいな」


 俺は少年の姿が消えた空を見上げそう呟いた。


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